この多摩川の水運を利用していました。
川崎歴史ガイド「運河と水門と港町」 / / .
とくに何もなく変わった水門。
【河港水門(大運河計画)】明治以降河口付近の各工場は、この多摩川の水運を利用していました。
その後、工業用地拡大のため運河の計画ができ、昭和3年に水門は完成しました。
しかし、財政事情の悪化(昭和恐慌)により運河計画は中断してしまいました。
水門は当時のまま残され、上部左右には、梨、ぶどう、桃、いちじく等の飾りがあり、この地域がこれら果物の一大産地であったことを教えてくれています。
その後、時代の流れにより水運より陸運に変わり当時の名残りとして水門と地名が残されました。
名前 |
川崎歴史ガイド「運河と水門と港町」 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.5 |
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多摩川は古くから水門を造り、水運に利用されてきましたが、水運から陸運へと時代が代わった。
水門と「港町」と言う地名が残った。