「書き置き」の御朱印をいただきました。
「書き置き」の御朱印をいただきました。
もとは稲積山に創建されました。
いなごが大量発生し農作物に大きな被害があった際に住民が一心に祈願した所、いなごが消え去ったため稲積神社と呼称され農業の神様として信仰を集めたとのことです。
益田兼高も信仰していたとのことですが、南北朝時代に南朝方の日野邦光が稲積山に城を構えたのを機に現在の机崎(つくえざき)に遷座して現在の呼称になったと伝えられています。
この(コロナ禍)時期だからか、御朱印は書き置きですが、ちゃんと封筒に入れられていました。
神社の中は無人でしたが、風通しをしていて、見るからに涼しげでした。
手水舎は、水道があり、使うごとに水道をひねるやり方です。
駐車場は、ギリギリ2台とめられるかどうか?なスペース。
道は結構狭いので車は注意が必要です。
第二次長州征伐における石州口の戦い(1866/6/16、幕府軍(浜田、福山藩)VS長州軍)で、横田や扇原関門方面から攻めてきた長州軍が陣取った事でも知られる由緒ある神社です。
拝殿に書き置きの御朱印が置かれています。
名前 |
机崎神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0856-22-7120 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
4境戦争の長州軍駐屯地。
秋の大祭では奉納神楽があります。