三条通室町通西入ル了頓図子町・衣棚町に「廣野了頓邸...
駒板にある通り屋敷内を往来できたから名前が残ったんやねぇ。
条坊制の一町は一辺120mばかり、一町四方の敷地あったとすると便利でみんなに感謝されてたんでしょう。
ちなみに現在の了頓図子町は衣棚通東側石碑を北限にした小さなまちです。
了頓図子(りょうとんずし )中京区室町新町の間六角上る了頓図子町ここ了頓図子町は、足利家代々の従臣・広野家があった由緒ある一角、その末裔である広野了頓が茶亭を構え、茶道の普及にいそしんだ地として知られている秀吉からは了頓が茶を点じた縁から280石の知行をあてがわれたという、屋敷内の中の小路で六角通の入り口には明治維新のころは門があったと言われている。
六角通に面した所、現在の六角井上歯科クリニックの入口あたりが将軍御成門。
名前 |
廣野了頓邸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.marutake-ebisu.com/stone-monument/hirono-ryoutontei.html |
評価 |
4.3 |
三条通室町通西入ル了頓図子町・衣棚町に「廣野了頓邸跡」を示す石碑と駒札が有ります。
桃山時代の茶人廣野了頓の邸宅がここにあり、邸宅に茶亭を構え、邸宅内の小路の南北に通り抜けを許していました。
明治時代まで六角通に面して表門があり「将軍御成門」と称された。
現在、建物や門は残っておらず、「了頓図子」という路地として残っている。
また、「了頓図子町」という町名としても残っている。
こういったことを知らずに三条通から六角通に抜ける近道が出来るので便利な路地だと認識していた。
この便利さと私有地を開放した人物の名前がわかれば、「了頓図子」「了頓図子町」という名前が残っているのもわかる様な気がします。