名前 |
佐野原聖地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
この宮崎平野に邪馬台国がありました。
邪馬台国の女王:卑弥呼が魏国に援軍を要請し、魏国から下見に来た張政という役人は尾鈴山あたりから宮崎平野の地形を見て、矢じりと馬の形をした台地「矢馬台国」と呼びました。
この土地に住んでいた民族は自国を日向(ひむか)と呼んでいました。
張政は魏国の王朝に対して、卑弥呼の要請により「矢馬台国」のことを低く卑しく伝えるために「邪」という字を当てて「邪馬台国」と報告しました。
この邪馬台国の中枢が佐野原聖地であり、ここが要塞の拠点でありました。
邪馬台国の女王:卑弥呼が死後、次の女王:トヨは卑弥呼の遺言により邪馬台国を静かに閉じました。
だから、邪馬台国の遺跡などありません。
そして、女王:卑弥呼の臣下だったイワレヒコ様(後の神武天皇)は日本全体に広がった裏切者の大物主の一党を成敗するため戦いに出ました。
これを「神武東征」と呼びました。
この佐野原聖地は、今の日本の成り立ちに繋がる重要な拠点でありました。
現在の天皇が続いているのも、この神武天皇が始まりとなります。