2/26 訪問説明の板がたくさんあるよ。
2/26 訪問説明の板がたくさんあるよ。
揖斐川町指定史跡揖斐城跡揖斐城は城台山(標高223m比高180m)山頂に本丸がある連郭式の中世山城で、現在は遊歩道が整備されています。
山頂の主郭を中心に東西の尾根に曲輪を連ね堀切や土橋を設け仕切られています。
枡形の虎口もあるなど見応えは十分です。
南麓の三輪神社に登山口があり城台山公園を目指して登ります。
主郭まで徒歩約20分ほど、散策時間は60分が目安です。
【歴史】美濃守護職土岐氏が築城し揖斐氏を名乗り居城としました。
天文16年(1547年)斎藤道三の攻撃で落城し堀池氏が城主となる。
織田信長の美濃国侵攻に伴い稲葉良通(一鉄)の攻撃で落城。
その後良通の子・稲葉貞通が城主となるが後に破却され揖斐陣屋が建てられた。
【アクセス】三輪神社の裏手に登山口がありますし、山腹の城台山公園にも駐車場があります。
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城台山公園のそばにあるということなので、少し登れば城に着くのかと甘くみていました。
登り口の三輪神社から1キロ程度登りました。
しかもそこそこの登りでした。
それだけの苦労の甲斐があって、本丸と出丸からの景色は良好です。
本丸からは、名古屋駅前の高層ビルが見え、多分小牧山も見えます。
メインの道は階段にされているなど整備されていて歩きやすいです。
ただ、曲輪の周りの小道は、状態が悪く滑る危険があります。
井戸を見に行くのはかなり緊張しました。
また、城の北側の曲輪に行くのは断念しました。
城の遺構は結構残っており、切岸、竪堀などが見ごたえあります。
山城好きの方にはお勧めです。
また、山城の井戸は珍しいですが、井戸というよりは小さい池のようでした。
一見の価値アリです。
ふもとの三輪神社から揖斐城本丸跡まで約30分。
途中までは、整備された遊歩道を歩きます。
城台山公園付近からは、少し急な道を歩きます。
比高180mで、本丸跡、出丸跡からは、絶景が望めます。
井戸跡は、こんな場所に井戸があるとは、考えられず、感動しました。
揖斐城(いびじょう)は美濃国揖斐郡、現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町にあった中世の日本の城(山城)。
標高220メートル、比高180メートルの城台山頂上に本丸があり、土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城とした。
敷地は南北に約54メートル、東西に約14メートル。
現在は城台山公園として整備されている。
『土岐累代記』によれば土岐頼康が、また『新撰美濃志』によればその弟の土岐頼雄が1343年(康永2年)に築城したという。
いずれにしても頼雄が城主となって揖斐氏を名乗り、子孫が代々後を継いだ。
頼雄直系の基信は土岐政房の子・土岐光親を養子としたが、1547年(天文16年)の斎藤道三による攻撃で落城した。
その後は揖斐氏の家臣・堀池氏が居城としたが、織田信長の美濃国侵攻に伴い、稲葉良通によって城は陥落した。
天正年間の半ばには良通の子・稲葉貞通が城主となっている。
後に破却され、跡地には揖斐陣屋が建てられた。
標高220m、比高約180m。
東西300m、南北約200mに広がる揖斐川町史跡で登城道は整備されてる。
主郭周辺からの眺めバツグ~ン♪\(^o^)/広いゆえにトーゼン遺構はたっぷり( v^-゜)♪主郭南曲輪間の切岸は見事な削り。
主郭北の堀切は片側土橋残し。
桝形虎口跡や北側の一段下りた曲輪の横堀もミゴト。
城の東側は堀切u0026残し土橋。
城郭横の竪堀は連続してて畝状竪堀でいいんでないかい?などなどキリがない♪ヽ(^○^)ノ天分16(1548)斉藤道三に攻め落とされ、天正11(1583)賤ヶ岳の戦いの年、稲葉一鉄によってまた攻め落とされてる。
(((^。
^;)遊歩道が歩きやすく、ハイキングはモチロン城マニアでもたっっぷり楽しめるうれしい中世山城だったよん(*^ー^)ノ♪
名前 |
揖斐城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.town.ibigawa.lg.jp/kankoujyouhou/0000010779.html |
評価 |
4.0 |
600年も昔の城跡ですが、地形が荒らされず、立て看板の解説を読むと良く分かります。