名前 |
鉄道の開通と埋立碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
1869(明治2)年、政府は新橋・横浜間(現在の汐留・桜木町間)の鉄道の建設を計画しました。
しかし、現在の横浜駅から桜木町にかけての一帯は当時海であったため、鉄道を通すため青木町から野毛にかけて、全長1400m・幅76mの築堤を造らなければなりませんでした。
高島嘉右衛門がこの難工事を請け負い、高島台から数千人の人々に指示を出して、政府との約束の期間内に見事に工事を成功させたそうです。
埋め立てられた場所は現在の西区高島1・2丁目で、嘉右衛門の邸宅があったここ高島台とともに名前が町名として残っています。
青木町から野毛浦まで弓なりに延びる埋立地が高島嘉右衛門が請負った鉄道用地です。
湾の付け根をショートカットして鉄道を通した様子がよくわかります。
明治初年に当地付近から横浜駅西口・高島町方面を写した写真です。
手前にある家並みは旧街道の宿場で、その向こうに開ける入江の中に鉄道の線路が延びています。
今は横浜一の繁華街である西口周辺は、当時は海の中でした。