松島のランドマークといえばこの五大堂。
透かし橋を渡って五大堂に着きます。
ちょっと怖いですけど、「五大堂にお参りするんだから気を引き締めて!」という意味合いらしいです。
気を引き締めていきましょう!海に突き出てるので、景色いいです。
特に、福浦橋方面が素晴らしい👍五大堂の建物には、十二支の彫刻が彫られてるので、ご自分の干支を探してみるのもいいかなと思います♪
松島観光で無料で楽しめるスポット!透橋が有名で楽しい!透橋は足元が格子状で隙間から5m下の海面をのぞけます!五大堂の正面は松島湾の眺望もよくて、フォトスポットとして人気です。
2023.07.30今年14回目の一人旅は間髪入れずに1週間後に敢行。
夏はやっぱり海が見たいということで、1時間少々で立ち寄れる松島へ敢えての宿泊チョイス。
宿泊前に立ち寄るのは無料で観覧できる歴史的建造物であるこちら。
代名詞でもある「透かし橋」を渡って見れるのは荘厳なお社。
全国各地と違い無く猛暑のこの地域も、海からなでるやませによってどこか涼しい空間がそこにはある。
家族写真を収めようとシャッターを依頼される光景もあったことで、コロナの収束を実感するひとときがあった。
令和5年6月21日初来訪。
風光明媚な松島とのことで見所がたくさんありこちらの五大堂もその1つです。
807年奥州征伐の際に坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立したのが始まりとされています。
現在の堂は伊達政宗公が瑞巌寺を再興に先立って再建しました。
堂に行く橋は透かし橋になってて下がよく見えて面白いです。
無料です。
景色がいいです。
他の方も言われてますが、橋を渡るときに、橋の足場の隙間から物を落とさないように注意する必要があります。
無料で入れる。
夜もライトアップされていて綺麗。
島の手前の橋と、島からの景色がとても良い。
早朝に訪問しました。
他の方がいないため厳かに静かに参拝することができました。
周りの彫刻は十二支だそうです。
色はほとんど残っていませんが、見事な彫刻の森なのでご覧になってください。
透かし橋は「見も心も乱れのないように、気を引き閉めて参詣するために」のようです。
それこそ、スマホなどの落下などないように。
車椅子では渡れないようなのでご注意下さい。
半島のようですが、”透かし橋” でつながっている小さな島、松の林の中に建っています。
伊達政宗が慶長9年(1604年)に建立したと伝えられる立派なお堂です。
とにかく、彫刻が素晴らしい。
欅作りの建物に、見事な彫り物が沢山。
周りを干支の彫り物が囲んでいたりします。
海風にさらされて400年以上経つのですが、壮健な佇まいの姿はかえって渋みを増し、見事なものです。
松島にある観光スポットの一つで、出入りはフリーで24時間可能です。
足下が開いている透かし橋を渡ると、ちょっとした休憩場所になっていて景色を眺められます。
人が落ちる心配をするほどではありませんし、吊り橋ではないので揺れもしませんが、写真を撮る場合は隙間からカメラやスマホを落としてしまわないよう注意する必要があります。
お金はかかりませんが、橋やお堂などはそんなに大きな規模ではなく、見学そのものは比較的すぐ終わります。
あくまでも脇役的な観光スポットという位置づけですかね。
無料施設です。
日本一周の旅の途中で寄りました。
手前の赤い橋がカワイイ。
橋の板間には隙間があり少し怖いです。
お堂はいい意味で古くて趣があります。
五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。
ここから見る仙台湾もいいですよ。
すかし橋を渡りたくて行きました😊お子さんが怖がってちょこちょこ歩いていて可愛かったですが、子供目線だと下が近くて確かに怖いかもですね。
ですが、橋を渡ったら絶景が見えますよ。
松島のランドマークといえばこの五大堂。
朱色の橋を渡って到達する五大島のそのお堂はあります。
伊達正宗によって再建されたお堂は見ていると幸せになれそうです。
ここから眺める松島の島々も絶景でした。
松島海岸のホントに小さな島の大きな十数本の松の中に御堂が。
海岸から、床がまばらで潮の流れが見えるちょっと怖い朱く小さい橋を2つ渡って行きました。
光る海と松の緑と渋すぎる御堂の粋な感じが妙に旅心をくすぐるところでした。
建てられてから今に至るのか、潮風の影響もあり色がすっかりあせて全身灰色です。
それもまた味を出してますが…ここまで来るために渡る橋が、何故か板が間引かれていて、小さい子は海に落ちるんではないかとハラハラします。
ガイドさんがいれば、なんのためかとか説明があったのかな…
ここからの海の眺め、また遊覧船の船着き場側から眺めた、この堂宇の建つ小さな島の雰囲気が、お隣の観瀾亭とともに、松島らしさを眺めとして体感できる便利な場所としておすすめ。
しかもこちらは入場無料。
ただし、わずかな距離ではあるものの、透橋というスリリングな赤い木の橋を渡らなければならないのがネック?だから比較的観光客がすくないのかもしれません。
松島を代表するスポットとしてもっと観光客も増えればいいなぁと思います。
堂宇は国の重要文化財だそうです。
ゴミがちらほら落ちていたのが気になりました。
残念です。
せっかくの歴史ある観光スポットなので皆さんマナーは守りましょう。
五大堂入口には3つの橋があります。
2つ目、3つ目の橋は穴が開いていて板と板の隙間は15cmくらい。
松島ボランティアガイドさんによると、左側通行だそうです。
3つ目の橋は少し上りになっています。
五大堂現在のお堂は、1604年伊達政宗が再築した桃山建築で、国の重要文化財にも指定されています。
橋から海面までは15m程。
足首くらいまでの浅瀬でした。
現在の建物は慶長9年(1604)伊達政宗公が造営した、東北地方最古の桃山建築である。
大きさ方三間(22.68尺=6.87m)、宝形造、本瓦葺。
軒まわりの蟇股に、方位に従って十二支の彫刻が配してある。
正面に掲げられている額には「五太堂」と彫られているが、正確には「大」が正しい。
揮毫は105世天嶺。
「太」の字は筆の遊びであろう。
慈覚大師手彫りと伝えられる厨子内の五大明王(国重文、中央・不動 東・降三世 南・軍荼利 西・大威徳 北・金剛夜叉)は、平安時代中期に制作された秘仏で、33年に一度開帳される。
次回の開帳は2039年の予定。
祭礼日は8月20日。
現在の堂へ渡るすかし橋は、縦板が2枚しつらえられているが、もともとこの板はなく、はしご状であった。
横板の間隔も5寸(約15cm)程有り、江戸後期の紀行文に、恐ろしくて渡る事ができなかった人の事が紹介されている。
日本三景の松島の中心、小さな陸繋島にあります。
慶長9年(1604)に造られた桃山建築のお堂。
四方が三間(6.87m)の宝形造、本瓦葺。
軒まわりに、無彩色の十二支の彫刻があります。
ここは公園内にありますが、無料で見学することができます。
昔のものがそのまま残ってるっていいですよね。
船の🚢待ち時間で寄らせて頂きました。
景色よかった😌
小学生の修学旅行以来の訪問です。
何となくイメージは残ってましたが、貴重な建造物を間近で観れるので、ありがたいです。
どうしても、海風の影響も有るかと思いますが、綺麗さと言う点にフォーカスを当てると、どうしても不利です。
ただ、建物の建てられた背景などを鑑みると、そんな面は気にならないかと思います。
十二支が居ますので、自分の干支さんを探してみると良いかと思います。
ただ、向かう過程で、足場が不安定な所が有りますので、履物には注意が必要かと思います。
日本三景松島にある瑞巌寺内の五大堂。
松島の海とお堂がとてもマッチしていて見ていて落ち着きます。
が、観光地だけに喧騒な場所です。
東日本大震災の傷痕が未だ残るほどの大災害だったにもかかわらず、よくぞ無事だったものだと思います。
きっとこれも不動明王と四明王の御加護あったのでしょう。
きらびやかではありませんが歴史ある木造技術が感じられるとても美しいお堂です。
お堂までの橋は下が垣間見れてちょっとスリリング。
海も一望出来てお勧めです。
観光で初めて行きました。
有名な所らしいので行ってみましたが、思ったより見る所がなかったです。
景色は良く写真撮影してお参りして帰りました。
行ったことがない方はせっかく来たなら1度は行ってみるといいと思います。
透かし橋。
普通に歩けば落ちないとわかっていても、スリルありでした。
五大堂からの景色も綺麗です。
入場無料で手軽に絶景が見れます。
途中に橋が3つありますが、内2つは足元注意。
小さな子連れは抱っこ必須。
遊覧船乗り場の前に駐車し徒歩で3分程の所に位置し階段を数段上がってすぐです。
時代を感じさせるお堂で十二支の彫り物がお堂の回りにあります。
駅から近い絶景スポットのひとつ。
とはいえいかにも松島だなぁという確認レベルの風景なので、時間があれば古来から伝わるスポットにいかれるとよいと思います。
ここは恐ろしい橋と、お堂の装飾が見せ場。
タダです。
松島に来たなら寄るべきです。
観光船が戻ってきたりすると、ものすごい混雑になりますのでタイミングは要注意です。
名前 |
松島五大堂 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
022-354-2023 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 7:00~19:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
無料で見られるので、松島観光に来たらまず寄りたいところ。
中心部にあり、海岸の方からも見えます。
五大堂がある島は橋でつながっているので20分もあれば観光可能です。
近くにある瑞巌寺の境外仏堂であり、坂上田村麻呂に由来する毘沙門堂に五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれるようになった。
伊達政宗が1604年に建立したといられ、東北地方に現存する最古の桃山建築とされ国の重要文化財に指定されています。