名前 |
丸山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
丸山と云うのは旧仲南町買田と佐文の間、旧仲南北小学校の西側にある標高196mの小高い山です。
そこから発生する北東方向に伸びる尾根が国道32号線と接する手前の丘状の尾根筋を利用した山城です。
城郭の広さは東西約65m×南北約20mを測ります。
この位置は戦略状大変意味のある場所で南から北に通る猪鼻峠から金毘羅、善通寺、丸亀に行く主要道路が走り、それと交差する西側、豊浜、愛媛、土佐から東には讃岐中山間地域の綾歌、陵南、香南、高松南部へ続く主要道路が交わっている所です。
本丸から南に伸びる尾根筋と、北西に伸びる尾根筋から成る中世の典型的な連郭式山城です。
まず南側から見ると主軸線上に六段の郭が配置されています。
最も南の郭とニ番目の郭の間には現在はかなり埋まってますが、堀切(空堀)が掘られ防御線を設けています。
本丸南側には二つの郭が張り出していて、そこから東側から北側にかけて幅3〜4mの帯郭が取り巻いていてその中間点辺りに下に降りる道があり、そこそこ広い削状地の郭があります。
本丸の北西側は帯郭の下に二段の段郭があり空堀への急斜面に成ります。
因み南側斜面と帯郭下の東側斜面は崖状態で特に南側には郭は見られません。
空堀は細い尾根筋を幅4mの溝で切断しており、その中央部の土橋状の通路があります。
この空堀の東側には8×6mの方形郭があり土橋を守るように成っています。
空堀を越え北西側尾根を登りになり丘陵上までに5か所郭が配置されています。
この丘陵上の郭は物見櫓の役目をしたと思われます。
鳥が翼を広げた様な縄張り、両方に空堀を配しているのが現在でもよく残っています。
小さな城ですが見応えはあります。
ここ丸山城主は飯尾六兵衛国盛と「長原家記録」にはありますが記載されている年号が他の資料て一致しないので疑問点が多々残りはっきりしてません。
只今飯尾氏がここの城主で有ったのは間違いないと考えられます。
ただこの丸山城築城、廃城の年月ははっきりしないのと、築城は仙石氏が讃岐に入ってからと云う説もあり、これからの研究が待たれます。
最後に書き込むは仲南町史を参考に書かせて頂きました。