八ッ場天明泥流ミュージアムを訪問。
やんば天明泥流ミュージアム / / .
浅間山の噴火(天明大噴火)で起きた災害について知る事ができる博物館。
泥流に飲み込まれた村落の遺物や噴火の記録が展示されていて、土日は学芸員の方より解説して頂ける。
鎌原観音堂(鎌原地区)と併せて行くと、より状況が理解し易い。
入館料¥600。
浅間山の大噴火でどのようなことが起きたのかが学べるミュージアムです。
シアターや発掘作業の映像などもあるので1人で行ってよかったです。
まず隣の旧小学校校舎を見学してからミュージアムに行くのがオススメです。
以前、嬬恋郷土資料館にも行ったことがありどちらも浅間の大噴火の事が学べますが個人的にはこちらに来てから嬬恋に行く順番がよりよく学べる気がします。
館内が寒いのでゆっくり見る方は暖かい服装で行った方がいいです。
自分は敷地内の旧小学校校舎と合わせて2時間程度の見学で比較的暖かな服装でしたがとても身体が冷えました。
天明の噴火が良く学べます。
八ッ場は昔からヒトが住んでいたのですね✨沢山の遺跡が有りました。
ダムで沈んだのですよね。
隣にダムの為に移転した第一小学校が有りますのでぜひそちらも見学して下さい。
群馬県人なら誰でも知っている上毛カルタや昔の農具も展示して有ります。
カルタの制作はこの地域の方がご尽力されたとの事です。
カルタ作成にGHQの検閲が有ったのは驚きでした。
道の駅八ッ場ふるさと館から直ぐです。
八ッ場ダムを通り越し、道の駅を越え、草津に行く途中にある真新しい建物。
【やんばてんみょうでいりゅう】と読むそうです。
一体何だ?と思う人は一度訪れて見てください。
600円で見れます。
第一印象は地元にある郷土博物館。
出てくるときには、この吾妻郡の壮絶な歴史を知って、八ッ場ダムを観る目が変わります。
草津でSNSに載せる写真を撮ろうと浮かれているそこのあなた。
目にも留めない八ッ場ダムの下に沈んだ歴史を知らずに、そこの道を踏んでいるんですか?天明の大飢饉を乗り越えてきた人々の歴史を600円で見逃すのですか?是非、足を運んでください。
土日でもガラガラなのが不思議なくらいです。
歴史が分からなくても、高頻度で案内の人に解説付きで案内してもらえます。
(宣伝関係なく、その後に道の駅で八ッ場ダムのダックツアー参加すると、歴史知った上で乗れるので「あー、あのことか」とか、ここにこんな歴史があったのか…ととても感動します。
プライスレスです。
オススメします。
)
草津ビジターセンターで勧められ来てみましたが、ここは来て良かったです。
地元群馬が天命の浅間大噴火でこれほどの被害を被っていたとは知りませんでした。
サポーターの方がいて、説明しながら回ってくれます。
そういった方々の余談も含めて面白いです。
最初は八ッ場ダムの展示解説施設かと思っていましたが、浅間山大噴火の吾妻郡の被害状況と、その当時の展示物でした。
最初は高いなって思いましたが、値段相応の内容に満足しています。
その当時の生活道具など多数展示されており、大満足でした。
まだ新しい施設です…歴史に興味のある方には良いかもしれません。
入館料600円はちょっとだけ高いような気もします…。
天明浅間山大噴火後吾妻川川沿いの民家が、泥流の被害にあいました。
その状況を大画面でバーチャル再現迫力満点❗
最初に見る10分程度の映画をよーく見ておくとその後の展示物の理解が深まります 小学校木造校舎が一部移設展示されていて中に入れます。
懐かしい。
近くに来たら是非寄ってみては?非常に綺麗なミュージアムで、浅間山の噴火で埋もれた歴史が良く分かります。
展示も素晴らしく見応えあります。
昔の浅間山の噴火の話しですが、とても興味深かったです。
小学高学年以上なら理解出来るとおもいます。
入館券大人1名600円です。
新しい建物で貸切状態でしたので、じっくりと見学できました。
もちろんトイレも館内で綺麗です。
出来たばかりであり、なお天候不良なこともあり利用者は僅かでしたが貴重な体験をさせていただきました。
私自身この近辺の出身であるにも関わらず天明泥流のことをよく知らずでした。
地元の事を知り直すいい機会になりました。
まだ会館したばかりで、数名しか見学者がいませんでしたが、内容は充実していて、たっぷり見る事が出来ました。
名前 |
やんば天明泥流ミュージアム |
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ジャンル |
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電話番号 |
0279-82-5150 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
八ッ場天明泥流ミュージアムを訪問。
1783年の浅間山の大噴火の被害を伝えています。
また、八ッ場ダム建設で水没した学校の一部が移設されています。
10分ほどの動画でも江戸時代当時の噴火の日の様子が再現されていました。
泥流の破壊力が半端ない…潰された家屋や鐘、家財道具などが物語っていました。