ただ、原っぱが広がる。
時代は異なるが、奈良・平安時代の名生館官衙(大崎地方を治めていた役所)、そして14世紀の名生城(奥州探題大崎氏)があった所。
今は、台地の上に田畑が広がっている。
この台地から見える東や南は大崎平野で、その平野が一望できる。
だからこそ大昔に役所や城があったのかもしれない。
7世紀末~平安時代の玉造郡内の中心的な官衙跡である。
大崎平野の北西部にあり、標高40mで、周辺との比高10mほどの台地上に立地している。
遺跡の範囲は南北1,100m、東西700mである。
中世奥州探題大崎氏の「名生城」としても著名である。
昭和55年からの継続的な発掘調査の結果、城内地区では多賀城より古い7世紀末頃の、四面庇付瓦葺の建物を中心とする官衙中枢部が発見され、それまでの通説に反し、多賀城創建前大崎地方に律令政府の支配が及んでいたことが明らかになった。
また、小館地区ではこれより新しい回廊で周囲を区画した、施設跡が発見されている。
なお、南1.2kmには付属寺院とみられる伏見廃寺跡がある。
名前 |
名生館官衙遺跡 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0229-72-5036 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bunkazai/kuni-siseki25.html |
評価 |
3.4 |
7世紀後半に集落が営まれるようになり、政庁が位置を変えながら9世紀代まで造営されました。