あみだ池筋の名前の由来になった池です。
長野善光寺本尊がこの家に捨てられていたとの説がある。
和光寺内にあり通常見つけられない。
阿弥陀池✏️
阿弥陀池は古代からあって、霊水が湧く有難い池で、廃仏派の物部氏によって池に投げ捨てられた阿弥陀如来が、推古天皇6年(600)に信濃の住人・本田善光に拾われて善光寺まで運ばれたという言い伝えがあります。
由緒有るお寺さんです。
江戸元禄時代の新地開拓の際に開かれた和光寺ですが、この門前町には参拝に訪れる人も目当てにした堀江遊郭が作られ、たいへん栄えました。
当時のこの阿弥陀池への参道には隣の新町遊郭と並ぶような広範囲に及ぶ郭のある場所でもありました。
この阿弥陀池の橋には、その当時の名残である『堀江郭』の貴重な銘が残っております。
落語のネタになったり、かつて将棋の名人戦が行われるなどした場所でもある。
和光寺境内の北側にある阿弥陀池は、仏教伝来の際に百済からもたらされた仏像が排仏により沈められた「難波の堀江」(なにわのほりえ)にあたるという伝承がある。
和光寺が建立される元禄11年(1698)以前から、仏教伝来の聖地として信仰を集め、大坂の名所のひとつとなっていた。
東西29.4m、南北18.8mで、周囲には五輪塔を巡らせて高欄(こうらん)とし、縁は花崗岩の石積みで囲み、中央には小堂をまつっている。
旧の小堂は戦災で焼失し、石積み部分に改修の手が入っているが、寛政8年(1796)の『摂津名所図会』(せっつめいしょずえ)に描かれている、聖地として信仰を集めていた池の様子がよく今に伝わっている。
(大阪市HPより)『阿弥陀池』は上方落語の演目にもなっている。
かつての賑わいはどこへいったか今は訪れる人も少ない。
和光寺境内にある、あみだ池。
開門してたら自由に入れます。
檀家さんの墓地もあるので、節度ある行動を!なお駐車場はありませんが、周囲にコインパーキングがあります。
あみだ池筋の名前の由来になった池です。
百済からもたらされた仏像が排仏により沈められた「難波の堀江」。
和光寺境内の北側にある阿弥陀池は、仏教伝来の際に百済からもたらされた仏像が排仏により沈められた「難波の堀江」(なにわのほりえ)にあたるという伝承がある。
和光寺が建立される元禄11年(1698)以前から、仏教伝来の聖地として信仰を集め、大坂の名所のひとつとなっていた。
東西29.4m、南北18.8mで、周囲には五輪塔を巡らせて高欄(こうらん)とし、縁は花崗岩の石積みで囲み、中央には小堂をまつっている。
旧の小堂は戦災で焼失し、石積み部分に改修の手が入っているが、寛政8年(1796)の『摂津名所図会』(せっつめいしょずえ)に描かれている、聖地として信仰を集めていた池の様子がよく今に伝わっている。
(大阪市HPより)『阿弥陀池』は上方落語の演目にもなっている。
かつての賑わいはどこへいったか今は訪れる人も少ない。
奈良の甘樫丘の麓の豊浦寺に祀られていた阿弥陀如来は、難波の堀江に投げ込まれたと言われています。
大阪市西区に浄土宗のお寺〔和光寺〕があり、境内の池から、善光寺(長野)の本尊ともいわれる阿弥陀如来が出現したことから、その池は阿弥陀池と呼ばれている。
その池のほとりに数基の句碑が立っているが、その一つが、其角の句碑。
仇なりと花に五戒のさくらかな 〔仇なり塚〕と呼ばれる。
名前 |
阿弥陀池 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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こちらのすぐ西側を南北に通る道、「あみだ池筋」の由来となってる阿弥陀池です。
和光寺というお寺の境内にあるのですが、阿弥陀池は少なくとも6世紀頃には既にあり、かなり後の元禄時代になってから和光寺が建立されたそうです。
また長野県にある有名なお寺、善光寺は、本田善光という朝廷の役人が、こちらの阿弥陀池に物部氏が廃棄した阿弥陀如来像を拾い上げ、信濃の国に持ち帰ったことが起源とされているそうです。