32才の西鶴が生玉神社南坊で「万句興行」を行いデビ...
我々には好色一代男で知られる井原西鶴だが、その俳諧はそれ以上の天才だった。
なんせすごい人物で一般人が批評できるひとではない。
この生國魂神社でも一昼夜で4000句を詠んでいる。
「浮世の月見過しにけり末二年」「善はつねに悪が混じっている。
極端な善は悪となる。
極端な悪は何らの善にもならない」もし西鶴がこの世にタイムスリップし、自らの像を見たならなんと思うだろう。
江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師「井原西鶴」の像。
生國魂神社で俳人200人を集めて大規模な万句興行を主催したことから縁の地として像が建てられています。
生國魂神社の様々なリトルワールドと共に自己主張しながら鎮座されてました。
今にも語り掛けてきそうな生き生きとした感じがありました。
何やら噺家が仕方噺でもしている風情の像で、むしろ町民社会を描いた作家としては、お似合いなのかも知れない。
寛永19年(1642年)頃、大坂・難波に生れ、15歳頃から俳諧師を志し談林派を代表する俳諧師として名をなした。
一昼夜の間に発句をつくる数を競う矢数俳諧の創始を誇り、またそれを得意とした(最高記録は23,500句)。
その奇矯な句風から阿蘭陀流(オランダりゅう)と腐される。
天和2年(1682年)に『好色一代男』を出版し好評を得、その後様々なジャンルの作品を出版。
従来の仮名草子とは一線を画する物として、現在では以後の作品を浮世草子と区別している。
元禄6年(1693年)没。
代表作は『一代男』の他に『好色五人女』『日本永代蔵』『世間胸算用』など。
また代表的な発句に、長持に春かくれゆく衣がへ鯛は花は見ぬ里もあり今日の月大晦日定なき世の定かな浮世の月見過しにけり末二年がある(wikiより)
寛文13年(1673)3月、32才の西鶴が生玉神社南坊で「万句興行」を行いデビューを果たした。
有名な井原西鶴像。
境内に設置されており。
緑の中に存在する。
生涯で2万以上の俳句を詠んだという。
生玉神社といえば井原西鶴。
浮世草紙(小説、好色一代男とか)を書く前は俳諧師(俳句読み)だったらしく、なかでも夜を徹して数多くの俳句を創作する「矢数俳諧」の先駆者として有名で、この生玉神社でも1680年に一晩で四千句を読み上げた。
12日間を要して、万の句を詠んだことでも有名。
名前 |
井原西鶴像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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大阪で生涯を終えた、井原西鶴を偲ぶ像です。