今井町を代表する建物。
事前予約ということで予約していたが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、緊急事態宣言が出てキャンセルさせていただきました。
今西家は今井町の西端にあって幕末まではこの辺りが大阪方面などの玄関口であったという。
交通の便がいいので、建売の新築工事がしていた。
ここは奈良県景観資産に選ばれているのに絶句しました。
吉岡里帆さんがBS-TBS「奈良ふしぎ旅図鑑」で今井町今西家住宅を案内していたので、GOTOトラベルを利用して東京から来ました。
テレビで観るより実際に来て切迫感と威厳を建物にしみついている感じに圧倒されました。
事前連絡して伺いました。
たった一人のために懇切なご説明をしてくださった保存会の方の今井町愛に感動しました。
かつて日本の住宅はこんなにも美しかったのですね。
十市県主から連綿と続く名家の矜持を尊敬します。
初めて行きましたが、栄花を誇った時代の様子をわかりやすく説明して下さいました。
タイムスリップした気分になりました。
広さは 私の家の方が広い 当家は鎌倉時代からの家柄です。
250年前のものが直に手に触れられます。
橿原今井町は、昔ながらの雰囲気が素晴らしい。
今西家は中でも、見応え十分でした!
お盆休みで中に入れず、次の機会に、
江戸の時代にタイムスリップできる今井町。
その中で最も雄壮な外観を持ち、訪問者に感動を与える「今西家住宅」。
日本の歴史が大和の歴史と同義であるならば、歴史学者ならずとも、一度は訪れるべき場所である。
河内の会社員・服部充宏(にんにん♪)
今井町を代表する建物。
こちらを見ずして今井町は始まりません。
お部屋や日本刀、屏風にお庭、土間。
この様な空間が現存していることに感謝しています。
京都や奈良市の歴史建造物も良いが、今井町の特にこの今西家住宅に、もう1歩足を延ばして欲しい。
現当主が実際に住んでおり、観光地化されていないので、本当の歴史の息吹を感じることができる。
歴史好きなら必ず満足できる場所である。
観光ボランティアのかたが熱心に対応している。
街並みの素晴らしさと建物の重厚さが感慨深い。
うっかり通りすぎるところでした。
建物は 立派でしたが目線が 下にあったので... 予約が必要とのことで 中は見れませんでした。
残念。
ここは、見学には、事前予約の連絡してからでないと駄目なんですけど!私が訪れた時見学を終わった方に声かけて聞くと誰も見学者いないと教えてくれてとりあえず駄目もとで見学をお願いしたら快く了解してもらえて良かったです。
その後三人のグループと二人のグループも訪れその度に主人の方(女性の方)が何回も説明していただき良かったです。
みなさん交えて楽しい見学でしたね〜!
戦国時代に今井町は織田信長と戦うために堀を強固なものとして、環濠内を守ってきたことによって、現代にこの奇跡の町並みが残った事を教えていただきました。
幕末になると、重税によって衰退に向かい富豪は消滅したそうです。
そして、鉄道駅誘致の際、今井町の任にあった今西家ご当主が明治政府に反対したことから、隣町の八木町に畝傍駅がつくられました。
それがなければ、近代化が進み、ビルが建ち並び町並みは残っていなかかった事でしょう。
それを考えながら伝建地区を歩くと感慨深ひとしおです。
今井町へ来たら、西にある今西家を眺めてみられる事をお勧めします。
今井寺内町は、一向宗徒として織田信長と戦ったことで知られ、石山本願寺が和議を申し入れた事で梯子を外されてしまったかのような事態に陥りますが、茶人天下三宗匠のひとり津田宗及のとりなしによって武装解除の約束で自治権を許されて堺と同じく自治都市になることができました。
その後、陸の今井・海の堺と言われるほど、財力に恵まれて栄えることになり、経済的に豊かになった町民は、文化・文芸に従事し、大阪・堺・奈良などとの文化交流も盛んにしたそうです。
ここ今西家の当主・今西正盛は、青年松尾芭蕉と俳句を通じて交流し、援助したりしていたそうです。
その後、お礼にと当主に奥の細道で訪れた宮城県多賀城碑の拓本を持ち帰って贈っているのが、座敷に展示されていました。
句集にも交際の深かった松尾芭蕉が発句を入集しています。
今西正盛撰、『耳無草』(『詞林金玉集』)に発句1入集「夕顔の花に心やうがりひよん」
名前 |
今西家住宅 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0744-25-3388 |
住所 |
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営業時間 |
[火水木金土日] 10:00~12:00,13:00~17:00 [月] 定休日 |
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評価 |
4.2 |
正にタイムスリップを実感しました。
とても素晴らしい町並みでした😌