帯解本町の中心にあり、昔から安産・子授けの霊刹とし...
住職さんのお話、たいへんわかりやす説明してくださいます。
カッコいい御朱印をいただきました。
剣豪としてお馴染み「柳生十兵衛」はここ龍象寺の在る奈良市帯解で道場を開いて(このお寺辺りに伝柳生十兵衛之墓もあるそうです)、日本三大仇討ちの一つ「決戦・鍵屋の辻」で知られる荒木又右衛門に新陰流の免許皆伝を許したとされています。
しかし、十兵衛が奈良に居たのは20歳から31歳迄(1627年~1638年)で、鍵屋の辻に関わる一連の出来事は1630年~1634年に発生しているからもっともらしいのですが、武芸において衆に比して優れていたとは言えこの間の十兵衛は未だ修行の身で、父・宗矩から印可を許されたのが1638年に江戸に戻ってからですから、郡山藩剣術指南役を務めていた七歳歳上の又右衛門と共に、この辺りにあった道場で剣術修行に汗を流したとするのが正解かも知れません。
真言宗のお寺 安産祈願。
御朱印をいただきました 子安地蔵尊(300) 帯解龍王 九龍大神(300) 子安地蔵尊(イラスト入り )(800) 帯解龍王 九龍大神(イラスト入り)(800)駐車場:無料拝観料:200大和北部八十八ヶ所霊場。
最寄り駅はJR帯解駅。
龍象寺は、通称、帯解本町の中心にあり、昔から安産・子授けの霊刹として有名である。
寺紋は十六枚の菊紋にて、古来から宮中と深い関係ある。
寺の格式と同じく、帯解子安地蔵の徳も高い。
また、当寺はこの近くに建てられた広大(光台)寺の奥の院であり、通称 奥の院と呼ばれている。
龍象寺の西側に周囲3km程の大きな溜池があり、広大寺池と言う。
当寺の山門は藤堂藩古市陣屋から移され、帯解小学校の最初の校門となり、昭和三十年十月当寺に移転、文化財級として保存されている。
寺宝として光明皇后御自筆の経巻があったが、目下所在不明。
大和北部八十八ケ所霊場 第67番龍象寺。
柳生十兵衛と伝える墓、当寺のかっての境内地(現在は隣の野田家の土地)に、柳生十兵衛と伝える墓があります。
墓形は五輪塔です。
幕末の国学者藤木良弼の石碑が境内に在ります。
名前 |
龍象寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0742-61-6720 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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祈願して頂いた事があります。