方形の池の中に小さな円墳があります。
安康天皇 菅原伏見西陵 / / .
遠く少しわかりにくいが天皇の古墳にしたら、小さいかなでもこれが天皇古墳なのか?
第20代(生没 401年~456年(56歳) 在位 4年間)。
中国の『宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王興に比定されている。
阪奈道路からは見えない、細い道に面してひっそりと祀られています。
外周には細い堀が廻らされています。
5台ほどの駐車場は有りますが、いつもチェーンがかかっています。
グーグルのナビで行くと、拝所と真反対に出るので要注意。
一周できますが、途中で扉が二つあり、一つは抜き差し錠、一つは扉が針金の輪っかで止められています。
近くの神社を正面に見て、左に行くと池があります。
そちらからいくと拝所にすぐに行くことができます。
ふつう、天皇陵は前方後円墳だが、これは周りに堀のある方墳になっている。
あるいは、戦国の武将が中の部分を長方形に埋めて城にしたのかも知れない。
方形の池の中に小さな円墳があります。
第20代天皇。
阪奈道路から第二阪奈道路に分岐する山手にあります。
ちょうど奈良パークホテルの裏山にあたります。
「穴穂皇子(あなほのみこ)。
中国の『宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王興に比定されている。
允恭天の第二皇子。
母は忍坂大中姫。
雄略天皇の同母兄。
皇后は中磯皇女(中蒂姫命。
履中天皇の皇女。
もと大草香皇子の妃)允恭天皇が崩御した時、当時の皇太子の木梨軽皇子には近親相姦の前科が有ったために群臣は皆従わず、同母弟の穴穂皇子の側に付いた。
軽皇子は穴穂皇子を討ち殺そうとして兵を集めるが、群臣が離反していく不利な現況を悲嘆して、物部大前宿禰の家に潜んだ。
穴穂皇子が率いる兵に包囲され、大前宿禰の計らいで戦は避けられたが、軽皇子は自裁したため穴穂皇子が践祚した。
第20代 安康天皇 あんこうてんのう 道路沿いにある小さな参拝場所です。
名前 |
安康天皇 菅原伏見西陵 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.5 |
ひっそり静かな場所。