発掘するようにしなければならない時期に来ているので...
これといった特徴なく 何の感動も感じない。
応神天皇陵の陪冢です。
工場の敷地内(駐車場?)の少し入り組んだ場所にあります。
東高野街道側から見れます。
発掘調査の結果、元は一辺43メートル、高さ5メートルの二段築成の方墳であったようです。
かつては周壕を持ち、円筒埴輪や形象埴輪は大量に出土したそうです。
わかりにくい。
東高野街道側から、かろうじて見れます。
小山に石碑があります。
東側道路からなんとか確認できる程度です。
応神陵古墳の東側に近接して存在し、現在墳丘部分は「応神天皇陵古墳ろ号陪冢(ばいちょう)」として宮内庁の管理となっています。
昭和63年(1988)に墳丘の西と南側の発掘調査が行われ、墳丘の規模や外部施設について多くの成果を得ることができました。
その結果、墳丘の南西隅はすでに大きな削平を受けており、築造当初よりひとまわり小さくなっています。
もとは一辺43メートル、高さ5メートルの二段築成の方墳で、墳丘斜面には葺石(ふきいし)が葺かれていました。
また外堤には、円筒埴輪列がめぐっていたことが確認されました。
周溝内からは、奈良時代の土師器(はじき)や雨乞(あまごい)に使用されたと考えられる土馬、下層からは円筒埴輪や形象埴輪などが大量に発見されました。
案内板がない。
もずふるカードの為に行きましたが、こんなん絶対わからへん。
看板もありませんし、民家に囲まれてまず気づけないので、行かれる方は地図片手に注意深く周囲を確認してください。
住宅と住宅の路地裏で、分かりづらく、近所の奥様に教えて頂いた!案内標識を設置して欲しい!
解説板がほしい。
最近まで古墳とは知らなかった。
名前 |
栗塚古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
2.8 |
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・近隣の住宅建設により発掘された様ですが、宮内庁も歴史の解明の為にも陪塚や周堤くらいは、発掘するようにしなければならない時期に来ているのでは?多少進んでいる様ですが、まだまだですね。