成佛寺は、鎌倉時代の創建と伝えられる浄土宗の寺です...
開港当時外国人宣教師の宿舎になっていたお寺。
ローマ字で有明なヘボンさんもいました。
成佛寺は、鎌倉時代の創建と伝えられる浄土宗の寺です。
徳川三代将軍家光の上洛に際し、宿泊所の神奈川御殿造営のため寺地が現在地に移されました。
安政6年(1859)の開港当初はアメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ヘボンは本堂に、ブラウンは庫裡に住んだといいます。
ヘボンはヘボン式ローマ字で知られ、日本最初の和英辞典を完成した。
また、ブラウンは聖書や賛美歌の邦訳に尽力しました。
旧神奈川の宿場のお寺。
ローマ字や目薬で名を馳せたヘボン博士が寄宿したお寺と有名です。
明治生まれの私の父の葬儀の時、先々代の方丈様が、「戦争時に傷んだ寺の修復を、骨身惜しまずやってくれた」と語ってくれました。
そのお墓も私で途絶えます。
当方齢八十過ぎでもあり、現ご住職様に永代供養をお願いしている最中です。
親不孝極まれりです…。
京急線に乗っていると見えるお寺です。
隣に墓地があります。
現在は浄土宗の寺院で、1200年代後半の創建と古い。
眞言・佛心・律・淨土の四宗兼帯寺院だったという不思議な成り立ちをしている。
開山した覚心は、没後亀山天皇から法燈国師と謚名を与えられた他、後醍醐天皇からは円明国師と謚名を与えられた名僧。
また、徳川家康入国の際には慶長年間に寺領10石の朱印状を拝領、徳川三代将軍家光の上洛に際し、宿泊所の神奈川御殿造営のため寺地を現在地へ移転したといいます。
天皇家や徳川幕府とも深いつながりがある歴史ある名刹のようです。
安政6年(1859)の開港当初はアメリカ人宣教師の宿舎に使われていました。
入口には碑が建てられています。
ヘボン式ローマ字で有名なヘボンも住んでいたそうてす。
浦島太郎が流した涙によって出来た涙石のあるお寺です。
浦島スポット。
ヘボンの宿舎だった、という他には「涙石」と呼ばれる石が。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎が腰を下ろし、過ぎし日を偲んで涙を流したとか。
立派な赤い本堂があります。
ヘボン先生がここに居を構えていたとは知りませんでした。
横浜にはこうした歴史たる建造物や人が沢山関わっているんですね。
謂われの書いた案内板もあります。
流行り風邪が落ち着いたらまた夏にお世話になります。
ローマ字で有名なヘボンの宿舎に使われていた寺。
京急線の隣にある浄土宗のお寺。
入口を入ると、正面に大きくて立派な本堂があります。
ヘボン式ローマ字表記を考案したヘボンさんが幕末にここに泊まる。
我が家の菩提寺でお墓も有ります とても落ち着いた静かなお寺です お掃除も行き届きいつも気持ち良くお参りしています❗
ここの住職は若いけれど後継者として頑張っています。
開港当初アメリカ人宣教師の宿舎に使われていて、ヘボン(ヘボン式ローマ字の創始者)が住んでいたことでも知られています。
その成仏寺の境内に、「涙石」と呼ばれる不思議な形の石があります。
これは、竜宮城から帰ってきた浦島太郎が腰を下ろし、過ぎし日を偲んで涙を流したという伝説が残る石です。
不思議なことに、潮が満ちてくると湿気を含み、表面が濡れてくるとのことです。
もしかしたら石の表面の無数の筋は、浦島太郎が今でも流し続ける涙の跡なのかもしれません。
ローマ字のヘボンさん滞在した歴史的なお寺。
「神奈川宿歴史の道」の案内板があります。
開港当時、アメリカ人宣教師の宿舎に使用されていました。
開港時、アメリカ人宣教師の宿舎。
ヘボン博士(ヘボン式ローマ字ておなじみ)も住んでいた。
浄土宗の寺院。
幕末の開港時代には外国人宣教師の居住地とされました。
電車からも見える大きな本堂が印象的な寺院です。
神奈川駅の北東側に有ります。
綺麗なお寺です。
ヘボン式ローマ字のヘボンさんが明治に住んでました。
歴史あるお寺さんなんですネ。
名前 |
成仏寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
045-441-2492 |
住所 |
〒221-0046 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町10−10 |
関連サイト |
https://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/shokai/rekishi/spot/zyobutuzi.html |
評価 |
3.8 |
こちらは2024年04月02日の訪問となります。
東神奈川の寺が密集した区画の一つ。
1200年代終盤創建で、浦島太郎の涙でできた石とされるものがあります。
ここは下田開港当初、アメリカ人宣教師の宿舎となったそうで、その際、日本語塾が開かれたとか。
宣教師のブラウンさんは聖書や讃美歌の和訳に尽力されたそうですね。