夏の陣で討ち死に間際に「戒むべきは酒なり」と言い残...
本田忠勝次男、大多喜藩主、本田忠朝。
大坂冬の陣で陣中酒を飲んでいて敗退、夏の陣で戦死。
死後、酒封じの神として崇められ、禁酒したい人たちが集まる。
本多忠勝の次男にして上総大多喜藩主、本多忠朝の墓。
一心寺の境内に在ります。
文武両道に優れ、関ヶ原の戦いでは刀が曲がって鞘に収まらなくなるほどの奮戦ぶりを家康に賞されます。
また領内の検地を実施、新田開発を進めて藩の基盤安定に尽力しました。
大坂冬の陣において深酒にて不覚を取って敗走して家康に叱責されたため、夏の陣では汚名返上を期して徳川軍先鋒を務め、四天王寺の南に布陣していた毛利勝永隊に正面から突撃しますが、敵の鉄砲隊などによる猛攻にさらされて隊は壊滅、忠朝も前身に20箇所を超える傷を負い、壮絶なる最期を遂げました。
酒断ちに御利益。
酒断ち祈願の絵馬がたくさん掲げられています。
日本の歴史に思いを馳せさせられます。
謂れ,大坂冬の陣。深酒で不覚をとり敵の猛攻に遭って敗走。真田丸にいいように翻弄され、更に持ち場の変更を徳川家康に願い出た。「親の平八郎(忠勝)に似ず柄がでかいだけで役に立たぬ」と家康に罵倒された。翌年の大坂夏の陣。兵千ばかりにて徳川の先鋒を務め、毛利勝永に相対した。前年の名誉挽回とばかりに死を覚悟して突撃。馬上で指揮を執っていた本多忠朝に銃弾が命中する。暫し奮戦するも本多忠朝は20箇所以上の傷を負い落命(享年34歳)した。深酒により命落するコトになった忠朝、その因果を含め「断酒に示現あり」として、願掛けにしゃもじ(何故?)を奉納するらしい。
夏の陣で討ち死に間際に「戒むべきは酒なり」と言い残したことから「酒封じの神」とされる。
https://goo.gl/4NgPrQ
名前 |
本多忠朝の墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6771-0444 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:00 |
評価 |
3.7 |
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