当時蝦夷の地であったこの地を藤原宇合が蝦夷の勢力を...
お墓参り登り降りが大変ですが⁉️仕方ないのかな❗️急斜面には手摺りがあり助かった❗️
山ひとつが墓園です。
檀家も多く、手入れも行き届いて気持ちいい感じ。
間もなく彼岸花も咲き、お彼岸墓参を出迎えてくれます。
おばあちゃんが眠っています。
急勾配で階段が多いため登るのは大変(▲☆)ですが海の眺めは安らぎと教訓を呼び起こします。
杉山ですが落ち葉もきれいに掃除されていて住職の皆さんもとても優しい方で、いろいろ教えてくれます。
気仙沼の由緒あるお寺さんです。
山にあるお寺なのでお墓参りは体力、気力が必要です。
坊主丸儲けの言葉がピッタリの銭ゲバ汚尚さん。
天台宗別格本山だけあって見応えのある寺です。
階段はあるものの、駐車場から近くて便利。
オレンジ色が特徴的な観音堂には県指定文化財が納められています(平常非公開)
お墓参りにきました。
天台宗、別格本山です!裏山に千代が丘霊園があります!
東北三灯のひとつだそうです。
落ち着いた雰囲気、駐車場からかなり階段を登っていくのでお墓参りは気合いを入れて下さい。
創建は和銅年間(709)、当時蝦夷の地であったこの地を藤原宇合が蝦夷の勢力を鎮圧しその首塚を南流山に祀ったのが始まりという。
その後、行基が巡錫して観音像を彫り、円仁(慈覚大師)が堂宇を建立し海岸山観音寺と称した。
源義経が平泉に幽棲していたおり、皆鶴姫の菩提を弔うため観音堂を建て、瑞国海岸山観音寺と改称した。
延暦寺の末寺で、最澄が根本中堂にともした「不滅の法灯」を受け継ぎ、本堂には灯明が灯されています。
不滅の法灯は全国に七寺にあり、山形県の立石寺・岩手県平泉の中尊寺と並び東北三灯に数えられている。
義経(牛若丸)は、京都鞍馬寺の鬼一方眼(きいちほうがん)のもとで文武の修行をしていた頃、方眼の娘「皆鶴姫」に惹かれ恋仲になった。
方眼は我が国にひとつしかない中国伝来の兵法書を持っており、義経はこれを見たいと望んだが叶わなかったため、皆鶴姫に頼んだところ、姫は父に内緒で兵法書を義経に手渡し、義経はこれを持って奥州平泉へと旅立った。
方眼は激怒し、皆鶴姫を小さな観音像と一緒にうつぼ舟に乗せて九十九里浜から島流しにした。
姫は、気仙沼の母体田(もたいだ)、または松岩の阿弥陀ヶ鼻(松崎前浜))の浜に漂着した。
信仰に厚い地元のおじいさんとおばあさんの世話により元気を取り戻していった。
暫くして、皆鶴姫は男の子を出産したが、産後の日だちが悪く、日に日に弱っていった。
その頃、平泉で過ごしていた義経は皆鶴姫の夢を見、正夢と信じた義経は馬を走らせ急いで母体田の浜に向かったが、義経がたどり着いた時には息を引き取っていた。
義経は、忘れ形見の男の子をおじいさんとおばあさんに頼み、平泉に戻ったが、後に観音堂を建立し観音像をまつって皆鶴姫を弔ったとされる。
一関市室根町の皆鶴姫神社では、皆鶴姫は気仙沼から義経を尋ね室根町に着ついたところで息絶えたとのと言い伝えがあり、皆鶴姫を祀っている。
落ち着いた雰囲気、駐車場からかなり階段を登っていくのでお墓参りは気合いを入れて下さい。
名前 |
海岸山 観音寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0226-22-0247 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
整備整頓がいきとどき石仏が多かったです🎵年代物から最近かな⁉️でも表情が違うんですよねぇ☺️