とっても無名な伏見の大仏。
目的地を間違えてしまいでも、お庭がとても落ち着いていて癒される。
少将と小野小町のロマンス感じる真言宗の寺院だったが、応仁の乱後、曹洞宗となり「伏見の大仏」と呼ばれる毘盧遮那仏や道元禅師の石像など安置しております。
全国にある小町由来の史跡を訪ねる一環で訪問。
学問的な証明資料はないので、「あぁ、そうですか」程度。
静かなお寺。
色んな種類の植物がたくさんあり、サクラ🌸が咲き始めていました。
伏見稲荷大社から南下し疏水沿いを歩くと墨染の欣浄寺(ごんじょうじ)に達する。
歌人 上野峯雄(かみつけのみねお)が藤原基経(891年)死去の際、惜別の思いを歌ったところ、桜もその心にうたれ墨染め色に咲いたという。
それに因み墨染とう言う地名がつけられたという。
また、ここは桓武天皇から邸宅地として深草少尉に与えられたという。
この深草少尉は小野小町と恋仲にあり、今も両者の供養塔が並んでいる。
小野小町に100回来られれば、あなたとの思いを遂げると言われ、通いつめたのだが、なんと無情にも99回目に墨染から小野小町が居る山科の邸宅迄の場所で、折しも夜の猛吹雪の為、深草少尉は凍死してしまった・・・・❗️百夜通い(ももよのかよい)として謡曲で有名になっている。
ここには、なんと小野小町は、もらった多くの恋文を燃やし、土と混ぜて作った深草少尉の像が置かれている・・・。
現代においては、当初この大岩街道を京都市と山科につなげる道路を考えていたのだが、道路公団側が上記の理由で不吉で忌みきらい、現在の五条通り線上に拡幅し幹線道路と成したらしいとも言われている。
伏見にある大仏寺。
めずらしいし、静かで趣あります。
🌟
実は伏見に大仏がある。
京都見尽くした観光客が調べつくした結果たどりつく場所。
一般公開はしているが特に宣伝等はしていないとのこと。
某大仏さんのように三大大仏などと僭称しないあたりがいい。
伏見醍醐の随心院に行った後、私の故郷である 伏見墨染の欣浄寺(ごんじょうじ)に行きましたが 拝観などはされていない時期なのか?小さな池のある御庭だけ見てきました。
此処は真言宗から曹洞宗になり 更に浄土宗から曹洞宗へと宗派を変えながら今に至る。
伏見大仏と言われる 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の お姿を拝見することは叶わなかったが、深草少将の屋敷だったこの地から 恋い焦がれし 小野小町が待つ 随心院門跡迄 百夜通(ももがよい)に通ったとされる 少将の通い道 (藪陰の道)や少将と小町の塚、其れに墨染井(すみぞめい)などが見られます。
昔、母親から教えられて拝観した、伏見大仏 小野小町塚も有り静かで物思いにふけって小町の心に触れました。
とっても無名な伏見の大仏。
お隣の墨染寺の桜祭の日に特別公開があり、大仏様の写真撮影も許可してくれました。
小野小町に恋い焦がれて百夜通いした深草少将の生家跡地としても有名❓奥深いお寺です。
びるしゃな最高。
毘盧遮那仏、
名前 |
欣浄寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-642-2147 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
日本橋から東海道57次を大阪高麗橋まで歩いています。
この日は京街道追分から淀まで歩き小野小町と深草少将の供養塔を見に立ち寄りました。
猛暑の日でバテて、本堂前で足を投げ出して休んでいると奥様が出てこられたので追い出されると思い「ちょっと休ませて下さい」と言うと心配されてペットボトルのお水を頂きました。
有難うございました。
元気出ました😂