境内は狭いですが立派な仏像があります。
境内はなかなか賑やかな雰囲気。
色んなお地蔵さんや石造物もあって 宝篋印塔もあって 古い ものもずらりと並び、 本堂もなかなか立派。
こういうお寺に来ると何か あったかい気持ちになる。
日照山と号する浄土宗のお寺で 創建、由緒は明らかではありませんが 古くは 高西寺と言っていたようです!室町時代に 洛陽六地蔵巡りの一つであったことは『資益王記』『親長卿記』などの日記により明らかで、今も本堂には 子安地蔵と呼ばれる地蔵尊が安置されているようです。
寺伝によれば この尊像は 近江(今の滋賀県)の堅田にあったものが、足利尊氏の帰依により この地に移されたものといわれ、足利義政の夫人 日野富子はこの尊像に祈って義尚を産んだと伝えられています。
室町時代は地蔵信仰の最も盛んな時代ですが 江戸時代になって『賽(さい)の河原和讃』にしめされている賽の河原が、この西院(さい)の地であると信じられ多くの信仰をあつめました!
2018年12月22日 訪問。
本堂は改修中でした。
工事の車両が狭い境内に停まっていて、もちろん本堂は足場に囲まれて、もう観られる状態ではありませんでした。
そんなところで、墓地へお供えに向かう住職と遭遇! ご朱印を乞うと 用事を済ませたあと 快く対応してくださいました。
見処は鐘楼に並べられた鬼瓦の数々。
普段屋根の上で下界を睨んでいる鬼の皆さんが、威厳を無くして床に転がっている姿は、なかなか笑えます。
改修中は改修中なりに楽しむことがあるものです。
こちらは淳和院という離宮があった場所なので、この辺りは御所の西にある院で西院というそうです。
鬼の話に出てくる賽の河原は、この辺りにあった河原(現在の春日通り)のことだそうで、このお寺には賽の河原という通称があります。
この辺りの地名にもなっているとても由緒ある浄土宗のお寺ですが、本堂の公開はされていないそうです。
境内は開いているので、本堂の外からお参りできます。
淳和(じゅんな)天皇改め、淳和院が退位したのちに隠居したのが、この地にあったというのだそうです。
淳和院の俗称の西院(さいいん)が、この地の名になったのですが、淳和院の邸宅跡は、現在の東淳和院町と西淳和院町に跨がっている規模の広大さだったそうです。
でも、邸宅跡を遺せなかったのは後悔されるべきですね。
此処は、かつては御土居が築かれて居た所とされて居ますが、此の寺を調査しましたが、それらしき痕跡は見当たりませんね、もしかしたら、大きなお地蔵さんの後ろある、小さな石仏が沢山ありますがそれがそうかな?
此処は、かつては御土居が築かれて居た所とされて居ますが、此の寺を調査しましたが、それらしき痕跡は見当たりませんね、もしかしたら、大きなお地蔵さんの後ろある、小さな石仏が沢山ありますがそれがそうかな?
名前 |
高山寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-311-1848 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
とてもキレイな寺院ですね!「賽の河原」雰囲気はありません!!