もう一つの側面が、南浦紹明(大應国師)の塔所である...
後宇多野天皇髪塔と言われていますが、もう一つの側面が、南浦紹明(大應国師)の塔所である。
案外と禅僧でも知らない方が多く、一度は訪れてみたいところ。
毎月大徳寺の僧侶の方々が丁重にお参りをされている。
(龍翔寺)鎌倉時代末期から室町時代中期にかけてあった龍翔寺の跡。
正式名は「瑞鳳山萬歳龍翔禅寺」。
後宇多野天皇が帰依をした南浦紹明(大應国師(1235-1309)鎌倉時代の臨済宗の僧)が入寂したため、その塔所(墓所)としてこの地に創建したのがはじまり。
その後、後宇多野法皇となり、落飾の髪が下賜され、普光塔(大應国師塔)の左隣に、後宇多野院塔が造営さらる。
応仁の乱以降衰退し、天文8(1539)に大徳寺の西に移建される。
壁が四方を囲んでいるため、方形堂の屋根しか見ることができませんでした。
堂内には無縫塔が安置されているそうです。
宮内庁書陵部の陵墓地形図集成によると面積は591.7㎡と記されています。
室町時代の京都十刹、龍翔寺(りゅうしょうじ)創建の地。
龍翔寺はその後1541年に大徳寺山内に移転され塔頭となる。
明治維新後の廃仏毀釈によって廃絶するが、1925年に天瑞院跡の現在の場所で再建された。
名前 |
後宇多天皇髪塔 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.2 |
右京区太秦安井池田町の住宅地の細い路地にひっそりとあるのが「後宇多天皇髪塔」になります。
非常に分かりづらい場所に正面入り口あります。
訪問時は、修復作業中で足場でおおわれていて、後宇多天皇髪塔を納めたお堂のような建物があるように見えた。
訪問:2023年2月17日。