神護寺を創建した和気清麻呂の御廟。
神護寺の昭和復興の際、京都の豪商山口玄洞の寄進により和気清麻呂の霊を祀るために建立されたそうです。
将軍塚とは 、平安建都の際 、王城鎮護のため粘土で作った武将像を西方 を向かせて埋めた 、と伝えられる地点といわれている。
冬至の日出 の位置にあり 、冬至の日の太陽はここから上るように見える。
平安建都に深く関わった和気清麻呂の墓は 、夏至の日の日入 の位置となる神護寺にある 。
そことこことの直線上に平安京遷都時の内裏(現在の京都御所の西側になる)がある。
ちなみに、冬至の日入 の方向には松尾神社が夏至の日出 には下鴨神社が建てられている、と言われている。
神護寺を創建した和気清麻呂の御廟。
平安時代造営とともに創建されたものです。
和気一族に招かれ最澄や空海といった真言宗の基礎を開いた高僧が入山しました。
名前 |
和気清麻呂霊廟 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
神護寺というと空海ゆかりの寺という印象が強いが、和気氏の寺として創建されたという歴史を持つ。
和気清麻呂は奈良時代に道教の簒奪を阻んだ人物として有名だが、けっこう長命で平安遷都にも関与している。
なお公を祀った社は神護寺にあったが、明治天皇の勅命で御所西の護王神社に遷座されている。