たどり着くまでに長い石畳の階段と坂がありました。
そうだ、京都行こうポスターになってた場所です。
同じようなアングルで撮ろうと思ったら脚立的な物が必要だなぁと。
笑とっても素敵な場所でした!開門と同時に入りましたが、出る頃にはかなりの人が増えてきていました。
人が少ない朝一番で入るのがおススメですね。
たどり着くまでに長い石畳の階段と坂がありました。
履きなれたスニーカーをお勧めします。
金堂には、靴を脱いで入ります。
高い天井に、荘厳な造り。
薬師如来、左右に日光月光菩薩。
近寄って拝見する事ができました。
多くの仏像があり、見ごたえがありました。
楼門は、修理中でした。
トイレは、洋式で清潔でした。
平安京を築いた和気清麻呂が、都の守りとして建立したとされています。
以来、空海や最澄といった多くの高僧が入山したとされています。
ご本尊薬師如来像です。
長い石段はむな付き八丁!まさに、生きている感じ!細かい事さえ忘れていました!
高山寺のついでに来ましたがここは意外とディープで面白かったです。
かわらけなげ?がアツい!どうでもいいけどこの辺で弘法さんが筆投げたら川の対岸の石に文字書いた…ていうイリュージョン的な伝説が好きです。
んなアホな…
寺の入口の楼門までにかなりの高さを昇らなければならないのですが、金堂の前にまたしても急な石段があり、足が弱くなっていらっしゃる方にはかなりキツイです。
堂内には国宝薬師如来立像をはじめ、素晴らしい仏様が数多く安置されています。
ぜひともその目で拝観しましょう。
グッドラック。
空海が住職として過ごしたお寺。
薬師如来像の鋭い眼差しは、全て見透かしているような気持ちになる。
空海や最澄が同じ位置に立ち拝んでいたと思うと、時間の流れがとても感慨深い。
住職が詳しく説明していただき、大変貴重な時間が過ごせました。
階段がかなり大変だが、金堂まで来れる健康と時間の有り難さを噛み締めることができる。
紅色の橋は結界となっており、一部の人は感じるそう。
弘仁三年十一月十四日、最澄は高雄山に空海を訪ね、翌日、空海から金剛界灌頂を受けている。
此処で、当代随一の名僧が、空海に弟子の労をとったことになる。
これにより空海の名声が高らかに上がる。
最澄はこれにより多くの密教儀式を学んだかもしれないが、空海の得た利益の方がさぞかし大きかったろうと想像するのは容易い。
この後、二十三日には有名な空海から最澄への絶交状というべき手紙が出されている。
空海の書いたメモがあります。
最澄の名前も。
「弘法も筆の誤り」ということわざの起源。
空海が書き間違えて上から塗りつぶし修正されています。
国宝の薬師如来立像は一本の木から作られているそうです。
国宝の伝源頼朝像、あの教科書でよく見た源頼朝の肖像画があります。
でも最近では足利忠義(足利尊氏の弟)を描いたものでは?と言われています。
だから「伝」ってついているんですね。
薬剤師のような(原文)藥師如來像。
堂々(原文)Imposant
Imposant
神護寺の金堂は入母屋造り、本瓦葺きの建物で昭和9年(1934)の再建だそうです。
内陣須弥壇中央の春日厨子内には御本尊の国宝薬師如来立像を安置しています。
その左右のには重要文化財の日光・月光菩薩像と室町時代の四天王像、十二神将像をお祀りしています。
薬師如来立像は平安時代前期の作で、両手先以外のほとんどを一本の檜の巨木から彫りだした純粋な一木造りの像だそうです。
もとは和家清麻呂が河内に建立した神願寺の本尊ともまた前身の高雄山寺の本尊ともいわれているそうです。
名前 |
神護寺金堂 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-861-1769 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.6 |
そうだ 京都へ行こうその絵は どう撮ってるのかなでも ここだ 京都に来た❗ そんな感じ⭕綺麗な紅葉🍁があっちこっちにありました✨長い石段を登ってくる価値あり。