本堂で説明を聞かせていただきました。
歴史の舞台になった本能寺。
織田信長公の墓標があります。
御朱印帳はかなりかっこ良いデザインです。
現在は刀剣のイベント開催しているようですので、訪れるには良いタイミングです。
最寄駅からすぐです。
近くには沢山のレストランやお土産屋さんが、あるので観光ついでぐらいでも大丈夫です。
歴史好きなら、立ち寄りたい寺院。
なので行ってきました。
商店街に面していますが、それほど人混みではなく、ゆっくり参拝できました。
当然再建された物ですが、本堂の中に入って、拝む事ができました。
良いお寺さんてした。
信長ファンとして初来寺。
本堂、信長公の供養塔、おおいちょう、宝物殿、(の中で 信長公の絵図、信長公所持の太刀の数々、三足の蛙 )を見ました。
まず最初に見た信長公の供養塔の石塔の下には使用していた刀が眠っているらしく〜ここにですかぁ。
次に行った宝物殿では実際所有していた太刀がガラス越しに!! ( 撮影❌です )同じく宝物殿には、ここにしかない信長公の絵図。
ヒゲが無いのが特徴らしいのですが、それよりも何よりも本当にお顔が怖い💦大ファンなのですが、眼力が凄すぎて見るだけとはいかず、思わず心中で名乗ってしまいました。
怖さMAXです。
やっぱりそうですよね~時代の先駆者ですからね〜💦宝物殿では本能寺の変時に使用した刀の復元が出ていたりしてとても興味深く見学できました。
1部撮影出来る太刀があったのと、撮影用の蛙はパチリとしました。
その他、森蘭丸所有の太刀も展示してありました。
長いです。
先日太刀を持ってみる体験をした時には脇差しサイズの5キロしか持てませんでしたが、7〜8キロありそうです。
戦国武将はとても上半身がムキムキだったんでしょうか?とにかく訪問出来て最高に幸せでした。
適当に散策してたら歴史の大舞台になった寺院に遭遇。
京都って本当にすごいところですね。
本能寺の変の本能寺がここだったとは!もっと山奥にあるイメージでした。
いってきました。
別館に入りたければ700円を払うシステムのようDEATH御朱印帳がカッコいいDEATHね京都市役所を下る、御池通を南に中信を東に下ると直ぐDEATHアーケード街にあり周りは高い建物ばかりDEATHね。
気づかずに通り過ぎてしまう勢いDEATH中はお寺さんで右側に入ると、信長公の御墓があります。
イチョウも素晴らしい。
17時に閉館DEATHが16時50分に門を閉めてましたね市街地にある為、見落としてしまうのと、敷地が大変狭いので、清水や金閣寺の感覚ではないDEATH滞在時間も30分くらいですかね。
別館に行かなければ無料DEATH信長公の御墓、イチョウの木をまっすぐ行く細い路地。
この通りを行くと市バスの停留所にいけます!!
織田信長の本能寺の変で有名な本能寺です。
街中にあります。
歴史上の場所からは、移動しています。
正門には、日蓮上人の像があります。
本堂に入ると、正面に法衣を着られた日隆聖人様が居られ、ちょっとビックリ😯 緊張します。
大賓殿宝物館では、信長公の鎧や刀剣が展示されています。
境内には、信長公のお墓もあります。
また、薬研藤四郎の刀を持った織田信長が描かれた、限定御朱印もいただけます。
また、保育園児のお散歩コースにもなっているようです。
夜は中には入れませんでしたが、ホテルが近かったので翌日再度訪問して参拝しました。
アーケード商店街の中にあるのですが、今まで気づかずに5回は素通りしてました(笑)本能寺ってこんな所にあったんですねー。
御朱印は見開きサイズの書き置きのものと通常の手書きのものが2種類ずつありました。
織田家の家紋入り御朱印帳カッコいい!でも2日前に新調したばかりなので購入断念。
明智光秀の【本能寺の変】で織田信長が自害したという歴史があまりにも大きく有名過ぎて、本能寺が日蓮大聖人の教えを弘める法華経のお寺とあまり知られてないようです。
1415年の第1回目の建立から焼失、建立を幾度も繰り返し、1928年第7回目の建立で現在の姿に至ります。
1582年の【本能寺の変】で焼失したのは4度目に建立されたもの。
しかし現在の渋く重厚な本堂を目の前にしても非常に感慨深いものがありますね。
奥には信長公の公廟がひっそり佇んでいます。
今でも根強いファンが志し半ばで自害した信長公のお墓参りに常に訪れているようです。
明智光秀公の首塚に行った後に導かれるように本能寺にもお参りさせてもらって来ました。
御朱印かっこいいですね。
家紋とデザインのカッコよさに御朱印帳と御朱印袋買ってしまいました。
御朱印帳が2000円、袋は1000円でした。
信長公の刀展やってました。
入ってませんが。
2022/5/28に参拝。
1415年建立、法華宗大本山です。
過去に5回の焼失、7回の再建をしています。
今の本堂は1928年の建立です。
日本人で知らない人はいないと思うくらい有名だと思いますが、織田信長が自害したお寺です。
但し現在地は当時の場所からは移転しています(当時の場所は堀川高校の東)。
賑やかな寺町通商店街の一角にあり、やや俗化している感はありますが、歴史ファンならずとも、一度は訪れてみたいと思ってました。
しかし境内にある「ホテル本能寺」にはちょっと違和感を感じますが…本能寺の変が起こった6月2日は「信長公忌」として法要が行われます。
2022年7月に河原町の繁華街を北へ向かって何気に本能寺と目にしたので入ると織田信長公御廟所があってびっくりしました。
大河ドラマの麒麟が来るの舞台となった本能寺の変はここで起きたのでなく、豊臣秀吉の命で寺町通りに移築しここで信長の供養塔を建てました。
実際の起きた場所は蛸薬師通りと油小路通りの交わる堀川高校付近に石碑があります。
さっそく織田信長公に参拝しました。
歴史のロマンを感じました😀織田信長と明智光秀はどんな心情で本能寺に対峙したのだろうか?明智光秀は本当に天下が取りたかったのか?ここに移動して再建した豊臣秀吉はどう思ったのか?謎多き場所だなと感じました。
織田信長終焉の地。
歴史上有名な場所は案外、街中にあります。
河原町の繁華街を北へ寺町通を御池通方面へ進み、昔ながらの商店街のなかにあります。
宝物館のみ有料、小さな駐車場もある。
大きな寺院で、ここもある意味都会の中のオアシスな場所。
「敵は本能寺にあり」の本能寺の変の舞台に思いを馳せて見るのも良いかと。
繁華街に近く、日本史上な大きなポイントの地でもあるので、もっと有名観光地化しても良さそうにも思いますが、立地条件なのか、他の多くの観光スポットの京都の寺社仏閣の中に埋もれてしまうのか、案外ひっそりとしています。
京都市役所の真ん前のホテル等の建物の裏にあり。
実際の本能寺の変後に移築された。
信長公廟があり。
現在、能の寺はヒヒの部分が火を連想されるとの事で、去に変えた当て字となっている。
2021年9月11日初めて訪問。
本能寺の変の舞台として有名な法華宗本門流の大本山の寺院。
本能寺は日蓮大聖人の教えを弘める法華宗本門流の大本山であるという事は以外と知られていないようです。
また、法華宗は日蓮大聖人により人々に「南無妙法蓮華経」を信奉させました。
本堂の脇に7つの塔頭寺院があります。
本能寺に給仕する子院です。
商店街の中から突如として現れるので、趣深さはあまりないかもれません。
1591年豊臣秀吉の命で現在の地へ移転したらしく、元々の場所は現在の京都市立堀川高等学校本能学舎と高齢者福祉施設本能らしいです。
『拝観料』無料朝一だったので他には誰もいませんでした。
まさか京都のこんなに町中に「本能寺」があるとは思ってもみなかったので驚きです。
歴史を知らなければ通り過ぎてしまいそうなお寺ですね。
当時のお寺からは移動しているとのことですが…このお寺が無かったら日本はどうなっていたのかな?何て思いを馳せながらお寺の中を拝観させて頂きました。
全国にいくつもある本能寺の大本山のところ。
東側と北側からも狭い通路で境内に入ることが出来るが、正式な参拝路は西側の表門から入る方。
寺院内は閲覧が可能。
元々本能寺は四条大宮の方の今は元本能寺町と言うところにあったが、本能寺の変の後、秀吉の命により、今のこの京都市役所の辺りに移された。
よって信長が打たれたのはこの場所ではない。
地下鉄東西線の京都市役所前駅から、徒歩2分でアクセス可。
天正10年(1582年)6月2日、本能寺に滞在中の織田信長を明智光秀が急襲…令和3年2月7日、NHKの麒麟がくる、最終回で歴史的なドラマを放映。
いやぁ面白く見させて頂いた。
光秀役の長谷川博己がお告げが有った、我が敵は本能寺にあり、名は織田信長と申す(刀を抜いて)わしが間違うておるなら、今すぐわしの首をはねよ一方、信長役の染谷将大は火を放ち、弓矢を胸にうけながら十兵衛か、そうかわははと笑って、そして涙してであれば是非も無しいやぁ、かっこ良かったわ✨光秀を主人公にすると、こういう見方になるか、と感心した後、ナレーションで桑子さんが歴史的ドラマの起こった場所を説明する。
今の本能寺から、歩いて20分程、堀川高校の近くに「此付近本能寺跡」の石碑のみ。
ポツンと建っているから想像力が増すわ✨さて、このお寺であるが、本能寺の変の7年後、秀吉の命令でここ現在地に移されたとか、焼かれた故に何が残ったのか、宝物館(入館500円)には信長愛用の刀や突然知らせた三つ足の香櫨等があるから、興味の有る人はどうぞ✋
境内に駐車場🅿️が有りました。
無料か有料かは分かりません…ちなみに無料で【本堂】の中に入れ、信長が見たであろう仏像を拝見することができ、他には【信長のお墓】や本能寺の変で火事を消したという【銀杏の木】等々が見れます。
有料にはなりますが、【宝物館】では信長が所持していた【刀⚔️】や【茶器🍵】森蘭丸が所持していた【刀⚔️】等々も見ることが出来て良かったです。
法華宗の大本山 本能寺 有名過ぎる御寺さんですが、意外にコンパクトな佇まいです。
寺町 街のアーケードの入り口直ぐに鎮座しています。
総門は国の有形文化財と為っており、信長公の御廟所は境内の奥になります。
本能寺に纏わる書巻や寺宝、信長公が集めた茶道類具などが、展示された「大寳殿」には、信長公所持の太刀の数々、本能寺の変が起こる前に突然鳴き出し信長公に異変を知らせた「三足の蛙」をモチーフにした香炉等の興味深い展示物が有ります。
本日は、?!?法要とかで一般の方でもお参りが出来るとの案内がありました。
境内は、素晴らしく綺麗に清掃がなされていました。
京阪三条からグーグルマップで行くと裏口に誘導されてとても分かりづらかったです。
本堂の白い像は珍しいです。
取り立てて見所はありません。
本能寺になります!元は本能寺ホテルの立っている所にあったらしいです!御朱印は2種類あります!三つ足の蛙は見ましょう!尚写真は、レプリカです!本物は、撮影不可でした!尚本当の本能寺は、数10分歩いた所に本能寺跡の石碑があります!現在老人ホームになってます!それが初代本能寺です!
京極のアーケードの北にあります。
2021年2月7日、大河『麒麟がくる』の最終日に参拝しました。
明智光秀公の御朱印袋を記念に購入しました、カッコいい!です。
織田信長が最期を迎えた場所として、戦国時代の歴史を語る上で必ず出てくるあまりにも有名なお寺です。
地下鉄の京都市役所前駅からすぐということで行ってみました。
・・・すぐのはずなのに、駅を出て見えるのは広い御池通りと高層ビルばかりで寺らしきものは皆無。
で、横道に入ると入口ありました。
人しか通れないような狭い通路でした。
(ただそこは裏口だったようで、表側はちゃんと門もありました)敷地は広いとはいえないものの本堂などの建物も立派でした。
ただ敷地のすぐ隣に高層ビルというのは、一般的な寺院とは一線を画している感もありましたが^^;参拝料はかかりませんでした。
ツアーだったので住職の話しが聞けました。
ご焼香とお墓参りしました。
火縄銃を持って見ました。
貴重な体験です。
境内に駐車場があり車が入って来るので注意しましょう。
自転車も走ります。
中だと油断は禁物。
秀吉さんが移築したものですが、見れて良かったです。
京都市役所近くにあります。
商店街の入口に有りました。
ここの信長さんのお墓には信長さんが使っていた刀が埋葬されているとか。
明智光秀さんが言ったと言われている『敵は本能寺にあり』で有名ですが、それは明治時代に出版された本の中に書かれていた文章が有名になっただけで実際にはそんな事は言わなかったそうです。
因みに信長さんの身長は165センチほどで髭は、あまり濃くはなく、酒はほとんど飲まなくて遠くまで届くような甲高い声だったとか。
自治体の相談電話で聞いた概念が不明瞭で仏教用語みたいなので、ご本山に御電話しお聴きしたら、突然の内容にも関わらずお坊様がご親切に対応して下さりました。
有り難うございます。
味方は本能寺にあり🐜?
岐阜県山県市にある明智光秀でのお墓を見て、明智光秀が攻めた本能寺も見たいなって思って訪れました。
私が思い描いていた本能寺は山の上にあるイメージだったが、平地?河原町商店街という商店街の中にあった。
しかし調べ直してみたら今ある位置の本能寺は、「本能寺の変」が起こった場所ではないらしい。
秀吉の京都大改造で現在位置に強制移転させられたのだとか。
その後本能寺ホテルを見て、昔も結構街に近いところにあったお寺で、信長さんは京都に来たらここに泊まっていたことなど知りました。
中は見れませんでしたが、御朱印は書いていただけました⑅︎◡̈︎*
日蓮が始めた法華宗のお寺です。
本能寺の変で有名ですが、秀吉の命により寺町通に移転、再建されました。
大賓殿宝物館には日蓮真筆のお曼荼羅などの寺宝のほか、信長や秀吉とかかわりのある書状、信長の茶器、刀などが展示されています。
週末には甲冑をつけて写真を撮ることもでき、子供連れでも楽しめます。
本能寺の変の時に鳴いて異常を知らせたと言われる三足の蛙と麒麟の香炉です。
歴史やゲームでは本能寺の存在を知っていましたが実際に行ってみて驚きました。
建物の間と間にある!!かなり目立たない感じで由緒あるお寺には一見見えないんですが、中はかなりお寺お寺していて、戦国無双でプレイしたマップの通りで感動しました(ゲームの話ですみません)洗練されていて、所々消化水槽が置いてあるのが本能寺が焼けてしまったことを意識してるのか、歴史で習った内容を彷彿とさせます。
お寺の中に住職さんのお屋敷があって、ここに住まわれていらっしゃるのかな?見つけづらい場所にありますが、かなり楽しめました、行って良かったです。
歴史好きにはぜひ!
グーグルマップを使って探したのですが兎に角、場所が分かりづらい。
私は本能寺周辺を10分位ウロウロしました。
で、人がすれ違える位の細い道を通るとようやく到着です。
本堂は大きいですし、信長公の廟は流石と言えるのですが、何か知りませんが境内内?に車の駐車場(縦に積んでるタイプ)がありました。
自分は境内に車?が頭に踊ってしまいました(笑) どうも本能寺には3箇所入口があってその一つが車の駐車場しているみたいです。
仕方ないんでしょうが境内の神聖な場所に車?と思ってしまいた。
本能寺ホテルは?って聞いたら友達に馬鹿にされた。
歴史。
現在の本能寺なので実際に信長が最期を遂げた寺ではありません。
そういう意味では歴史的価値は低いですが、本堂の立派さや裏の信長や蘭丸らの供養塔は必見の価値あり。
(18/02/24)御首題御朱印をいただきました。
(15/09/23)妙法御朱印をいただきました。
法華宗本門流の寺院。
寺格:大本山本尊:三宝尊本能寺の変の舞台1591年(天正19年)豊臣秀吉の命で現在の寺域へと移転させられました。
地下鉄東西線:京都市役所前駅より250m。
地下鉄烏丸線:烏丸御池駅より1.0km。
市営バス:京都市役所前バス停より230m。
宗教的、歴史的価値はともかく、京都の街歩きに疲れたときにホッとできる場所。
寺町通よりすっと入っていてベンチで缶コーヒ飲のがよい。
11月から2月の京都はちょっと寒いが乾燥した空気が気持ちよい。
そして基本晴れているのでさらによい。
織田信長で有名なお寺ですが、何気に京都の街並みに溶け込んでいるような親しみを感じます。
京都の他の神舎仏閣とくらべ観光地化されていないませんので、秋の行楽シーズンでも風情があります。
東山付近は冬でも着物のような浴衣を着た外国人風の方が自撮り写真を撮っていますが、こちらはそのような方も少ないように思います。
何故か入場料も徴収していないので、バスの1日パスがあれば行ってみたら良いと思います。
本能寺そのものは歴史教科書やドラマなどで知名度が高いので、京都観光の土産話ネタにもなります。
河原町商店街からでも歩いていけますので是非ご参拝いただければと思います。
なんと言っても信長の最期に想いを馳せながら様々な想像ができる価値ある空間です。
織田信長の墓があり、合掌🙏資料館もあり本能寺の資料や織田信長の事も学べるから良かった(^-^)
1582年「天正10年」6月2日織田信長はこの本能寺で、家臣の明智光秀に裏切られ自害した「本能寺の変」で有名なお寺です。
光秀の謀反と知ると「是非に及ばず」と言い、13000人の明智軍と戦いました。
この時信長の側近は100人でした。
信長は、はじめは弓で攻撃しましたが弦が切れると次は,槍で攻撃しましたが力尽きて、信長は本能寺に火を放ち自害しました。
信長の嫡男織田信忠も二条城で交戦の末自刃しました。
これにより織田政権は、崩壊してしまいました。
信長縁の場所を一度訪れてみたかったもので。
新しくはあるんですが、お金払えば御供養もできます。
左手に本能寺ホテルの裏側が見えます。
本堂で説明を聞かせていただきました。
とても分かりやすくご説明くださいました。
宝物館は必見です。
名前 |
本能寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-231-5335 |
住所 |
|
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評価 |
4.0 |
寺町商店街の御池通側からの入口近くにあるお寺です。
ちょこちょこ観光客の方々が参拝されてますが、観光地としては空いてる方だと思います。
本能寺の変で有名なお寺ですが、本能寺の変があった際の本能寺の場所は四条堀川あたり、小川通蛸薬師にあったようで今の場所とは異なっていたそうです。
とはいえ、お寺としては歴史もあり立派ですし、2024年9月時点では日本刀展や映画上映等様々なイベントもされてるので、是非立ち寄ってみていただけると良いと思います。