法華宗真門流の総本山。
法華宗総本山 本隆寺 / / / .
法華宗真門流の総本山。
天文11年(1542)に現在の地へ移転して以降、数々の大火から焼失をまぬがれ「不焼寺(やけずのてら)」とも呼ばれている。
境内に立つ「夜泣き止めの松」の葉や木の皮は、子供の枕下に敷くと夜泣きが止むといわれている。
春は桜、夏はサルスベリと四季折々に楽しめるお寺である。
2024.2月現在、工事中。
令和二年 7月24日 京都初夏の旅本隆寺改修工事の真っ只中でした(⌒-⌒; )また、終わったら訪問させていただきます♪
本堂などの大改修工事を行っており、 まだしばらく続きそうな感じ。
全ての工事が終わったら是非とも改めて行ってみたい。
写真のみの投稿です。
日蓮系の法華宗真門流の総本山です。
西陣のそばにある日蓮宗の大きなお寺です。
本堂は現在修理中で見る事は出来ないですが完成したら是非行って欲しいお寺です!
お寺の周りは良いロケーション。
当寺は、慧光無量山本妙興隆寺(略して本隆寺)と称し、日蓮門下京都十六本山の一で、法華宗真門流の総本山です。
開山は中山大納言親通卿の子、日真で、後柏原帝より大和尚の称号を下賜されました。
長享2年(1488)堂宇を四条大宮に創立しますが、四代日映のとき、天文法乱のため諸堂焼失、1542年、杉若若狭守旧地の現在地に建立しました。
十代日遵の時、京都御所の炎上により類焼、明暦3年(1657)名匠坂上作左衛門が再建、以来享保15年(1730)、天明8年(1788)の二度に京都大火は、西陣一帯を焼野原としたが、当寺は、奉祀している鬼子母神の霊験によって焼失をまぬがれ、「不焼寺」として有名であります。
境内3300坪に西陣五井の一の名井「千代乃井」及び七代目脩に由来する「夜泣止松」があります。
本堂、祖師堂、客殿、三光殿、鐘楼、経蔵、宝蔵、南門、塔頭八ヶ院等の諸堂を有し、宝物には、日蓮上人真筆大曼陀羅、法華玄論、十六羅漢絵像、名器三管、法華経七万字版木等があります。
本隆寺は、東は智恵光院通、西は浄福寺通、南は五辻通、北は上立売通に囲まれた大きなお寺です。
子供の頃は、恰好の遊び場でした。
平成28年から大規模な補修工事が行われています。
「夜泣き止めの松」の伝説です。
信長が天下平定のちょっと前のお話です。
境内本堂わきにある一本の松別名”夜泣止めの松”にまつわる話です。
その当時、本隆寺に日諦上人という偉い坊さんがいました。
ある夜、本堂でおつとめをしていると、若い女性が乳児を抱いてけ境内に立っていました。
長い黒髪、白いハダの美しい女は、うつむいてしくしくと泣いていました。
あくる日も、次の日も同じ事が数日続きました。
最初は気にも止めなかった上人も、女のあまりの美しさと涙が気にかかり、ある夜に声をかけた。
「どうしたのじゃ、わけを話してくれんかのう。
わしで役立つことならば・・・・・・」「はい、実はわたくし、一週間前に死んだもので御座います。
ところがこの子のことが気にかかり、成仏できませんだからこうして夜になるとふびんなわが子を抱いて・・・・」「うん、そうじゃつたのか。
よし、わしがその子を預かって、しんぜよう、仏門に入れて立派な坊ささに育ててつかわす」「ほんとうに、ほんとうに預かって居ただけるのですね」女ははじめて笑顔を見せ、また泣いた。
そして上人が子供を受け取ると”パッ”と姿を消してしまいました。
その子は寺ですくすくと育ったが、母が居ない為か夜になると、”夜泣き”して上人を困らせた。
そのたびに上人は本堂横の松の木の周囲をお題目をとらえて廻った。
すると不思議に子供は泣き止んですやすやと眠りについた、という。
この子はのちに、日修上人という立派なお坊さんなって寺の繁栄に尽したというお話です。
この伝説から、松の葉を家に持ち帰り子供の枕の下に敷いてやると夜泣きがぴたりとなをる、と言い伝えられ、戦前までは松の木が枯れるかと思うほど手のとどく下のほうは葉が持ち帰られ、庶民信仰でにぎわいました。
屋根の改修工事を特別に見学させていただきました。
現場の方々のお話も伺えて歴史の重みを直に感じる事が出来ました。
いま改修工事中ですが、終わったらまた行きたいです。
大事なお寺です。
日真大和尚が開祖の法華宗(真門流)の総本山です。
京都西陣の地にあり、慧光無量山本妙興隆寺と号します。
本堂は天明の大火などを免れたことから、不焼寺とも呼ばれます。
西陣五水の「千代の井」や「夜泣き止めの松」などがあります。
現在は平成大改修工事が行われ、本堂へ参拝できなくなっています。
◇参照 本隆寺webサイト 京都歴史散策マップ。
令和元年6月15日参拝寺務所にて御首題拝受しました。
※本堂は現在改修工事中で、参拝できません。
本堂は工事中の為、拝観は出来なかったです❗大火にもあわずに すんだお寺さんのようです❗住職さんも法要で忙しく御朱印を頂くのを待っていたら、境内の末社でも御朱印を貰えることを教えて頂きました❗末社さんの対応が素晴らしく良かったですしかも美人な方で余計に汗をかきました(笑)冷たいお茶まで出して頂いてありがとうございました❗末社が8つあるのでどちらでも御朱印は頂けるみたいですよ。
住居に囲まれた場所にあるので、それ程大きくは感じられませんでしたが、境内は 意外と広く 平成の大修理が待ち遠しい限りです。
残念ながら本堂は工事中でした。
本堂修復中、染井吉野もまだまだこれからでした。
見頃はこの週末以降でしょうね。
大きな銀杏の木が印象的でした。
法華宗真門流総本山。
土曜日に参拝しましたが、残念なからお留守でした。
平成26年11月訪問。
*●*●* Honryuji Temple 本隆寺 *●*●* This temple located in the central par of Nishijin area is called Honryuji. It was founded in 1488 C.E. by Nisshin and is the head of the Hokke Shu Shin-Monryu sect. They practice Hokkekyo = Lotus Sutra. It was later expanded in 1542, but suffered a war-related damage in 1653 and rebuilt in 1658. There was a large fire accident called " Great Fire of Tenmei " broke out in 1788 which is the biggest fire accident in the history of Kyoto. This accident caused damage to approximately 80% of Kyoto city. This incident almost burned the entire Nishijin area to the ground, but Honryuji miraculously survived this fire and later it was called by another name " A fire-proof temple of Nishijin ". ( Trans-word+ : TGM Kyoto Guide )
350年前の極彩色が鮮明に残っており京都で二十数年ぶりに重文に指定されました。
名前 |
法華宗総本山 本隆寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-441-5762 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
修復が終わり、重厚な伽藍が復活しています。
観光寺院ではありませんが、西陣の風景に溶け込んだお寺です。
御朱印は宗務所に行きましたが閉まっていたので塔頭の宣妙院さんでお願いし頂戴しました。