頓宮を作りながら凱旋。
歴史ロマンですね。
鳥居の突っ張り棒が印象的でした。
ヲシロワケ(景行天皇)は、キのクニ(紀州・和歌山)にミユキ(行幸)してカミを祭らんと、思われた。
ウラナイ(占い)をさせますと「行くは良からす(ず、良くない)」と結果が出ました。
ヲシロワケさんはミユキ(行幸)を取りやめて、代理の人を使わす事になさいました。
キのクニ(紀州・和歌山)へのカミマツリに行く人は、オオシマコトの子のウマシタケ・ヰココロにお決めになります。
ヰココロは、キのクニのアヒカシハラ(現・和歌山市相坂(そうざか)、松原付近)に10年住んでカミマツリをしました。
そのうちに、キのウチマロの娘のヤマト・カケヒメを娶ってタケウチマロ(漢字文献の武内宿祢)が産まれます。
産湯の井戸が残されていて、丁重に保存されています。
(のちの、7代将軍の徳川吉宗の産湯もこの井戸の水を使ったと伝えられる)(C)池田満。
安原八幡神社の境外飛地社ご祭神:武内宿彌武内宿彌は紀氏の傍系であったが,本流が途絶えたこともあって本家になった。
数代の天皇に二百年以上仕えたとされているが,子々孫々同じ名前を名乗る事は,商家,役者等にもある。
日本書記には武内宿彌を祖とする氏族として波多氏,巨勢氏,蘇我氏,平群氏,紀氏,葛城氏をあげている。
古事記、日本書紀に伝わる大臣、武内宿禰が生まれた場所です。
安原八幡宮の奥宮古事記 【孝元天皇段】第8代孝元天皇の皇子・比古布都押之信命が紀伊国造の祖・宇豆比古の妹山下影日売を娶り、建内宿禰を生んだという。
日本書紀 【景行3年2月】紀伊国阿備柏原に遣わされた彦太忍信命の子・屋主忍男武雄心命が紀直の遠祖菟道彦の女影媛を娶り、武内宿禰を生む。
名前 |
武内神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
竹内宿禰は神代に神功皇后を助け朝鮮に遠征し、帰国時に国内の敵を討伐しながら、神功皇后とその御子(後の応神天皇)を守りながら、頓宮を作りながら凱旋。
頓宮は、和歌山市でも木之本八幡宮や安原八幡宮等が言い伝えられている。
竹内宿禰は五代の天皇に仕えており、その長命な中で、子沢山だあったとのことで、古代の有力豪族の祖としても祀られています。
このお社には竹内宿禰が生まれた時に使ったとされる産湯の井戸が大事に保存されています。