枕状溶岩や北アメリカプレートとユーラシアプレートが...
フォッサマグナの露頭 / / .
雨だからなのか観光客は無し。
今年は熊のニュースが多かったので緊張しながら駐車場から一人で現地に向かいました。
なるほど、何か感慨深いものが込み上げて来ます。
川向かいの渡辺酒造店に寄ってフォッサマグナミュージアムに向かいました。
家族と行きました。
好きな人(私)にはウキウキする場所。
興味のない人(家族)には真夏の暑さも相まって苦痛な場所。
枕状溶岩や北アメリカプレートとユーラシアプレートが当たっている境界を見れる貴重な場所です。
世界的に見ても境界が露出している場所は珍しいそうです。
駐車場が2ヶ所あり、枕状溶岩を直ぐに見れる駐車場があります。
そちら側から境界にも行けますが、車の移動が面倒でなければ、もう1ヶ所の駐車場の方が境界には若干近いと思います。
僕が行った時は、どちらの駐車場も余裕があったので、最初に枕状溶岩を見てから、駐車場を移動して境界を見に行きました。
一応、舗装はされてますが、登山系の運動靴がオススメです。
境界がある場所は階段が急なので、足腰が弱い人はステッキやストックを持っていって下さい。
なんだかんだで500〜600mは歩く事になるので足に自信の無い人は遠巻きにはなりますが枕状溶岩近くの駐車場に向かう途中の道路からも境界は見れます。
肉眼でも見れますが、詳細を見たい人は望遠鏡か双眼鏡を御持参下さい。
注意点日差しが強い日はサングラス、日傘、水筒は持参した方が良いです。
フォッサマグナの西のキワになる糸静構造線断層破砕帯の露頭✨。
しかも無料で楽しめる。
好天に恵まれたGWに、美ヶ原高原散策の後に訪ねました。
谷川岳一ノ倉沢を訪ねた時を思い出すような、川のせせらぎの音を聞きながら木漏れ日の中を、露頭部まで歩いていきます。
ユキ🐩も楽しそう。
西側は3億年前の地層、東側は1600万年前の地層です。
さらに歩いていくて、水中で固まった溶岩の痕跡だと言う枕状溶岩が見れます。
それがこの高さまで隆起してきてるなんて感慨深いです😃。
国道沿いのメイン駐車場はトイレ🚻もあるけど、ほぼ満車。
川を渡って左折し、枕状溶岩の所にある駐車場をお勧めします。
地球を感じます。
無料。
ブラタモリで見たので。
駐車場から10分程の散歩。
ドライブの休憩に丁度いい。
日本列島の生い立ちや東日本と西日本の違いが子供でも分かる様に工夫されてます。
「フォッサマグナ」という名称は昔から聞いたことはあるが、断層と言われても想像出来なくて、そもそも本州の真ん中・糸魚川~静岡間に長い段差が走っているのか?そんなの見たことも聞いたことも無いし、ありえないだろう?などと妄想を勝手に膨らませているだけで長年モヤモヤしていた僕。
ここでは僕や貴方のそうしたお悩みが解消できるよう、糸魚川静岡構造線で区切られた東西の地層の違いがはっきり解るように人工的に露頭を露出させてくれている。
国道148線沿いに無料の駐車場があり、ここのトイレにパンフが備えられているので絶対に先に寄るべき。
根知川に沿った遊歩道を登ると突然露頭が目に入って来る。
あいにく間近に見られる川原まで降りられなかったのだが、剥ぎ取られた露頭も展示してあるので見て触って、頬ずりすることも出来るので(やってはいけないと思います)「なるほど。
こんなふうになっているんだ」と得心する。
ここから更に700m進むと日本最大の枕状溶岩が見られるそうだが今日は断念。
でも50年前からのモヤモヤが解消されてスッキリした。
西側の石は青黒く、東側の石は赤茶色です。
姫川側入口から遊歩道を歩いて露頭まで来ましたが、途中日本の東西で違う文化についてのクイズがたくさんありました。
静岡-糸魚川構造線という巨大な断層がマジかに見ることができます。
そして直に触れることができます。
国道148号線沿いにあります。
今まで素通りしていました。
冬季は雪崩等のため封鎖とのことです。
国道沿いの駐車場から露頭までは500メートルほどです。
境目が確認でき、思っていた以上に楽しめました。
さらに700メートル歩くと日本最大級の枕状溶岩があります。
さらに歩くと反対側の駐車場に抜けます。
糸魚川静岡構造線の路頭が見られる場所があります。
フォッサマグナパークという名称で雨飾山へ向かう沢の入り口の根知にあります。
路頭が見られる場所へは歩きやすい歩道が整備されています。
断層面の左側が古生代の変ハンレイ岩と、右側の新生代中新世中期の安山岩が、幅約2mの断層破砕帯を境に接しています。
この線が日本列島が中央部でぽっきり2つに折れている断面だそうです。
太平洋プレート、フィリピン海プレートの沈み込みにより日本海溝、南海トラフが形成され、日本列島は中央部が真っ二つに折られる形でアジアから離れました。
折れた原始日本列島の間には日本海と太平洋をつなぐ海が広がり、新生代にあたる数百万年間、砂や泥などが堆積しました。
そして数百万年前、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、真っ二つになっていた列島が圧縮され始めたのです。
この時、間にあった海が徐々に隆起し、新生代の堆積物は現在陸地で見られる地層になったと考えられています。
フォッサマグナ Fossa magna ラテン語で大きな溝の意味中央地溝帯、大地溝帯とも呼ばれる。
古い地層でできた本州の中央をU字型の溝が南北に走り、その溝に新しい地層が溜まっている地域である。
現在のプレートテクトニクス理論ではフォッサマグナは北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界に相当するとされる。
1983年の日本海中部地震前後までは、北海道中部の日高山脈付近が両プレートの境界と考えられていたが、地震を契機に日本海東縁部〜フォッサマグナを境界とする説が広く支持されるようになった。
西縁は糸魚川静岡構造線である。
東縁は新発田小出構造線と柏崎千葉構造線とされるが異説もある。
フォッサマグナはしばしば糸静線と混同されるが、糸静線はフォッサマグナの西端であり、フォッサマグナそのものではない。
ハインリッヒ・エドムント・ナウマンは地質構造の異なるラインが糸魚川から静岡にまで至るのを発見した。
1885年に論文「日本群島の構造と起源について」として発表した。
1886年Fossa Magna フォッサマグナと命名した。
ナウマンが考えていたフォッサマグナの東縁は新潟県直江津と神奈川県平塚を結ぶラインであった。
1970年山下昇が柏崎と千葉県千葉市を結ぶ「信越房豆帯」説を発表した。
1988年に加藤芳輝が柏崎〜銚子のラインの北部を修正した新潟県上越とか子を結ぶラインを発表した。
後に北部を大きく修正した新潟県新発田と同県小出を結ぶライン、新発田小出構造線が提案された。
このように、東縁については諸説出ており現在も結論は揺れ動いている。
西縁の糸魚川静岡構造線上と、東縁の一部と考えられている群馬県太田断層では、マグニチュード7規模の地震が繰り返し発生している。
フォッサマグナの中央部を南北に火山の列が貫いている。
北から新潟焼山、妙高山、草津白根山、浅間山、八ヶ岳、富士山、箱根山、アルプス山脈などである。
これらの成因の1つとして、フォッサマグナの圧縮によってできた断層にマグマが貫入して、地表に染み出やすかったことが考えられている。
フォッサマグナのU字溝は数百万年前までは海であり、地殻が移動したことに伴って海の堆積物が隆起し現在のような陸地になったとされる。
原始の日本列島は、現在よりも南北に直線的に存在して、アジアに近い位置にあったと考えられている。
約2,000万年前に太平洋プレートの沈み込みに伴う背弧海盆の形成が始まった。
背弧海盆とは、沈み込んだプレートがマグマとなって上昇し、海溝の内側のプレートを押し広げてできるものであるが、これによって日本海が現在のように広がり、日本列島もアジアから離れていった。
日本近海の海溝は向きが異なる南海トラフと日本海溝の2つだったため、日本列島は中央部が真っ二つに折られる形でアジアから離れた。
折れた原始日本列島の間には日本海と太平洋をつなぐ海が広がり、新生代にあたる数百万年間、砂や泥などが堆積していった。
そして数百万年前、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、真っ二つになっていた列島が圧縮され始めた。
この時、間にあった海が徐々に隆起し、新生代の堆積物は現在陸地で見られる地層になったと考えられている。
日本アルプスつまり糸魚川静岡構造線の西側の中部山岳地帯は、日本列島の中で最も地面が隆起した場所です。
堆積物の年代から、約100万年前から隆起がはじまり、最高隆起量はなんと16,000mです!隆起と同時に侵食や崩落が始まりますので、現在は3,000m級になっています。
隆起した原因は、フィリピン海プレートの上の島々(伊豆小笠原弧)が次々とぶつかってきたからです。
丹沢山塊は500万年前から、伊豆半島は50万年前から、北西方向に移動して日本にぶつかりました。
フォッサマグナの見られる貴重な場所です。
西日本と東日本の境目というだけでなく、アメリカとヨーロッパの境目でもあるらしいです。
名前 |
フォッサマグナの露頭 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
ミュージアムを見たあとは是非ともここにただここをGoogleマップで目的地にすると川の南側へ案内し橋もないのに川を渡れと言いますので東西にある駐車場を目的地にしましょう。