鴎外通りを経て、鴎外橋を渡り、ココに辿り着いた。
軍医として、小倉に赴任されていたとの事。
令和四年一月二十二日朝、森鴎外旧居を訪ね、鴎外通りを経て、鴎外橋を渡り、ココに辿り着いた。
我が小倉日記。
文豪が小倉に言及したフレーズで六面の柱になっているのです。
元軍医で文豪という高スペック、素でシャーロック・ホームズの助手だったジョン・ワトソンみたいな属性なのに(あれはフィクションの英国人だがこちらは実在の日本人)、僕が観た当時はあんまりファンらしき人は居ませんでした。
むしろ傍のコメダ珈琲のほうが人気っぽかった(汗)。
森鴎外の生誕100周年を記念して、1962年(昭和37年)小倉郷土会が中心となって、紫川河畔に「森鴎外文学碑」が建立されました。
五つの側面には森鴎外の作品から小倉に因んだ記述があり、残り一つの側面にはこの石碑の建立理由が刻まれています。
写真の側面には、“私は豊前の小倉に足かけ四年ゐた”と小説「二人の友」からの文章が書かれています。
あとで文学碑に載っている作品を読んだところ文章力が素晴らしいと思いました。
文豪だと思いました。
名前 |
森鴎外文学碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
石碑の近くはちょっとした広場みたいになっている。
小倉城に行く時間はなかったので、ここから天守を眺めて駅へと戻ることにした。