そのお隣に紫式部が執筆していた場所があるとは知りま...
廬山天台講寺紫式部ゆかりのお寺紫式部は、現在の蘆山寺がある場所に住んでいたそう940年代に比叡山第18世座主の良源上人によって創建、現在の場所に移ってきたのは天正元年とのこと紫式部の父親がこの地に邸宅を建て、紫式部はその屋敷で育ち、娘の賢子を産み育て、59歳頃に亡くなるまで住んでいたと伝わっているらしい源氏物語のほか、紫式部日記などの執筆をしたのもこの地だったとか御朱印は直書きでいただく源氏物語御朱印帳もなかなかよき京阪出町柳、神宮丸太町、地下鉄今出川などアクセスも良好。
梨木神社の東隣にあるお寺。
一般には紫式部の邸宅跡として知られています。
寺が現在地に移転したのは式部の時代よりずっと後ですが、平安時代にはこのあたりに紫式部の父・藤原為時の邸宅があったとされます。
「源氏物語」や「紫式部日記」もこの場所で執筆された可能性があるわけです。
邸宅跡そのものは残っていなくても、紫式部のゆかりを偲ぶことができる場所として人気があります。
有料(500円)で拝観できる堂内には本尊の阿弥陀三尊のほか、紫式部や源氏物語に関係した品(源氏物語絵巻の複製、源氏物語絵図の貝合わせなど)がいろいろ並べられています。
また、源氏の庭と呼ばれるお庭では、桔梗がちらほらと美しい花を咲かせ始めていました。
三連休の最終日、やはり大河ドラマの関係もあって、拝観客も多く賑わっていました。
源氏物語を高校で、愛読していた身としては、いつか来たかった執筆の地。
沢山の展示がありました。
写真撮影禁止なので現地を楽しみにしてください。
とても感動しました!桔梗も咲きはじめての時期、素敵でした。
6月末日曜日の午後、バスツアー客が帰るところでした。
テレビ放映の関係か、混みあっています。
お庭の桔梗が満開で、蒸し暑い中ですが、一時、暑さを忘れさせてくれるほど美しいです。
本格的なカメラで写真に収めていらっしゃる方が何人もいましたよ。
2023年8月5日、午後訪問京都御所の清和院御門の近く、梨木神社からも近いところにあるお寺こちらはお庭の桔梗がとても風情があって素晴らしく当日もゆっくり見やしたよ交通に駅から離れてるせいかいつも人は少なく境内はとても静か、夏に盂蘭盆の奉仕の゙後、東京に帰る前にここで過ぎた夏を追想するのが好きやなあこちらは紫式部の邸宅跡にあるお寺やそう、節分会の鬼が出てくる行事も有名みたいやけど見たことはなしまた手水舎の水も井戸水なのかな?それらしく見えるけど気になるので今度、確認してみるさあ。
節分の日に訪れました。
15時からの鬼踊りを見、鬼たちの雄姿?にスマホのニョキニョキがすごい。
前日に御朱印は拝受したので、ゆっくりと見物でき、福豆まきも盛り上がり、雰囲気を楽しみました~
令和二年 7月23日 京都初夏の旅廬山寺特別展を観にきました(^ ^)正式名称は、廬山天台講寺です❗️紫式部邸宅址が有名です♪
紫式部縁のお寺。
京都御所の東向かい。
お庭が綺麗。
入館料 大人 ¥500-駐車場は小規模ながら無料です。
ありがたし。
紫式部ゆかりの廬山寺、かって紫式部の邸宅跡で「源氏物語」もここで執筆されたとか。
白砂と緑の苔の庭に桔梗が映える。
桔梗は秋の花と思っていたが開花は6月から9月で6~7月が最盛期とか。
紫式部の住居跡として 一般に知られているお寺ですが、正しくは廬山天台講寺といい、比叡山第十八世座主元三大師良源様が、開いた興願金剛院に始まります。
本尊は阿弥陀如来及両脇座像三体で、勢至菩薩様、観世音菩薩様がおられます。
写経する部屋や、源氏物語絵巻、それにまつわる巻き物、百人一首等々展示されています。
絵巻物は非常に細かい絵が書かれおり、絵が好きな私にとって 大変興味深い時間を過ごす事が出来ました。
🎶また、訪問した時期が6月下旬だったので、キキョウの花も愛でる事も出来、嬉しかったです。
他では 節分会追儺式鬼法楽やお土居がよく知られています。
キキョウの咲くお庭を眺めてひと息つくのも良いですよ😊そして、この時期だけキキョウの絵入りの御朱印が頂けます。
源氏物語ゆかりの仏閣を対象としたスタンプラリーを開催中。
テーマを決めて散策してみるのも面白いかもしれない。
拝観料500円。
廬山寺は紫式部の邸宅跡に建ち、式部はここで源氏物語を執筆したという。
境内には「源氏庭」と言われる庭園があり、白砂と苔の庭に桔梗が植えられている。
花は初夏から初秋まで楽しめる。
歴史の始まりは天慶年間(938年)の船岡山から始まる古いお寺、パンフレットを読めば、この地に移転が天政元年(1573)とある。
現在の本堂は2度の火災による消失後、寛政6年(1794)に光格天皇が仙洞御所の一部を移築し女院、閑院宮家の御下賜(天皇から頂いたお金)でもって改装されたものとありました。
本堂には国の重文「阿弥陀三尊座像」が祀られています。
又、国宝の複製版本「紫式部日記絵師」「源氏物語絵巻」の複製が展示され、他にも源氏物語の艶やかな世界の襖や屏風絵、百人一首、光格天皇の蓋付きの漆器等、私には綺麗な展示会場に見えました。
それと写経の部屋もね。
2021.11.25御所の前に参拝させていただきました。
ここは、紫式部の邸宅跡だそうで境内は綺麗に手入れされておりました。
天台宗系の寺院で、紫式部が源氏物語を執筆した邸宅の跡として有名である。
以下、境内の案内板を抜粋。
現在の廬山寺は豊臣秀吉の時代にこの地に移されたもので、正しくは廬山天台講寺という。
もともとは天慶元年(938)に慈恵大師良源(元三大師)が船岡山南麓に開いた與願金剛院に始まる。
寛元三年(1245)、法然上人に帰依した住心覚瑜上人が出雲路に廬山寺を開き、この二カ寺を兼務した明導照源上人によって廬山寺を與願金剛院に統合し、寺名を廬山天台講寺とした。
庭の桔梗がまだ少し咲いていました。
庭は、小石と苔と桔梗が上手くマッチして、綺麗な写真が撮れました。
拝観料は500円です。
庭側のみの撮影ができます。
鰐口の音が、凄く良い音で今も、耳に残ってます!
京都御苑に隣接し、周辺の名所と合わせて訪れることが出来ます。
ここは、紫式部邸があった場所で源氏物語の執筆場所として余りにも有名です。
邸宅跡の源氏の庭は美しく咲き乱れる桔梗の名所として有名です。
また、この辺りは太閤秀吉公が都を取り囲む様に配した城壁、お土居が張り巡らされた場所でもあり跡を見ることが出来ます。
また節分の鬼法楽でも有名です。
寺務所では紫式部邸宅跡の御朱印も頂けます。
京都御所の東側にあります。
天台圓淨宗の本山、本尊は阿弥陀如来です。
「紫式部」「明智光秀」ゆかりの静かなお寺で、有料エリアでは庭(源氏庭)のみ撮影可能。
正しくは「廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)」。
天慶年間(938年~947年)に、延暦寺中興の祖、元三大師良源(がんざんだいしりょうげん/慈恵大師。
霊験者としてや”おみくじ”の開祖としても知られる)が与願金剛院(よがんこんごういん)を船岡山の南に創建したのが始まりとされています。
応仁の乱で堂宇を焼失した後、元亀2年(1571年)には、織田信長の比叡山焼き討ちの後、おなじ延暦寺系としても狙われますが。
正親町天皇(おおぎまちてんのう)の※1勅命によって免れました。
そして天正元年(1573年)、豊臣秀吉の町割りによって現在の「※2紫式部邸宅跡」に移転してきました。
※1 この時、信長の命で延暦寺の末寺として攻めようとしていた光秀に廬山寺は戒律を守る寺であるため焼き討ちをしないようにと求めた縁から、光秀は廬山寺に毎日礼拝していた念持仏を奉納したそうです。
中央の地蔵菩薩坐像の部分は取り外すことができ、光秀は戦地にその菩薩を持ち出して、陣仏(じんぼどけ)として自軍の守り本尊としていたとされています(原則「非公開」たまに限定公開されています)※2 紫式部は藤原宣孝との結婚生活をここで送り、一人娘の堅子を育て「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」などほとんどの作品をこの地で執筆しました。
そのため昭和40年(1965年)には、境内に紫式部の邸宅址を記念する碑が建てられると同時に”白砂を敷き、絵巻物の雲を型どって苔を須浜型に置き、さらに苔の上に桔梗(=源氏物語の「朝顔の花」)を植えた”枯山水庭園「源氏庭」が作庭されており6月から9月にかけて「桔梗の名所」として有名です。
あと境内には豊臣秀吉によって造営された京都を囲む土塁「御土居」(おどい)の一部が残り「国指定史跡」にもなっているほか、2月に宮中で元三大師の修法を妨害する悪鬼を退散させた故事にちなんで行われる節分祭。
赤青黒の鬼に紅白の餅と豆を投げて悪霊退散を祈願する「追儺式鬼法楽」(通称「鬼おどり」)も一見の価値ありです。
静かな空間 落ちつきます。
慶光天皇の陵に拝陵するために。
紫式部屋敷があったとか。
陵に行く道がお寺の中にしかないのがわかり辛い。
雨の廬山寺御所を後にして、紫式部の執筆地へ。
雨に桔梗が美しいです。
道すがら、京都らしい揚げ茄子おろし蕎麦を頂きました。
〜桔梗寺 源氏絵巻か 雨の庭〜
紫式部ゆかりのお寺という事で行きました。
今やっている大河ドラマの麒麟がくるでも出てきている天皇の手紙があり感動。
素敵な筆字にびっくり。
光秀の念持仏に惹かれて🤗庭園の紅葉も綺麗でした🤗🤗
桔梗と紫式部で有名ですよ‼️慶光天皇陵がありますよ❗明智光秀とも関係があるよ❗お土居もありますよ☺️ It is famous for Kikyo and Murasaki Shikibu! ️There is the Keiko Emperor's Mausoleum ❗ It is also related to Akechi Mitsuhide ❗ There is also Odoi.☺️
965年(昭和40年)に考古・歴史学者角田文衞により紫式部邸(堤邸)跡とされた、とWikipediaにある。
この寺は豊臣秀吉の時代にこの地に建てられたもの。
御所見学の後で東側にある廬山寺を参拝しました。
紫式部が源氏物語を執筆した寺で桔梗がきれいに咲いていました。
また明智光秀の念持仏様が特別公開していました。
桔梗が想像以上に綺麗でとても満足しました。
秋の七草に数えられる桔梗ですが、実は梅雨~初夏の季節が見頃のピークのようです。
裏庭には紫陽花が綺麗に咲いており、本堂の本尊はとても優美な造形の阿弥陀三尊像でした。
また、当寺が焼き討ちから免れるよう、正親町天皇が信長に当てた御宸翰なども展示されていて、小さいながらも大変見所の多いお寺でした。
お寺の成立経緯は紫式部となんの関係も無いのに、移転先がたまたま紫式部邸宅址だったからと、紫式部を売りにしているいけ好かないお寺かと思っていましたが、とんでもなかったです。
紫式部の縁のものを見ることが出来ます。
京都御所すぐ東側にあるお寺です。
庭園はこじんまりしていて、桔梗で有名なのですが、あいにく時期が違うので見ることが出来ませんでした。
時期を選んで訪れるといいと思います。
紫式部で有名なお寺で、入りませんでしたが綺麗な庭があるそうです。
見事な桔梗の木がありました。
紫式部*, 元三大師, 慶光天皇陵, 皇族墓地, 御土居... 歴史ロマン溢れる静謐なる場所です🙆 特に天皇陵 (...と云っても仏式の石塔です... しかも生前は天皇ではなかった方のもの... "尊号一件" で検索を... 高山彦九郎死す...) の周辺は無料でもありますので, ぜひこの空気感を味わっていただきたいものです。
🐤(*紫式部が廬山寺に住んでいたのではなく, かつて(平安中期) 式部が住んでいた土地へ, 秀吉の都市政策(寺町通)により廬山寺が船岡山の辺りから移ってきた, ということの様です)
元三大師が建立した寺院。
元は船岡山の南にありましたが、ここに移転。
節分の行事で有名です。
正面の本堂は元三大師堂。
裏手の庭がある所は有料(500円)。
紫式部が源氏物語を執筆した住まい。
予約無しで写経ができます。
系図が掲げられていて、平清盛の最初の妻は紫式部の末裔と解ります。
着物パスポートが使えます。
桔梗の花で有名です。
節分会の、3匹の鬼が暴れて、退治される鬼法楽も、春を待ちわびる素晴らしい行事として親しまれています。
節分会で撒かれた、紅白の福豆を翌日にいただきましたが『残り福』と言うそうで、嬉しかったです。
紫式部が執筆した場所とされています。
百人一首柄の御朱印帳、紫式部の朱印は桔梗開花時期のみ限定で桔梗印が入ります。
2016年11月、非公開文化財特別公開で拝観しました。
元三大師堂を拝観し、大師像を近くから拝観しました。
ただ、思ったより小さかったなぁ。
御本尊は阿弥陀三尊像。
最近重要文化財に指定されたのはこの像でしょうか?この地はかつて紫式部の邸宅があり源氏物語を執筆した所、それにちなんで源氏の庭が昭和40年に作庭されたそうです。
「紫式部はどの部屋で源氏物語をかいたのですか?」お寺の方が言っておられました。
そんな質問を良く受けるのだと。
6月に行って桔梗を見て、10月に行って桔梗を見ました。
落ち着くお庭です。
桔梗が綺麗。
紫式部の邸宅でしたので紫式部の御朱印帳が売ってました入館料を払いなかに入りますとキキョウが綺麗でお庭はなかなか風情がありました季節によっては綺麗な桔梗を見ることができますよ夏の暑い日でしたので麦茶をいただきました。
名前 |
廬山寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-231-0355 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~16:00 |
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評価 |
4.1 |
京都御所にはよく来ていましたが、そのお隣に紫式部が執筆していた場所があるとは知りませんでした。
京都に越してきて楽しいのは、歴史的な場所がたくさんある事ですが、若い頃もう少し勉強しとくべきだと後悔もあります。
御所の横で物静かな場所なので、いろいろな想いを巡らせられます。