草木が生い茂り、忘れられてました!
行かないけど、関ヶ原の戦いは、岐阜城開城で、戦略的に破綻してるんですね、後は、消化試合の、様なものです。
大谷吉継は、なぜ直前に、改名したのか?彼が、主導したんでしょうか?大垣城内の、凄惨な裏切りの、顛末は、誰も、触れない!
整備されて手軽に登れる山頂は平らで広いきっと広い本丸だったんだろう。
主郭付近に高射砲陣地と思しき窪地や西側に長大な堀切など残る。
登山口から2〜30m離れた所に車2台分のスペースがあります。
玉城跡はかつて太平洋戦争中「名古屋陸軍兵器補給廠関ヶ原分廠」の敷地内となり、高射砲陣地だった歴史もあります。
登山口入口から「陸軍境」の石碑が至る所にあり、鉄条網の為のコンクリート杭に沿って敷地内にあたるほうに登山道がついています。
杭に沿って20分程で本丸跡に着きます。
草が生い茂って雑木があるものの、平地であることはわかります。
そしてその規模の大きさにびっくりしました。
曲輪や堀跡も良く残っています。
ロマンある歴史、昭和の歴史、両方を感じられます。
南北朝時代の城郭として築かれたのが始まりとのことです。
ただ最近、NHKの特番決戦 関ヶ原のなかで、戦国期しかも関ヶ原の戦い時に再構築された陣城の可能性があるという興味深い検証がなされていました。
当時の砦の機能を有する陣城としては最大級らしく、山頂には幅260mもの曲輪(本丸)が最近の赤色立体地図により明らかになったそうです。
番組ではこの玉城跡の陣地に、実際にはなかった豊臣秀頼を迎え西軍の勝利の可能性を検証してました。
こうゆう歴史のロマンを語れる城跡であるなら、史跡関ヶ原がより面白いものになると思います。
エコミュージアム関ヶ原の左の脇道から車で入り800メートルくらい進んだ先にクマ出没注意の立て札があり、そのまま車で入ると2台くらい停められる駐車場があります。
山道は比較的整備されていて、歩くのは苦になりませんでした。
山頂は目の前に伊吹山が見えます。
番組見ました。
興味深い。
南北朝時代の城址に、天下分け目の関ヶ原合戦の西方の本陣として作られたが、秀頼を迎えることなく、西方の負けとなり廃城となり、草木が生い茂り、忘れられてました!城郭研究者の千田先生が 、あるテレビ番組で解説・紹介されていました!300㍍位の頂上に有り、歴史をカミシメナガラ運動不足解消には丁度良いかな!
標高307.5mここが関ヶ原戦で秀頼の本陣予定地だった!説を千田先生が唱えていた。
録画した歴史TV番組の話だけどナハ( *´艸)さっそくトウチャコすると銀世界(^o^;)麓の案内板に「城山遊歩道」があって迷うことは無いタブン木製階段は雪で埋まってるけどヒエーズンドコ登るとあっとゆう間に段郭についた♪トオモウちよっと横に足を向けるとズボッとひざまで埋まるアレマヤブの上に積もってて曲輪の隅っこはコワイ主郭には、あずまやに玉城説明板あるある眺めは..吹雪いてナンモ見えナイ(ヾノ・ω・`)TVで写した赤色立体図で散策すると..ナカナカでかい堀切、土橋、坂状の土橋虎口、竪堀、尾根を削り残した竪土塁u0026竪堀などなどなど♬ぐるーり廻ってわかる切岸面の土木量の多さったらすごいのなんのヨウコ♪穴ボコボコは日帝軍の銃座跡カナ?ふもとは火薬庫で陸軍境界石が今でもたくさん建ってたりする(^o^;当然改変あるあるだけど..戦国山城には変わりないっ(^^)dタブン秀頼陣城なのか毛利輝元陣城なのかの想像して(’-’*)る場合でなく凍えてきたサムサム山城ハイキングコースとして楽しめるトコだと思うヽ(*´∀`)ノ♪キット...吹雪でなければ'`,、(^_^;)'`,、
1月下旬、頂上付近には雪がある程度残っていました。
階段を一気に登る感じで登りやすかったのですが最後伐採してあった木が通路を塞いでいてどこを歩けばいいのかわからなかったです。
トイレはありませんが屋根付の休憩所はあります。
もしここに、豊臣秀頼が本陣を構えていたら、歴史は変わっていた。
山頂からの眺めを観てみたい!
12月19日放映のNHKBSP決戦!関ヶ原で特集されていました。
昨今の最新の計測機器により、ほとんど誰にも注目されていなかった玉城の全貌が全長250mほどの大きさであることなどが明らかになり、関ヶ原の合戦の通説が覆される可能性が非常に高いと注目されています。
出演している学者の面々も非常に興奮しながら番組に参加している様子がよくわかります。
名前 |
玉城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
あっという間に頂上に着きますが、山全体が城跡になっているために見所が満載です。
城好きにはたまりません😊関ヶ原合戦図屏風にも大谷吉継の後ろに書かれている玉城址。