要害山城は、武田信玄が生まれた城です。
武田信玄の生誕の地で知られる城、武田氏の本拠であった躑躅が崎館の詰めの城として機能。
登城口に駐車場有、山道に入るとすぐに石積に出合います。
大手門跡を過ぎると郭、石畳、虎口の連続で本丸跡に繋がっています。
この城を攻め込むのは不可能であることを実感させてくれます。
少し登ったところから曲輪の連続で,お城好きにはたまらない魅力があります。
主郭には日露戦争で有名な東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生之地」の石碑があります。
麓から約30分で主郭に到着しましたが,上りの連続と山道などでそれにふさわしい恰好が必要です。
ちなみに,要害山城を見学してから2日間は両腿の筋肉痛に悩まされました。
続日本百名城の128番躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)の詰城として築かれた山城。
信玄が生まれた場所とされている。
登山口から山頂(主郭部)までは健脚な大人で20分~30分程度で登れます。
山城跡なので門跡などの跡地にそれっぽい石があったりはしますが大々的な石垣などはありません。
名城スタンプは甲府駅のすぐそばの藤村記念館(旧睦沢学校校舎)にて押せますのでご注意ください。
一応、登山口には駐車場っぽい場所は有ります。
バス停は少し離れた所にありますが、1日1~2本なので往復で利用は望めません。
武田信虎が造り、その息子・武田信玄が生まれた城。
武田氏館跡(躑躅ヶ崎館)の詰城です。
竪堀、門跡、虎口等の遺構がよく残ります。
眺望はあまり良くありません。
富士山についても間に山が入って全く見えません。
大手と搦手で趣がまた違います。
本郭で満足せず、少し歩いて搦手を見る事をおすすめします。
当方30代前半で、往復で一時間半程度でした。
9月末の訪問で蚊は居ませんでしたが、まあ虫除けスプレーは持っておいたほうが無難でしょう。
縄張り図は持っておいて損はないですが、途中の不動像や井戸に寄る以外はほぼ一本道で、ほぼ迷わないと思います。
なお紙の縄張図は藤村記念館で貰えます。
信玄公ご生誕の地。
なんでこんな山中に?諸事情があったようです。
軽い登山(ハイキング)なので装備はしっかりと。
ナビに案内させると裏口まで連れてかれます。
注意。
国指定史跡要害山城跡武田氏館(躑躅ヶ崎館)の詰城として築かれた中世山城で、標高780mの要害山(丸山)の山頂には「武田信玄公誕生之地」と書かれた石碑があり曲輪の土塁や石垣、門の跡が残されています。
石垣の一部は武田氏滅亡後の豊臣政権時に改修されたものもあります。
2017年続日本100名城に選定【アクセス】武田神社から車で8分ほど。
登山口には駐車場があります。
山頂へは比高差210m徒歩30分です。
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要害山城は、武田信玄が生まれた城です。
山の中にあり、防御に特化した城です。
当時の甲斐は、今川家の侵攻の真っ只中で甲斐と駿河の国境は、血で血を洗う戦いが続いていました。
今川の大将は、福島正成(河越城主の北条綱成の父)で、一万以上の兵で間断なく戦いがありました。
急造された要害山城は、武田信虎の跡継ぎたる武田信玄を守るための城で当時の甲斐では一番安全な場所だったのです。
ここは、父が妻子を守るための城だったのです。
上から矢玉が飛んでくるわけではないので登ることは用意ですが、駅から歩くとかなり距離があるので車で登山口駐車場までいくのが安全です。
遺構が良く残ります❣️大井夫人が避難先の要害山城で信虎の嫡男を出産したと伝わり、本郭が武田信玄の生誕地として考えられてますね😊想像するだけでも楽しい👍
名前 |
要害山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
城跡とは言え、単純な山でした。
続日本100名城、山梨100名山登山口から武田信玄公誕生地by東郷平八郎の石碑まで25分もかかりました。
その前に10月だというのに30度の気温と武田神社からカンカン照りを35分歩いてきた(日中のバスの便は往復1本。
)ので、そこまでで消耗してしまいました。
帰りに登山口から6-7分積翠寺バス停11:54発のバスを使いました。
まだまだ整備途上の山城跡という感じですね。
案内などの整備はこれ以上しないのかもしれません。
各地の山城をみてきましたが、ここは城跡というよりも単純なハイキングのための山(眺望もない)としか認識できません。
因みに新府城も整備されてない、一部マニアのための迷城ですね。
歴史上の英雄が存在した事実を誇りとしていないかのようです。