名前 |
承久の乱供養墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、1221年(承久3年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。
承久の変、承久合戦ともいう。
後鳥羽上皇ら京方首脳は、藤原秀康を総大将として幕府軍を迎え撃つこととして、1万7500余騎を美濃国へ差し向ける。
京方は美濃と尾張の国境の尾張川に布陣するが、少ない兵力を分散させる愚を犯していた。
甲斐源氏の武田信光と小笠原長清が率いる東山道軍5万騎は、大井戸渡に布陣する大内惟信、高桑大将軍(実名不詳)が率いる京方2000騎を撃破した。
この戦いで戦死した高桑大将軍は、『承久記』によると、幕府軍、朝廷軍、通して承久の乱での戦死第一号とされる。