名前 |
三室戸寺 鐘楼 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.6 |
令和二年 11月29日京都紅葉🍁の見頃旅三室戸寺 鐘楼「鐘楼」(京都府指定文化財)は、江戸時代、1689年、文化年間(1804-1818)とも、に建立された。
朝鮮鐘の龍頭 「朝鮮鐘」がある。
安土・桃山時代、1573年、室町幕府15代将軍・足利義昭が織田信長の討伐を図った。
義昭の宇治槙島城が攻められ、無条件降伏する。
この槙島合戦では、当山の僧が足利方についたため、伽藍は破壊され、梵鐘も没収になった。
鐘は、豊臣秀吉の五奉行のひとり増田長盛の手に移る。
龍頭だけが切り取られ床の間の置物とされた。
だが長盛は病になる。
梵鐘破壊の祟りとして、寺に還そうとした。
だが、僧は「破鐘、寺に無用」として受け付けなかったという。
長盛は陳謝し、病気平癒の祈祷を依頼すると完治した。
以来、寺に御供米を贈り、龍頭も還された。
その後、龍頭を撫でると金還るとの信仰を集めた。