学生時代、訳もなくよくいきました。
六月の平日に訪れるのが最適なのかも?静かで雨上がりのしっとり感で紫陽花も濃く色づき木々の緑も青々と映えて、とても癒されました。
心洗われ極楽そのもの。
江ノ電の駅名にもなっている極楽寺電車から見えた紫陽花が綺麗だったので寄ってみましたお寺の規模的には、大きい訳ではありませんがすごく趣きがあって素敵なお寺です紫陽花が有名な寺は、人だらけで疲れたりもしますが極楽寺はまだのんびりと紫陽花観賞できますので有り難いですね近くの長谷寺は紫陽花見るのに3時間待ちとかでしたから開いた時間でも充分見に来れる距離感です。
先日、訪ねたときにポスターで、今日、仏生会があることを知りました。
普段は山門の脇の入口から入りますが、今日は山門が開かれています。
9:30開始の灌仏会には、すでに多くの方が集まっていました。
お釈迦様が花で綺麗に飾られています。
ご住職の読経の後、お釈迦に甘茶をかけて、お参りしました。
宝物殿(転法輪殿)での御開帳が、長蛇の列になっていたので、先に本堂の不動明王や薬師如来、文殊菩薩などを拝観しました(こちらも仏生会での御開帳。
撮影禁止)。
今日のお目当てだった忍性菩薩御廟は、場所が分からず、尋ねたところ、裏門から出て、案内に従って道なりに進めば、行けるとのこと。
すぐ近くなのかと思いましたが、結構、登りました。
かつて極楽寺は、金堂・十三重塔・桜門・支院四十九院が建ち並んだそうなので、当時は、ここも境内だったのでしょうね(こちらも撮影禁止、普段は門が閉じられ、入れないそうです)。
五輪塔は人の高さくらいかと思っていましたが、約3.6mとのこと、大きな石の塔に圧倒されました。
忍性上人は、87歳の時、 極楽寺で亡くなり、境内のこの地に葬られ、没後に後醍醐天皇から忍性菩薩の号を賜ったそうです。
お参りの後、境内に戻ると、ひと汗かいていて、出された甘茶を美味しく頂きました。
-----御朱印を頂きに何度か訪ねていますが、御朱印に書かれた観音様やお地蔵様の謂れについては興味があったものの、お寺自体にはあまり関心がありませんでした。
でも、「鎌倉殿の13人」を見て以来、人物の関係もよく分かるようになり「ああ、あの人か」と親しみが湧くようになりました。
極楽寺は、忍性上人が、執権北条泰時の弟重時とその子長時・ 業時の後ろ盾により建立(長時は六代執権)。
最盛期は、裏の稲村ヶ崎小学校の敷地を含む谷全体に、七堂伽藍と四十九の塔頭を持つ大寺院だったそうです。
忍性はここに、施薬院・悲田院・施益院・福田院の四田院を設け、不幸な人を救済するための福祉事業に取り組み、また、病気や年老いた牛馬の面倒を見る病舎も建て日夜、多数の病者を収容し、貧者には無料で加療、施薬をしたそうです。
また伽藍の修理や井戸の掘削、道路の改修などにも携わり、 極楽寺坂切通しの工事も行ったそうです。
さらに港湾の管理も任されるなど特権を付与され、 貿易で得た利益を寺院の建立や修理・維持に費やしたそうです。
民衆は忍性を生き仏として崇め、没後、後醍醐天皇より「忍性菩薩」の諡号を勅許されたとのことです。
福祉、土木などの公共事業を進めた忍性上人も凄いですが、それを支えた執権北条家も素晴らしいです。
なお、4/7(金)4/8(土)には、本尊御開帳および忍性菩薩御廟特別参拝が行われるそうです。
極楽寺から直ぐの所にあります。
御朱印をいただきました。
桜が散ってましたが、とても綺麗でした。
極楽寺駅の改札口は、ドラマ【最後から二番目の恋】で度々出てくる駅ということで写真撮ってきました。
サザンの聖地巡礼、あじさいの咲く極楽寺を散歩しました。
江ノ電の極楽寺駅からスグですが、周辺にコインパーキングもあるので、クルマでも気軽に立ち寄れます。
本来のありべき作法を保っています。
令和三年六月二十八日(月)
紫陽花が美しいので癒されます。
梅雨時の鎌倉散策で寄りたい場所。
お寺も趣があって良い。
江ノ電極楽寺駅から直ぐです。
厳かな雰囲気で寺の前に江ノ電の極楽寺駅が有ってちょうど紫陽花の時期だったので綺麗でした🎵
紫陽花のお寺、トンネル、郵便ポストが印象的な駅。
思い出に響くポイントです。
江ノ電、極楽寺駅近くにあるお寺。
寺院まで続く道が木の木陰で覆われているので、非常に趣があります。
時期によってはかなり綺麗に見えると思います。
歴史あるお寺。
行った時は、花の時期などもずれてか、かなりの静かでした。
本堂の御本尊は「不動明王」です(たぶん)。
ガラス張りのところから、見ることができます。
今の時期は、菖蒲?が咲いていたかな。
場所は、江ノ電「極楽寺駅」から直ぐです。
御朱印をもらうために、訪問!江ノ電極楽寺駅すぐそばのこじんまりとした寺院です。
訪問したのは、4月中旬ということで桜も散った後で緑が豊かな状態でしたが、桜や花が満開の時はとても綺麗なのではないかと思います!極楽寺は、住宅街の中にある閑静な寺院という印象でした。
いつもの如く車で伺ったのですが、入口がわからず「行きは裏門から入り、帰りは正門から出る」というなんとも印象深い訪問をいたしました。
正門は、やや小さめの入り口から入るというやや変わった門となっていました。
近隣には、コインパーキングがあります!車で訪問予定の方は、近隣にあるタイムズパーキングが最も近くて良いかと思います!
鎌倉市極楽寺。
人は死ぬと極楽浄土へと旅立って行きます。
このゆかりがあるかどうかはわかりません!さて、江の島電鉄極楽寺駅から数分の所にあります。
鎌倉駅方向から来る列車は江ノ電では1つしかない極楽寺トンネルくぐり抜け、極楽寺駅自体も車両区があり当初走っていた超レトロな車両が車庫内に展示されています。
極楽寺駅過ぎると景色は一変して海岸通り望みながら江の島方面に行きます。
すみません。
極楽寺自体これって言う記載が出来ませんが江ノ電でクチコミ出しても書けなかったのでそこん所お許しを!江ノ電、🌸満開時は風情溢れるロマンチックな光景を見る事が出来ます!新型車両よりレトロ車両の方が魅力的です。
鎌倉三十三観音廿二番札所で如意輪観音を祀る。
茅葺きの山門をくぐり、桜の参道を進んだ右手の観音堂に安置されている。
境内にはいろいろな草花が植えられており、この日は福寿草が咲いていた。
江ノ電の極楽寺駅下車で徒歩2分程の場所にある。
開基は執権北条氏の一族の極楽寺重時。
近隣の長谷寺の様な華やかさは無く規模も小さいが、お参りすると何故か落ち着く寺院である。
敷地内の写真撮影などはNGで御朱印も納経帳持参されない場合はいただけない。
開山は良観房忍性。
奈良西大寺叡尊門下で戒律を学ぶ。
1262年に北条業時に招かれて多宝寺住持となり、その後1267年に極楽寺に開山として迎えられました。
極楽寺は1259年に深沢に創建され、後に開基となる北条重時が現在地に移転したといわれています。
元寇に際しては、幕府の命により異国降伏の祈祷を行い、また、鎌倉幕府滅亡後も勅命により国家安泰を祈る勅願所としての寺格を保ちました。
かつての寺域は広大で、中心の七堂伽藍を囲むように多くの子院、そして療病院などの病院施設もあったことが当寺に伝わる絵図からわかります。
66.極楽寺アクセス:江ノ電極楽寺駅すぐ。
【拝観料】 無料 9:00~16:30【本堂】本尊は、毎年、灌仏会の前後4月7日から9日までの3日間のみの御開帳。
【転法輪殿(宝物館)】・公開期間(春季4月25日~5月25日・秋季10月25日~11月25日) 期間中の火・木・土・日曜日(※雨天休館)・拝観料 300円 10:00~16:00御朱印:①『本尊釈迦如来』 本尊②『本尊釈迦如来』 東国花の寺百ヶ寺 鎌倉一番札所③『如意輪観音』 鎌倉三十三観音霊場 第二十二番札所④『導地蔵尊』 鎌倉二十四地蔵尊霊場 第二十番札所⑤『月影地蔵尊』 鎌倉二十四地蔵尊霊場 第二十一番札所⑥『大日如来』 古都鎌倉十三仏霊場 第十二番札所⑦『霊山殿』 弘法大師相模二十一ヶ所霊場 第十四番見どころのポイント:・仏像:(本堂・宝物館にあります)☆公開日に注意①木造釈迦如来立像 - (国重要文化財)・秘仏で4月7日-9日のみ開扉される。
極楽寺の本尊。
台座内に永仁5年(1297年)の銘がある。
②木造釈迦如来坐像 - (国重要文化財)鎌倉時代。
両手を胸前に挙げ転法輪印(説法印)を結ぶ、図像的に珍しい釈迦像です。
③木造不動明王坐像 - (国重要文化財)寺の創建より古い平安時代末期の作。
本来極楽寺にあった像ではなく、島根県の勝達寺から大正5年(1916年)に移されたもの。
像高90センチあまりの坐像である。
ヒノキの一木造。
④文殊菩薩坐像 - (鎌倉市文化財)像高約55センチの坐像で、玉眼。
頭上に五髻を結う、いわゆる五髻文殊像。
⑤木造十大弟子立像 10躯 - (国重要文化財)ヒノキの寄木造、像高はいずれも85センチ前後で、袈裟をまとって立つ像である。
文永5年(1268年)の銘がある。
釈迦の10人の高弟である。
⑥木造良観房忍性(菩薩)坐像(鎌倉市文化財) (極楽寺を発展させた僧)鎌倉時代後期の作。
⑦木造思円房叡尊(興正菩薩)坐像 (鎌倉市文化財) (叡尊・真言律宗の僧)鎌倉時代後期の作。
銘文から没後17年の1306年に西大寺の寿像を模してつくられたもの。
・巨大な薬鉢と千服臼:宝物館(転法輪殿)の前にあります。
開山・忍性菩薩が施薬悲田院・癩病所を設けた頃に、治療に使用していたとされる道具です。
・忍性の墓:稲村ヶ崎小学校のグラウンドの西側山腹に極楽寺の奥の院(墓地)があり、石段を上った先に、高さ3.55mの五輪塔。
こちらも通常は見ることが出来ないが、4月8日に限って公開される。
周辺には他にも多数の五輪塔や宝篋印塔がある。
・導地蔵尊:現在の境内ではなく、桜橋の袂の「導地蔵堂」に安置されています。
・月影地蔵尊:現在の境内ではなく、導地蔵堂を右手に見て、稲村ヶ崎小学校の渡廊下を潜りさらに直進し、左手・三本目の道に入って行くと、左に小さいながらもきちんと立てられた月影地蔵堂が見えます。
その昔、母と別れた悲しみから亡くなった幼い娘がおり、その菩提を弔うため、後に地蔵堂が建てられた場所が月影ケ谷であったことから「月影地蔵」と呼ばれるようになりました。
極楽寺の歴史:はじめ寺は深沢谷に北条時重を開基、念仏僧の正永和尚を開山として建てられたが、当時地獄谷と呼ばれた現在地へ移され、1267年(文永四年)には北条時重の子時長・業時に招かれてに忍性が入寺し、以後は真言律宗の寺院となる。
当時、境内には49の支院が建ち並ぶなど現在よりもずっと大規模な寺院であったという。
鎌倉幕府の滅亡後も鎌倉府の保護を受け寺勢を保ったが、1425年(応永三十二年)の火災、1433年(永享五年)の地震、1572年(元亀三年)の大火と続く災害でダメージを受けて衰退し、荒廃した。
現在の建物は、明治時代の初めに建てられた山門以外はすべて近代に建てられたものなのだそうです。
江ノ電の駅としてはかなり有名な「極楽寺」ですが、実際の極楽寺は鎌倉ではどちらかというとマイナーなお寺かも。
規模もさして大きくはないですし、特に「これ」という見どころもありません。
ただ、紫陽花の季節だけは別物で、かなり見事な紫陽花を眺めることができるお寺です。
近くのコインPが意外にお安い価格設定なので、ここに車を駐車して江ノ電に乗って鎌倉高校前や江ノ島方面に動くのも良いかもしれません。
先日、長谷夜の灯かりでお邪魔致しました。
普段は境内撮影不可ですが、静かで落ち着いていてゆっくり出来た週末の夏の夜長でした。
素敵な時間、ありがとうございます✨
学生時代、訳もなくよくいきました。
トンネルから出てくる江ノ電も見れたりして。
敷地内は撮影禁止です。
小さな入口を通るとおごそかで美しい並木の参道が出迎えてくれます。
緊張しながら御朱印をお願いしたのですがとても優しく接して下さってほっと気持ちがほぐれました。
本殿の前には広がる大きな百日紅が鎮座しており、圧倒されます。
江ノ電の極楽寺駅を降りてすぐに極楽寺があります。
鎌倉大仏(高徳院)をお参りした後に訪れましたが、敷地内な少し手入れが行き届いていないかなと感じました。
お参りした後御朱印を頂きました。
鎌倉の寺院は大半が建長寺若しくは円覚寺の繋がりで曹洞宗か、日蓮宗がほとんどですが、このお寺は真言律宗です。
例に漏れず北条氏による創建で、創建者の北条重時は極楽寺殿と呼ばれてその血脈は極楽寺流と称されています。
敷地内は写真撮影禁止されていますので、お参りの際には気をつけましょう。
鎌倉時代、この地には貧者や病人が集まり、地獄谷と呼ばれていたという。
1259年北条重時が極楽寺を深沢からこの地に移し、開山した忍性は、療病院・悲田院・福田院・癩宿などを設け、人々の救済に努めたという。
歴史的価値が極めて高い史跡。
往時は一大勢力を持っていたお寺。
当時の伽藍は、稲村ヶ崎小学校の場所に建っていたそうで、周りには40程の塔頭や付随の建物があったらしいです。
その威光や記憶から地名にもなり駅名にもなり知名度も高いですが、今はとてもこじんまりしたお寺です。
スケジュールを詰め込んでまで、観光ルートに入れる必要もないかと。
それでも、桜の季節の早朝はお勧めですよ。
名前 |
極楽寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-3402 |
住所 |
|
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評価 |
4.1 |
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