一遍上人が鎌倉入りした際に執権北条時宗に阻まれて野...
時宗遊行寺派。
一遍上人が野宿した跡地と伝わる。
山門・本堂・庫裏などからなる。
一遍上人が鎌倉入りした際に執権北条時宗に阻まれて野宿した場所に建立されたお寺だそうです。
別名「しゃくなげ寺」とも呼ばれているようです。
まだ隠れキリシタンを受け入れていたとの伝えもあるそうです。
咳の神様「おしゃぶき様」の祠もあるので喘息の方はお参りするのも良いと思います♪
名前の通り陽が良く当たる開けたお寺です。
境内はそれほど広くなく墓地が大半を占めていますが、よく手入れされていて花もたくさん植えられています。
訪れた時にはお香の良い香りが漂っていました。
隠れキリシタンに縁がある寺との事で訪問。
住宅の中にこじんまりとしたお寺でした。
くるす門を拝見しました。
奥は一般的なお寺のお墓ですので、観光用ではありません。
一遍上人の存在を感じさせて貰えるような小さなお寺です。
静かなお寺 ゴールデンウィーク中でも 檀家さんが 一組 お墓参りをしていました。
隠れキリシタンと関係?のあるお寺さんみたいです。
静かなところです。
元々は近くの廃寺のものだったり、東慶寺のものだったりと言うのはあるが、キリシタン文化に繋がる亊物があるのが興味深い。
そもそも時宗では、一遍上人に繋がる格も高い寺だが、寂れた感じもまた良い。
白い曼珠沙華を初めて見たのはここだったが、花も良い。
元気な御住職でした御朱印のみです一遍上人法難霊場です。
鎌倉へ入るのを阻止された一遍上人が野宿したとされる場所に開山されたそうです。
その関係からも藤沢の清浄光寺(遊行寺)の末寺となっています。
静で落ち着いた佇まいが素敵で、花を大切にするお寺です。
光照寺の創建は鎌倉時代の弘安年中(1278〜1288)で、開山は一向俊聖上人とされます。
布教の為に鎌倉に入ろうとした一遍上人の一行は関所を守る武士達に拒絶され、やむなく江ノ島に通じる街道筋に野宿をし、翌日江ノ島に至り、野宿した跡地に建てられたのがこの光照寺であるとのこと。
有り難く、”一遍上人法難霊場”の御朱印を頂きました。
81.光照寺西台山英月院光照寺宗派(時宗)アクセス:北鎌倉駅より徒歩約10分。
県道21号を大船方面へ向かって、駅から3つ目の信号(北鎌倉女子学園入口の信号の次の信号)を左折、道なりに進むと右側にあります。
創建について詳しいことは不明だが、時宗の一遍上人が鎌倉に入ろうとしたが拒否されて宿をとった場所とも伝えられる。
拝観料:志納見どころ:・本堂 =1859年(安政6年)の建立。
・山門=岡藩(江戸時代の豊後国(現在の大分県の一部))江戸屋敷の菩提寺だった東渓院(明治維新時の廃仏毀釈により廃寺となる)の門を移築したもの(昭和になり新築されました)で、欄間には中川氏の家紋のひとつである「中川クルス紋」が掲げられている。
クルス紋は、キリシタン大名の流れを引く中川氏の用いた家紋で十字架を象ったものといわれている。
・阿弥陀三尊像=胎内の修理銘から1429年(永享元年)以前の作とされる。
(市指定文化財)・木造釈迦如来坐像・板碑=建武二年(1336年)の銘を持つ安山岩製の石碑。
(市指定文化財)御朱印:「一遍上人法難霊場」
北鎌倉駅から鎌倉駅方面の反対を5分ほど歩くと、左手奥に光照寺があります。
時宗の開祖一編上人が念仏布教のために鎌倉に入ろうとした時、執権北条時宗の警護の武士に阻まれ野宿した地に建立されたと言われるお寺です。
山門に、キリスト教の十字を意味する「クルス紋」が掲げられ、隠れキリシタンを受け入れていた伝承も残されています。
ここは時宗のお寺で、開祖の一編上人が鎌倉に入ることを阻まれて野宿した場所だそうです。
山門にはクルス紋が掲げられ、隠れキリシタンを受け入れていたことを伺わせます。
カーブした道にお寺の階段が面しているので、場所が少しわかりづらいかもしれません。
境内はこぢんまりとしています。
本堂の裏は墓地ですが、花めぐり順路という通路があり、周りに色々な花が咲いています。
御朱印をいただいた際に、ご住職の奥様から↑このようにお聞きしました。
江戸時代に隠れキリシタンに門戸を開いた寺。
シヤクナゲが綺麗です❗
2019年2月、鎌倉特別参拝にて光照寺にて色々な話を聞く事ができました。
天気は、雨で残念でしたが、季節ごとの花が咲いて隠れキリシタンや鎌倉の今と昔の事など、分かりやすく話してくれました。
御朱印もいただきました。
A beautiful old temple.
鎌倉方面からgoogleの案内で此方へ…正面からでは無くて何故か?墓地に案内されて墓地から本堂に…(°_°)ちなみに気軽に参拝できるお寺でした(^_^)
2016/04/01に参拝。
この日は大船駅から歩いて常楽寺で参拝、さらに東にある多門院にも参拝、墓地の「やぐら」を見学してから鎌倉街道を歩きJR横須賀線踏切を左折、途中から鎌倉街道に別れを告ぎ、白いタイル張りのマンションの脇を右折、小さな川を渡って、石壁の鎌倉らしい細い道を、うねりながら「光照寺」を目指した。
途中、食通にはミシュラン★で有名になった「北鎌倉茶寮幻菫庵」からこの細い道まで楽し気に話す声が聞こえてえてきた。
入口まで覗いたが庭には菫の花が植えられていた。
さて、光照寺は、かの一遍上人が鎌倉入りを画策した際、山ノ内で野宿した場所でもありますが、時宗の遊行寺派の寺で通称「しゃくなげ寺」で知られています。
境内はクルス門を入って右側に枝垂桜がありましたが丁度行ったときは、余り咲いていなかった。
栗の女性曰く今年は咲が悪いとのこと。
境内をゆっくり花を見ながら散策しましたが「紅・白ボケ」「椿」「アケビの花」「水仙」「オオマツユキソウ」「シャガ」入口の「レンギョウ」「コデマリ」等が咲きそろい、目を楽しませてくれました。
Very small temple. San-mon, the main gate, has a cross crest, and it means according to legend, this temple once accepted secret christians when it was prohibited.小さな寺院。
山門は「クルス門」と言われ、キリスト教の十字を表すとされる「クルス紋」が彫られている。
名前 |
光照寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-46-6355 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
西台山英月院光照寺といい時宗(遊行寺派)のお寺になります。
御本尊は阿弥陀如来像(三尊像)です。
開基は一向俊聖で鎌倉時代の僧といわれていましたが不明な事が多い僧でしたが考古遺物等によりその存在が確認されています。
時宗の開祖である一遍上人が念仏布教ために鎌倉入りした際に巨福呂坂(こぶくろさか)を守る鎌倉幕府第八代執権北条時宗の警護の武士に鎌倉入りを止められてやむを得ず行き先を江ノ島にした途中に野宿をしたところが現在の光照寺が建つ場所であると言い伝えられている。
近世には周辺の小袋谷村に隠れキリシタンの集落が存在し光照寺が庇護していたという伝承が残る。
光照寺の山門の欄干には九州豊後国の岡藩主中川家の家紋の「中川クルス」十字架を変形させた紋が掲げられているため「クルス門」と呼ばれている。
別称で石楠花寺(しゃくなげでら)と呼ばれます。