今般12回目の鎌倉訪問となる。
文殊祭本祭前日の令和6年1月24日、宵祭に参拝させていただきました。
この日と25日のみ文殊堂安置の文殊菩薩坐像が開帳され、さらに一般人は宵祭の読経後にしか入堂しての拝観が許されません。
大きくはない茅葺きのお堂内部は畳敷き(八畳程?)で、知恵をつかさどる菩薩様らしく、地元のお子さんが少なくとも20人は入堂する中、18時から読経がはじまりました。
お子さんは読経後にお菓子をもらい、笑顔がこぼれていました。
子供の笑顔は癒されますね。
読経後に間近で文殊菩薩坐像を拝観させていただけました。
少し下から拝見する文殊様は、かすかに笑みをたたえているように見え、事前に認識していた正面写真とは大分印象が違いました。
宗風の美仏。
間近で拝観できて大変良かったです。
常楽寺さんは、阿弥陀堂の前にある公孫樹が個人的に特にお気に入りで、公孫樹落葉時の風情が素晴らしいです。
今回は阿弥陀堂の屋根越しに見える月が大変綺麗に見えました。
六国見山ハイキングコースを歩き大船へ向かう途中に訪問。
道路を歩いていると住宅街の入り口にしては珍しい立派な松があり、その下に寺標がたっているいるのが目印となります。
三代執権北条泰時が義母の供養のために建てた粟船御堂がはじまりとのこと。
茅葺屋根の山門を入ると見えてくるのが、不思議な木。
その前に立つ碑を見ると銀杏の古木が倒れ、その根から生えてきた枝たちとのこと。
様々な樹木が、綺麗に手入れがされており、とても気持ちの良い雰囲気を醸し出している。
何度も来ている常楽寺ですが、2023.12.13はじめてガマがいる事に気づいて投稿。
その他の写真は皆さんのを参考。
初めて訪問する方で、見落とすのが、本堂の裏にある泰時のお墓とお寺を出て裏山にある悲劇の人、木曽塚そしてひっそりと大姫の説ありのお墓があります。
足腰に不安な方はやめておいた方が良いですが、是非、地図で確認してみて下さい。
茅葺屋根の門が立派で、石畳のデザインが素敵なとても静かなお寺でした。
北条泰時のお墓は本堂の裏手にあります。
木曾義高のお墓は一度門を出て左手奥に進み、山の階段を登ったところにあります。
大船駅から徒歩15分ほどの位置にある古刹。
北条泰時が開山した由緒正しい臨済宗の寺院。
鎌倉の中心部からは離れていますが、古い歴史のある立派なお寺です。
粟舩山という山号は大船の地名の由来にもなりました。
駅からはやや遠いですが平坦な道のりをしばらく歩くとあります。
お寺の建物自体は細い道の奥にあるのですが、道路沿いの立派な松と寺号碑が参拝の際の目印となります。
境内は木々が生い茂っており、緑豊かです。
茅葺きの山門も良い味を出していると思います。
御朱印を頂きましたが、お寺の奥様と思われる方の対応が非常に丁寧で感動しました。
お礼をする際の美しい所作は見習いたいです。
こじんまりした静かなお寺。
北条泰時の墓が後ろに、公園の方に上がって行くと冠者殿・義高塚や大姫かもしれない祠がある。
御朱印は庫裡でピンポンしたら女性が親切に対応してくれた。
和尚がいないので書置きでも良いですかと。
私の御朱印帳では見開きになった。
住宅街にあるお寺ですが木曽義高のお墓のある裏山に接しているので、本堂右手の庭園はこじんまりしてますがなかなか見事。
本堂をくるっと回り込むと北条泰時のお墓があります。
木曽義高のお墓へは一旦お寺を出て向かって左側の小道を常楽寺に沿って歩いていくと山に入れます。
木曽義高のお墓の裏から小さな公園に抜けることも出来ます。
過去に何度か訪れていますが久々に来てみました。
大船駅から歩いて行ける距離にあるので、意外と参拝客は多いですね。
本堂の阿弥陀三尊像をじっくりと拝む事ができて良かったです。
本堂裏の北条泰時公の墓の前でも手を合わせてきました。
木曽義高の墓は裏山の中に有るそうですが、登り始めた場所に一般の方の墓地があったので、今回は見合わせました。
門前の表示以外にも山の中に道標が有った方が良いと思います。
常楽寺は、鎌倉幕府第3代執権 北条泰時が妻の母のために創建した粟船御堂が始まりで、北条泰時のお墓もこちらにあります。
また、禅宗を開くために第5代執権北条時頼が招いた蘭渓道隆が建長寺建てられる前、最初に入ったのがここ常楽寺とされています。
さらには、裏山には、源義高の木曽塚と、義高の許嫁の大姫の墓といわれる姫塚があります。
茅葺の山門をくぐり静かな境内と小高い裏山が巡るだけで、北条泰時の別邸であり、禅宗の始まりであり、大姫の悲恋の跡を巡ることができる不思議なお寺です。
旧鎌倉からは少し離れた大船エリアにある臨済宗のお寺。
ちょうど新緑がキレイなタイミングだったようで、もう美しいの一言。
北条泰時の公墓も本堂の後ろにひっそりと。
Googleマップだよりに大船から歩いて向かう方へ。
明らかに公園を指してるから注意!階段を登って公園に入り、奥に進むとすぐ墓が!そこが木曽義仲の嫡男であり北条義時の娘大姫の夫源(木曽)義高のお墓。
手を合わせ下ると大姫のお墓、その向こう側にお稲荷様。
さらに坂を下るとようやく見えます。
常楽寺。
庭が綺麗に保たれていて茅葺の屋根が寂び感を出している。
入館料なし是非歩いて行ってみてください。
大船駅から歩いて15分ほどです。
北条義時の長男であった北条泰時の墓が仏殿の裏側にあります。
また裏山を登ったところには、木曽義仲の長男であった木曽冠者義高の墓と言われる木曽塚、また許嫁の大姫の墓と言われる姫宮塚があります。
流石、北条泰時公のお寺ですね!蘭渓道隆さんが住職をし、臨済宗を広めた方の匂いが約八百年の月日を越えて伝わるような場所でした。
三浦一族を五六十年かけ概ね滅ぼし、鎌倉五山の構想を練ったとしたら三浦一族ファンとしては悔しいお寺ですが、良かったのです。
その後、北条時頼公が意思を次ぎ現在の鎌倉五山があるのですね!逆説的に言えば、三浦一族が最大のライバルだったのでしょうね!
大船駅から六国見山に向かう途中にあります。
駅から歩いて15分くらいでした。
山門脇の木戸が開いていたので参拝し、ご本尊も拝むことが出来ました。
鎌倉幕府第三代の執権北条泰時公と、建長寺開山大覚禅師(蘭渓道隆)ゆかりの古刹です山号を粟船(ぞくせん)山 常楽寺と名を改める前は 粟船御堂とよばれいました現在の大船は「粟船」にちなむらしい歴史も古く常楽寺なくして建長寺なし(常楽は建長の根本なり)としてあつく 尊崇さるた為緑豊かなお寺で 本堂の阿弥陀三尊像が とても良かったです御朱印を頂いた時に 常楽禅寺誌も頂きました。
御朱印をいただいた時にご住職が優しく対応してくださりいろいろな話を教えてくれます鎌倉の外れ(大船)なのでひっそりとして静かに参拝できます。
少し奥まった場所にありとても静か。
綺麗に整えられた小さなお寺です。
北条泰時公による開基で退耕行勇和尚の開山とされ由緒正しく、実は中国の古文書には鎌倉五山の筆頭寺院の建長寺住職だった四川省出身の蘭渓道流和尚が常楽寺に住職としていた記録が残るので実際は更に上位の蘭渓道流和尚が開山だった事が解る。
境内には北条泰時公の御廟の他に木曽義仲公の遺児、木曽義高公の矢倉もある。
参道の雰囲気が良い御寺。
1月25日の文殊菩薩ご開帳の日に参拝しました。
お靴を脱いでお堂に上がらせていただくと、お坊さんが懐中電灯で照らして見てください、と言ってくださりました。
恐る恐る光をあてると、御光の部分にきれいな色のついた文殊菩薩が現れました。
見られると思っていなかったので感激しました。
お昼過ぎについたのですが混雑しておらず、のんびり拝観できて良かったです。
帰りには甘酒を振る舞っていて、お茶碗で麹の甘酒をいただきました。
お米がゴロゴロして腹持ちの良い甘酒でした。
ベンチに座ってのんびりいただけました。
来てよかったです。
常楽寺前バス停から直ぐの所で静かな佇まいで、見応え多く行ってよかった🎶😍💞💖
創建1237年、開基は三代執権北条泰時。
もと粟船御堂といわれ、大船の地名の由来の一つともいわれる。
北条泰時の母の追善供養として建てられたものであった。
臨済宗の寺である。
寺の裏面に褒賞泰時の墓がある。
ひっそりとした趣のある場所。
こじんまりとした、落ち着いた感じの静かなお寺でした。
小生横浜在住の定年退職者であるが、今年の旅テーマを「鎌倉」と定め、今般12回目の鎌倉訪問となる。
かなり前、永井路子氏の『北条政子』にて木曾義高と大姫の悲劇を読み、鎌倉市街から外れるが、是非本寺と、近接する義高塚を訪ねたいと思っていた。
本日漸く念願かなったと思っていたところ、何と迂闊なことに本日訪ねた墓所は三代執権泰時公の娘姫宮のものであり、義高塚は更に山を登った処にあるようだ。
「ボケたか!」と自問自答。
年内に(必ず)もう一度訪ねることにしたい。
本日(R1.12.4)、再度訪問。
本堂にお参りした後、今度こそと思い、脇道から裏山の階段を登った。
頂上付近の義高塚に行き着き、往時をしのび静かに合掌した。
名執権、北条泰時公ゆかりの古刹で本尊は阿弥陀三尊像です。
緑が多く、派手さはありませんが威厳のあるお寺です。
御朱印をいただく際、ご住職の奥様が応じてくれたのですが、神対応もとい、大変丁寧な応対で感激しました。
大船と言う地名はこの寺の元寺名・粟船御堂から来ていると言う由緒あるお寺🍀🍀また「道理」(武士社会の健全な常識)を基準とし統一的な武士社会の基本となる「法典」の御成敗式目を制定して武士にも民からも慕われた鎌倉幕府北条家の中興の祖の鎌倉幕府第3代執権・北条泰時公が開基した寺でもあるので本堂裏にひっそりとお墓もある🙏北条泰時公の墓の隣には鎌倉時代に活躍した臨済宗の僧・南浦紹明禅師の墓もある🙏有名な方なのに墓が小さいのが意外だった😲😲門を入って参道から見た仏殿やお堂や空間がまるで京都の寺院みたいで爽やかで気品があり見ているだけで癒された🍀🍀🍀また仏殿も珍しい建築様式らしくて県の文化財にしてされていて古さが凄く味わい深くて天井画「雲龍」は迫力があり作者の狩野派一の女性画家と言われた清原雪信画伯の作品で鎌倉地方ではここでしか見られない作品らしくて貴重でした✨✨✨さらに鎌倉の三名鐘の一つとして数えられている重要文化財の銅造梵鐘がある寺として有名ですが現在は鎌倉国宝館に移されている😔また仏像達も重要文化財に指定されているので見る価値大です😆そしてお寺の奥にある山には源頼朝の娘・大姫様とされる墓とその夫・源義高公のお墓が静寂に包まれている中ひっそりとあります🙏庭園も素敵で見ていると癒されます🍀🍀🍀寺の奥さんも凄く気品があり凄く親切な方で良かったです🌸🌸
人が少ない静かなお寺です。
裏側の方は住宅街へと続いており大船駅方面へ向かう際は裏から通った方が近道だと思います。
茅葺き屋根でした。
大船駅から近いようで結構歩くからバスを利用しても良いかも^_^常楽寺の交差点から右が北鎌倉の社寺、真っ直ぐに行くと湖畔、左に行くと大長寺…参拝に悩みますよね^^;
2016/03/31と4/1の両日参拝してきました。
粟船山常楽寺の「粟船(あわふね)」は、現在の地名「大船」の由来しているそうです。
鎌倉幕府三代執権の北条泰時が妻の母の供養のため「粟船御堂」を建て、退耕行勇(たいこうぎょうゆう)が供養の導師をつとめたのがこの寺の始まりです。
泰時は、現存する日本最古の築港「和賀江島」を材木座に築いたし、武家法の規範となった「御成敗式目」を制定した名執権で、仏殿(県重文)の裏手(3基ある右側が泰時、左が南浦紹明…大応国師)に眠っておられます。
傍には南浦紹明(なんばしょうみん)⇨大応国師)も眠っています。
紹明は、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の元で学んだ後、博多崇福寺に移り北九州に禅を広めた高僧。
粟船山中腹には木曽義仲の子義高の霊を祀る木曾塚もありました。
仏殿右横の休憩できる丸太に腰掛て、前方に広がる禅宗庭園を眺め、左の築山から「色天無熱池」に落ちる水音と、時たま跳ねる金色の鯉の姿と音に驚かされながら半跏趺坐で座禅を暫くしました。
途中、方丈の方から読経の声が聞こえ又と無い時間が過ごせました。
仏殿の左側には蘭渓道隆ゆかりの文殊菩薩坐像が安置されている紋受動があります。
また、山門を出て右に廻りこみ背後の法を上れば、最上部には、木曽義仲の息子義高を祀った木曾塚もあります。
中腹には泰時の娘姫宮の墓が手前に、その奥には粟船稲荷があります。
木曾塚からは、塚を廻った裏側にある「大船むくどり公園」に出られますから、公園の階段を下りて右側に行けば県道に出られます。
名前 |
常楽寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-46-5735 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
1237年に北条泰時が義母の供養のために建立した粟船御堂が前身。
建長寺開山の蘭渓道隆がその完成まで住していた場所でもある。
茅葺の山門やお堂があり、本尊は阿弥陀如来。
本堂裏には泰時の墓、裏手の山上には木曽義高(頼朝と平家討伐を競った木曽義仲の嫡男。
束の間の同盟の為に頼朝の長女である大姫が許嫁になり、鎌倉にて人質として暮らしていたが、頼朝と義仲の関係悪化のため討伐された。
なお、大姫はこれが原因で心を病み、若くして亡くなったと言われる)の墓がある。
以前は広大な境内を抱えていたと思われるが、現在はかなり縮小している。
長い参道に当時の面影を偲ぶことはできる。