義経弁慶ファンの方は是非お越しください。以前から一...
平家を滅ぼし鎌倉に凱旋しようとした源義経だったが、兄の頼朝に疎まれて鎌倉入りを果たせずここ満福寺に留められた。
釈明の手紙をしたためたが、受け入れられることはなく京都まで引き返すこととなった。
源義経が腰越状を書いた場所。
局所に義経や弁慶の由縁があるものや襖絵があります。
大河ドラマ鎌倉殿にハマり源義経が鎌倉に入れずここから手紙を書いた場所というので訪れました江の電の路面電車区間から海に出る直前の路地にあるので結構わかりにくい場所にあります駐車場はわかりませんが車だと結構細い道になります弁慶と義経の石碑があったり素敵な御朱印を書いて頂いたりしてとても良かったですまた階段の下は江の電が走っているので時間が会えば江の電も見れます。
源義経と武蔵坊弁慶の腰越状の舞台となったお寺。
こちらは、鎌倉時代の有名な出来事である、腰越状の舞台となったお寺です。
1185年5月に源義経公が源頼朝に会いに来た際、腰越で足止めを食らい、源頼朝に怒るのを辞めて会いにゆくのを許して欲しいとの文をこの地で書いて、この公文所別当である大江広元に差出したのが腰越状です。
しかし大江はこの文の趣旨を頼朝に伝えなかったので義経公は頼朝に会えず京都へと帰ったそうです。
ということで、この満福寺には源義経公や武蔵坊弁慶にまつわる見どころが満載となっております。
拝観料を払ってお寺の中に入ると、義経や弁慶の姿を描いた屏風絵や義経の家紋の入った甲冑や、腰越状も展示されており、見ることができます。
また、義経や弁慶にまつわるお守りや、腰越状の写しと現代語訳なども販売されております。
交通は江ノ電の腰越駅から徒歩約7分ぐらいです。
穴場の超絶景スポット。
満福寺の右側に管理事務所のような建物があり、中にはエレベーターがあります。
上ると江ノ島大橋と富士山を正面に見ることができます。
(エレベーターの裏にも階段あり)案内表示が小さくて見落としがちですが、ベンチとテーブルも設置されていて、夕焼けの時間は最高です。
満福寺を参拝した後に忘れずに立ち寄って欲しいおすすめスポットです。
義経が鎌倉に入れず足止めをされた時に滞在していたお寺との事で、300年も前の事ながら思いが伝わるようでした。
義経が腰越状をしたためた由緒あるお寺です。
ベンケイというメス猫(ちょっとダイエットしたほうが良さそう)が出迎えてくれます。
萬福寺は武蔵坊弁慶が腰越状を書いた事で有名なお寺です。
近くに行った際には寄っています。
脇の階段を上がっていくと江ノ島大橋や片瀬東浜や腰越の浜が見えて眺めが素晴らしいです。
天気が良くて空気がすんでいる時には富士山が見えます。
少し余談ですが本堂にピアノがあるのをご存知ですか?歌手のUruさんがデビュー前に今は焼失してしまった建物の屋上でピアニストのHidenoriさん作詞作曲の「星の中の君」の動画を撮影してYouTubeにアップしました。
境内でライブをした事もあります。
Uruさんのファンの間では聖地になっています。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に触発されて鎌倉幕府ゆかりの場所を訪ねていますが、今回は源義経の腰越状で有名な満幅寺に行ってきました。
満福寺は、奈良時代の744年(天平16年)に関東地方に蔓延した疫病を沈静させることを目的に、聖武天皇に命ぜられた行基が建立した真言宗大覚寺派のお寺です。
壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経が、平家の総大将平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとした時に、兄である源頼朝の命令にそむいたとの理由で鎌倉入りを拒まれことから、鎌倉への関門となっている腰越にある満福寺にとどまって、詫び状である「腰越状」をしたためて頼朝に送ったのですが許されず、再び京に戻ることとなりました。
その後、更に義経の捕縛命令が出されたため、子供の頃育った奥州平泉の藤原秀衡を頼りましたが、秀衡の死後に頼朝を恐れた秀衡の子泰衡に攻撃され、ついには自刃した話は有名です。
境内には、義経公慰霊碑や義経が手を洗ったと伝えられる井戸、弁慶の腰掛石と伝えられる石、弁慶が腰越状の下書きをしたためるときに水を汲んだといわれる硯の池があります。
寺院内に、義経や弁慶ゆかりの物が展示された展示室(大人200円、中学正100円、小学生以下無料)が設けられています。
また特徴として、境内に続く石段の直前を江ノ電が走っており、踏切を渡るとすぐ石段となっています。
源義経の腰越状で有名なお寺です。
拝観料200円を支払って中に入りましたが、腰越状以外の展示物は見るべき物は見当たらないかもしれません。
静御前の屏風絵です。
前から江ノ電に乗っていて満福寺気にはなっていたのですが、。
義経が、結果的には2回訪れる事になった場所だったんです。
腰越状を書いた時と、奥州衣川で敗れてその首が首実見されるために、この満福寺に来ているとは。
寄木のかわいい干支キーホルダー売ってます😁
今年の大河ドラマ義経ゆかりの場所です。
弁慶と義経がカッコいいですね。
江ノ電腰越駅から近いです。
江ノ電の小さな踏切を渡るとすぐ階段がありその上にあります。
義経ゆかりの寺だそうです。
20年程ですが、お世話になっているお寺です❕本日は、お盆の塔婆を受け取りに行きました。
歴史的にも、立派なお寺さんですよ。
義経が腰越状を書いた場所。
(今で言う足留めかなぁ)来年の大河で義経役の菅田○○さん❕撮影で来るのかなぁ~‼️(^_^)y-゜゜゜゜゜
満幅寺 別名弁慶寺源義経が 兄源頼朝に許しをえる為 腰越状を書いたお寺で知られているお寺です弁慶の書跡とされる腰越状の下書と伝えられています先日 火事がありましたが 義経庵が全焼しましたが 本堂は無事でした。
ジャンプ新連載逃げ上手な若君聖地巡礼で大船駅湘南モノレール湘南江の島駅龍口寺撮影其処から歩いて14分、源義経腰越状で有名な満福寺、意外に狭く坂道階段登る資料館入館料200、他では見ない御守も500前後で売ってます腰越状原文コピーはやや高く2000更に義経庵というシラス丼名物のカフェありましたがつい先日火災更に稲村ヶ崎富士山を望む海岸ちょっと車往来危険ですが歩くといいです、鎌倉駅まで完走は少しキツく江ノ電もやや高めながらこれに乗るのも観光の一つ、首都圏から日帰りの手軽さと火災から復興の願いも込め☆5
火事があったとのことですが、どこか分からないくらいの規模でした。
被害が少なくて良かったです。
腰越駅からほど近い場所にあります。
寺務所の方にとても良く対応していだけました。
また、境内には猫ちゃんも居ます。
義経が頼朝に送った「腰越状」の写しが頂戴出来ます。
こじんまりとしたかわいい神社。
目の前を江ノ電が通っていて風情があります。
腰越状が玄関奥に展示されてます。
奥の部屋の仏壇にて願い事を書くこともできます。
真言宗の寺。
天平16年(744年)に行基が建立したと伝わる。
本尊は薬師如来。
山門と本堂からなるが、建物は新しい。
この寺は源義経が「腰越状」(壇ノ浦の合戦で平家を滅亡させた後、政治的判断(頼朝及びその御家人は幕府権力維持のために将軍に権力を集中させようとしていたが、義経はその意図を汲み取ることができずに対立する権力である朝廷(当時は院政)に近づいていた)により兄頼朝から鎌倉追放を言い渡され、鎌倉入府を認めてもらいたい旨を記載した書状。
能や歌舞伎の人情物の題材となっている)を認めた場所として知られる。
なお、門前を江ノ電が走っており、江ノ電の撮影スポットでもある。
一家のお墓があるお寺さん。
お墓参りに行くとそこから見える江ノ島と海は、毎回綺麗で清々しい。
お墓の管理も行き届いていて、何度行ってもとても綺麗にしてくれている。
龍護山満福寺。
江の電沿いのと言うか、線路を渡るとあるお寺です。
弁慶にまつわる色々な、話やものがあるお寺らしいです。
本殿の細工も、そういう意味合いのものが掘られてます。
場所は、江の電「腰越駅」から5分ぐらいかな。
本堂の脇に横たわって居眠りしてらっしゃる仏さまが可愛い。
その先の脇に、腰越状に因んだ、硯の池という池があります。
見渡した感じより奥行きがとても有る敷地です。
山門は御霊神社みたいに、江ノ電の踏切の真ん前です。
2019年5月に訪れました。
あいにくの雨でしたが、江ノ電の踏切の前に階段があり、登ると目の前には本堂、左側には寺務所が有ります。
また手広く「しらす丼」など食事処も経営されてます。
しかしながら、寺務所の御朱印の対応は★のレベルで愛想は悪かったですね。
雨が降りしきる中で雨をしのぐ場所もなく、軒先で待ちぼうけ。
更には御朱印が出来上がった折りには窓口のガラス扉を締め切られて、わざわざ自分で開けて御朱印帳を貰うと言う始末です。
立ち去る頃には「ありがとうございました」と声を掛けましたが「無視」でしたね。
神社と違い、その様な対応が「お寺に行くのを遠ざける要因」かと思います。
まぁ、毎日〜何人もの御朱印を書くのは大変でしょうが、そこを丁寧にしなければ、訪れる方も減るでしょうね。
他の書き込みの方と意見は違いますが、私は何回も訪れたいとは思わない【満福寺】でした。
初詣で参拝看板猫ちゃんに会えました。
名前は弁慶ちゃん♪腰越状や物語調の襖など見所あります。
歴史好きの方にもオススメです。
頼朝の怒りを買った九郎義経が鎌倉入りを拒絶され、ここ腰越に留められている際、此方の満福寺さんで許しを乞う為のかの有名な「腰越状」を書いたとされます。
山号は龍護山、真言宗のお寺です。
お寺を入るとその書状の下書きとされるものが展示されていて誰でも読めます(読めないけど)。
平家討伐で多くの手柄を立てた名将義経ですが、やがては戦(いくさ)を厭い、仏の慈悲に縋(すが)る身となります。
書状からは、その義経の忠孝や誠実さ、兄頼朝に野心なきを何としても伝えようとする切実さが読み取れ、800年以上前の人なのにやっぱり “ 判官贔屓(ほうがんびいき) ” しちゃいますね~~。
平泉で討たれ、その首級は約一ヶ月半かけて此方の腰越に運ばれ首実検されます。
そういう意味でも腰越は因縁の地と言えます。
今その御霊は何処(いずこ)に?妻子と共に平泉の地か?静御前の下(もと)か?はたまた藤沢の白旗神社か?有り難くもお寺の受付の方に頂いた緑茶を、外の弁慶の腰掛石に座って飲みながら、壮大な歴史絵巻に燦然と輝くこの悲劇のヒーローを偲びました。
でも目の前にいた満福寺の名物ネコちゃん、そんな悲劇も歴史ロマンも「我関せず」と平和に虫を追いかけてましたね。
拝観料大人¥200。
源義経の史跡が残るお寺サン。
弁慶の腰かけ石がある。
お焚き上げをしていただける。
七里ヶ浜と江ノ島の間の小高い丘に位置しています。
お寺の参道入口に江ノ電の踏切が有りまるでお寺のゲートの様?お寺の裏手には墓地が広がり展望台の上からは海が望めとても景色の良いところです。
弁慶所縁のお寺です。
義経と弁慶ゆかりのお寺本堂の彫刻と本堂脇にある石像は同じデザインになってます。
本堂の拝観も有料ですがぜひ拝観してみてください。
襖絵に義経と弁慶のエピソードが描かれています。
天井の鎌倉彫や龍の天井絵なども拝見できます客間にも沢山の絵や襖の彫刻などちょっと見たことが無いような物もありました。
入口の辺りには住職さんが1枚づつ丁寧に描いてくださった色紙タイプと木の板に描かれたうしろ観音の御守りが有りました。
御守りにお持ち帰りくださいと書いてありますが、お賽銭箱に見合う金額を納めてきました。
歴史上有名なお寺です。
ここだけでは物足りないので常立寺、龍口寺、江ノ電の電車通り、万福寺、小動神社、腰越海水浴場等ひとまとめにして回ったらよいと思います。
源義経が源頼朝に宛てた腰越状を書いて頼朝の怒りをかって追われる身になった因縁の寺🍀🍀🍀本堂の中の源義経と静御前の別れの物語風の鎌倉彫りの技法の襖絵はヤバくて必見の価値あり(>_
744年創建の、真言宗大覚寺派のお寺です。
行基により開山されました。
源義経が、兄頼朝から鎌倉入りを拒絶された時、このお寺で腰越状を書いたお寺として有名です。
平成26年12月参拝。
源義経が兄 源頼朝により足止めされた場所。
海が近く静かな雰囲気のお寺です。
名前 |
満福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-31-3612 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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義経弁慶ファンの方は是非お越しください。以前から一度拝観したいと思っていたお寺様です。
今日、念願が叶いました。こちらには義経が頼朝に宛てて書いた腰越状の下書きを書いた弁慶のそれが展示されています。弁慶が書いた直筆の文書です。あの弁慶のですヨ!?鎌倉に行き、頼朝に面会を願い書いた腰越状の下書きがこちらに展示されています。
この情報を得て是非、拝観したいと思っていました。
力強い筆の文書がそこに有りました。
感動です。
辰年数回を越えた義経ファンの母に是非拝観したいと思っていた願いが叶いました。
下書きや細かい事は是非訪れていただきたいと思います。あえて注意申し上げますと、襖、天井絵が鎌倉彫りに漆塗りを施した名作だということ、その内容が義経、弁慶、静御前の生涯についての物だということ事です。PS江ノ電の南有る小動神社の上部に有る展望台に行って見てください。但し、昼食を召し上がるにはもってこいのロケーションですが頭上のトビ、カラスにはご注意を、以前一緒にここで昼食をとっていた友人がサンドイッチをトビにさらわれました。