一体一体見応えがあります。
お参り、御朱印。
駐車場なし。
養和元年(1181年)、源頼朝公が打倒平家を祈る為「祈願所」として建てた寺院。
本堂内部は沢山の仏様が祀られていまして、気になったのが左に祀られている大師様と右脇の観音様。
お力が凄いです。
頼朝様も祀られています。
御住職さんは物静かな方でした。
🙏☺️
鎌倉三十三観音の第17番。
源頼朝が打倒平家のため養和元年(1181年)に祈願所として建立したそうです。
名前の由来は観音様の聖地を表す梵語のポータラカがなまって現在の名前になったそうです。
境内には樹齢200年のサルスベリが存在感を出しています♪
補陀洛はポータラカを音写したとの事です。本堂内陣と仏間に並ぶ仏像は、一体一体見応えがあります。
竜巻寺と呼ばれ、お寺に残っている物が少なく中、ご本尊の11面観音等文化財も多く中でも源頼朝が奉納したと言われる平家の赤旗は貴重だそうです。
残っている赤旗はかなり小さかったですが、何か効果が有るからと切り取って煎じて飲まれたそうです。
180年~200年だろうと言われる百日紅の幹の大きさに感嘆の声も多かったですね🎵
「ふだらくじ」そこまで広くありませんが、源頼朝の祈願所として建てられました。
静寂に包まれており、海からも近いです。
百日紅の木がありましたが、咲き終わっていました。
立派な木でした。
静で落ち着いたら是非一度行って見てください。
夕方 散歩道を変えて通りました昼間も とても静かです。
暑い中行って来ました(^_^;) 4文字のお寺って珍しいので楽しみにしていました♪お寺の敷地がめっちゃ広くて驚きました。
綺麗な本殿,仏閣でした♪御朱印も頂きました(^o^)
まるで外観が普通の民家のような雰囲気がするが歴史的には源頼朝公が戦勝祈願の為に度々このお寺で祈願を行っていた由緒ある立派なお寺で何と源頼朝公が開基のお寺🙏さらに本堂内は非公開に近いが住職さんに頼めば何とか拝観させて下さるので本当ラッキーで嬉しかったし、住職さんも親切な方で良かった🌸🌸本堂内には自作で彫ったと言われている源頼朝像や文覚上人裸形像、行基作と伝えられている薬師如来像、運慶作と伝えられている日光・月光菩薩像、弘法大師作と伝えられている地蔵菩薩像、平安時代作の凛々しい風格を感じる不動明王像、さらに平家滅亡の折、総大将平宗盛公が持っていたとされる「平家の赤旗」など貴重な資料や仏像があり、皆文化財に指定されていて豪華で歴史好きには堪らないお寺でした✨✨✨✨小さいながらに凄いお寺でした✨✨✨✨鎌倉の隠れスポット的でレアなお寺です✨✨✨さらに門近くには源頼朝祈願所の石碑も立っているので忘れずに🦉🦉🦉
鎌倉三十三観音17番札所。
材木町の住宅地に佇む小さなお寺だが、お庭はきれいに手入れされていた。
源頼朝の祈願所として建立された。
もと京都仁和寺の末寺で、その後鎌倉市手広の青蓮寺の末寺だったが、現在は京都大覚寺の末寺となっている。
本尊の十一面観音立像、薬師如来及び両脇侍像など多くの仏像が安置されており、明治元年に寺が火災で建物は全半壊した際、これらの仏像類が全て無事であったという記録も残っている。
54.補陀洛寺 (ふだらくじ)寺の名前【ふだらくじ】はサンスクリット語の音を漢字に当てて作られた名前でその意味は「観音菩薩が住むところ」を表します。
アクセス:1.JR鎌倉駅東口7番バス乗り場 小坪方面行き「九品寺」下車徒歩2分。
2.JR鎌倉駅東口徒歩25分。
開 山: 文覚(伝) 1181年(養和元)開 基: 源頼朝(伝)山号・寺号: 南向山 帰命院 補陀洛寺宗 派: 真言宗大覚寺派「*竜巻や火災にあったりして、寺のいわれを書いた文書(もんじょ)は失われていて、詳しい寺の由来はわからないそうです。
」お花: 春:ツバキ 夏:サルスベリ,フヨウ御朱印:鎌倉三十三観音第17番/本尊 十一面観音菩薩「本堂内に安置されている文化財」 :・木造十一面観音立像 - 平安時代・木造不動明王坐像 - 江戸時代・木造薬師如来(伝 行基作) 及び 両脇侍(日光菩薩・月光菩薩)像(伝 運慶作) - 江戸時代(伝 鎌倉時代以前)・木造地蔵菩薩坐像(踏み下げ像) - 室町時代・木造弘法大師(秘鍵大師)坐像 - 南北朝時代・伝文覚上人裸形像・平宗盛の赤旗 - 平安時代(後期)*平宗盛の赤旗は、平家の赤旗で、平家の総大将平宗盛が最後まで持っていたものだといわれ、頼朝がこの寺に奉納したといわれています。
*平家の赤旗は「鎌倉まつり」期間中(4月第2日曜日~4月第3日曜日)から5月末日まで公開されます。
~平宗盛の赤旗について~平宗盛は、平清盛の三男。
1181年(治承5年)閏2月、平清盛が亡くなるとその跡を継ぎます。
そして、清盛の遺言を果たすべく平家軍の総大将として戦いますが、1185年(元暦2年)3月24日、壇ノ浦にて平家は滅亡します。
宗盛は、海に身を投じますが生捕りにされました。
1185年(元暦2年)5月16日、鎌倉に入った宗盛は、「ただ愁涙に溺るるの他なし」という有様だったといいます。
「助けてもらえるなら出家したい」と嘆願したともいいます。
その後、近江国の篠原宿で斬首された。
補陀洛寺には、宗盛が所持していたという平家の赤旗が残されています。
JR鎌倉駅東口より京急バス❬鎌40❭の小坪経由逗子駅行きに乗り約7分。
「材木座バス停」下車徒歩2分。
狭い路地を入った材木座の住宅街の中入口に源頼朝祈願所の石碑がたちひっそりと佇む真言宗大覚寺派のお寺。
山号は南向山。
創建は養和元年(1181)。
源頼朝が文覚上人を開山として建てたと言われています。
ご本尊は十一面観音菩薩。
鎌倉三十三観音第17番札所。
門に寺の名前も見当たらず少し迷ってしまったが境内に足を踏み入れると静かで凛とした空間。
ご朱印いただきました。
源頼朝祈願の地 火災や竜巻で多くを失った‼️
2018/10/28拝受 真言宗大覚寺派。
鎌倉には珍しい真言宗。
境内のウメモドキにたくさん実が付いて遠くから見ると真っ赤な花が満開の様に見えてとても綺麗でした。
鎌倉三十三観音霊場第17番札所の御朱印を頂きました!
(18/02/12)鎌倉三十三観音霊場 第17番札所「十一面観世音」御朱印をいただきました。
(12/10/27)鎌倉三十三観音霊場 第17番札所「十一面観世音」御朱印をいただきました。
真言宗大覚寺派の寺院。
本尊:十一面観音菩薩鎌倉40
鎌倉には珍しい真言宗のお寺さんです。
御朱印をいただきました☀️
(18/02/12)鎌倉三十三観音霊場 第17番札所「十一面観世音」御朱印をいただきました。
(12/10/27)鎌倉三十三観音霊場 第17番札所「十一面観世音」御朱印をいただきました。
真言宗大覚寺派の寺院。
本尊:十一面観音菩薩鎌倉40,41系統路線バス:材木座バス停より140m。
こじんまりしたきれいなお寺です。
別名「竜巻寺」といわれる。
たびたび竜巻や火災にあったため、寺歴は詳しくわからない。
もとは七堂伽藍をもつ大きな寺院であった。
文和年間(1352〜1356)に鶴岡八幡宮の僧、頼基律師が復興した。
源頼朝が鎌倉に入った翌年の養和元年(1181)、頼朝の祈願所として創建された。
伝えによると本堂の不動明王像は、平安時代の高僧、智証大師の作といわれ、平家打倒の祈りが捧げられた。
薬師如来像は行基作、日光・月光菩薩は運慶作、地蔵像は弘法大師作、そして特に珍しいとされる平家の赤旗は、文治元年(1185)の平家滅亡の折、総大将平宗盛が最後まで持っていたものと伝わる。
源頼朝公開基のお寺です🎵鎌倉三十三観音、十一面観音様の御朱印をいただきました🙇
鎌倉三十三観音札所巡礼、第十七番札所です。
達筆の御朱印は感動です。
真言宗大覚寺派 鎌倉三十三観音第17番札所平成24年2月20日参拝平成28年3月 3日参拝新四国東国八十八ヶ所第81番霊場平成27年6月25日参拝。
たびたび竜巻に襲われていて「竜巻寺」という別名がある。
鎌倉で竜巻が頻繁って驚き!!
名前 |
補陀洛寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-8559 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
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人の気配が無かったお寺。
かなり静かで落ち着けます。
境内の手入れもされています。