(18/02/12)鎌倉三十三観音霊場 第19番札...
光明寺の右隣です。
小さなお寺ですが歴史としてはかなり古いみたいです。
参拝を済ませ御朱印をいただきましたが、皆さんの言うとおり対応が優しく気持ち良かったです。
鎌倉三十三観音霊場 第十九番所。
御朱印のみですいません(-。-;ご本尊 阿弥陀如来鎌倉三十三ヶ所観音霊場第十九番札所十一面観世音弘法大師 相模二十一ヶ所霊場第十一番札所南無弘法大師です。
76.蓮乗院(れんじょういん)天照山蓮乗院(てんしょうざんれんじょういん)宗派 浄土宗拝観料 志納(無料) 拝観時間 9:00~16:30境内 撮影可能。
アクセス:JR鎌倉駅東口から徒歩30分。
JR鎌倉駅から東口より京急バス・7番のりば 「鎌40 鎌倉駅~逗子駅」光明寺バス停 下車 徒歩1分・7番のりば 「鎌41 鎌倉駅~小坪」 光明寺バス停 下車 徒歩1分御朱印:①「阿弥陀如来」 本尊②「十一面観世音」 鎌倉三十三観音霊場 第19番札所③「南無 弘法大師」 弘法大師相模二十一ヶ所 第11番札所概要:・鎌倉市材木座にある寺院です。
・蓮乗院は、寛元元年(1243年)に光明寺(浄土宗)が創建以前から材木座に立つお寺です。
・創建された年月などは不明で、「蓮乗寺」と称していて、当時は真言宗であったと伝わります。
・光明寺がこの地に移されてきてから、子院となり「蓮乗院」と名を改め、浄土宗へと改宗されたたといわれています。
・良忠(りょうちゅう)上人が光明寺落成まで、ここに住居して建築を督励(とくれい)したといわれ、光明寺の新住職になるとまず蓮乗院に入ってから改めて光明寺の本山方丈(ほんじょう)に入るならわしになっています。
・蓮乗院のご本尊として祀られている阿弥陀如来像は、源頼朝が鎌倉入りをする際に進言したとされる御家人であった千葉常胤(ちばつねたね)の守護仏として現在に伝えられています。
この他の蓮乗院寺宝である文殊菩薩や地蔵菩薩は、参拝した人に知恵と健康を与えてくださるというご利益があり、パワースポットとしても知られています。
・春は桜が美しく、秋はススキが情緒を誘います。
見どころ:・蓮乗院本堂にある美しい花鳥図の板ふすま絵と天井の格天井の絵極楽浄土を思わせる作りとなっており、当時あった鎌倉時代の特徴を表しているところです。
・本尊の阿弥陀如来立像寄木造という手法で作られており、これは平安時代の一木造から鎌倉時代への変遷が見えるものです。
この立像は、寄木造という手法で作られており、高さ81.5cmあり、仏像の調査で、造像は「正安元年(1299年)」、作者は「大仏師播磨法橋宗円」という造仏銘が胎内に残されています。
また、胎内全面に阿弥陀経の48願の文(一部脱落あり)が記され、「宇治氏の女某」が志主となって「父母師長六親眷属乃至法界衆生の平等利益」 のために「正安元年10月1日」にこの像を造進した旨が明記されています。
このことたら、この仏像の造像は正安元年(1299年)に作られたものです。
お首の柄には、貞治3年2月4日に修理したことが記されています。
このように鎌倉時代の銘がはっきりしている仏像は、貴重な文化財といえます。
(鎌倉市文化財)当院の諸尊:阿弥陀三尊像阿弥陀如来座像釈迦如来座像十一面観世音菩薩 鎌倉三十三観音霊場 第19番札所善導・法然両大師像弘法大師像 弘法大師相模二十一ヶ所 第11番札所文殊菩薩像(私たちに仏の知恵を授けてくださる)地蔵菩薩像健康地蔵尊(小像ながら私たちに健体康心を与えてくださる)福徳地蔵尊(無縁仏の冥福を祀ることによって私たちに福徳を授けてくださる)不動尊像(悪を断ち善を修して諸願成就をかなえてくださる)大黒天像(私たちに物心にわたるもろもろの利益を施してくださる)
JR鎌倉駅東口より京急バス❬鎌40系統❭の小坪・逗子駅行きに乗車し約8分。
「光明寺バス停」下車徒歩2分。
光明寺総門手前を右手に入ると山門が見えてきます。
創建年月は不明ですが光明寺が建てられる以前にこの地にあったそうです。
浄土宗の寺院でご本尊は阿弥陀如来像。
阿弥陀三尊の手前に祀られる十一面観世音は鎌倉三十三観音の19番札所となっています。
境内は手入れの行き届いた静かで綺麗なこじんまりとした空間。
ご朱印いただきました。
鎌倉三十三所観音霊場と相模二十一ヵ所霊場の参拝でそれぞれお伺いしました。
浄土宗のお寺で天照山蓮乗院といいます。
鎌倉観音霊場の御本尊は十一面観世音菩薩で、霊場第十九番札所になります。
相模霊場の御本尊は弘法大師で、霊場第十一番札所になります。
天照山光明寺(本山)が開山される前は真言宗のお寺でしたが、光明寺の子院となり現在に至っています。
天照山光明寺より前に材木座にあったお寺になります。
天照山光明寺に新住職が入山する場合は必ず一度、蓮乗院に入寺してから光明寺に入るという慣例が残されています。
光明寺より早い時期にこの地にあった寺で蓮乗寺といい、はじめは真言宗だったということです。
光明寺がこの地に移されてきてから、子院となり蓮乗院と名を改めたといわれています。
光明寺の新住職になるとまず蓮乗院に入ってから改めて光明寺の本山方丈に入るならわしになっています。
2018/10/28拝受 鎌倉三十三観音霊場第19番札所の御朱印を頂きました。
とても快く対応して頂きまして感謝しております!
🌸が満開です❗光明寺の支院、光明寺より先にこの地に有った寺で蓮乗寺と言った。
光明寺の塔頭(子院)。
塔頭自体は鎌倉では珍しい存在です。
(18/02/12)鎌倉三十三観音霊場 第19番札所「十一面観世音」御朱印をいただきました。
(12/10/07)鎌倉三十三観音霊場 第19番札所「十一面観世音」御朱印をいただきました。
光明寺の支院。
浄土宗の寺院。
本尊:阿弥陀如来鎌倉40
(18/02/12)鎌倉三十三観音霊場 第19番札所「十一面観世音」御朱印をいただきました。
(12/10/07)鎌倉三十三観音霊場 第19番札所「十一面観世音」御朱印をいただきました。
光明寺の支院。
浄土宗の寺院。
本尊:阿弥陀如来鎌倉40,41系統路線バス:光明寺バス停より直ぐ。
鎌倉三十三観音第十九番札所、御朱印頂きました。
素朴なお寺です。
こちらのお寺も、千手院と同じように光明寺のすぐ隣にあります。
鎌倉三十三観音、十一面観音様の御朱印をいただきました🙇
元は蓮乗寺と言う寺名で、坂東平氏良文流の名族、千葉家の鎌倉に置ける菩提寺だったと伝承し、御本尊も源頼朝公に与力した平安時代末期の名将の千葉常胤公の持仏だった。
元は真言宗で千葉家菩提寺だっただけあり弘法大師空海和尚と関係も有った様だ。
浄土宗大本山光明寺が現在地に移転する際に時の光明寺開山様が蓮乗寺に滞在された御縁により宗旨を浄土宗に改め、以後、寺も光明寺塔頭となり蓮乗院に名を改めた。
戦国時代に成ると、千葉一族の下総国印旛郡臼井城主の臼居家が外祖父の原家に居城を乗っ取られた際に、臼居杢左衛門公達臼居一族が鎌倉大町に逃げてきて、以後、臼居家菩提寺と成った。
臼居杢左衛門公は北条家臣となり旧鎌倉郡野庭(横浜市港南区野庭)に移住した。
現在では御寺自体に縁起を記した書物は残らず、江戸時代に昌平坂学問所の総代、間宮士信公等の編纂した新編相模風土記稿に記された内容と光明寺の記録と臼居一族御子孫の伝える記録により同寺の歴史を遡れる。
元は蓮乗寺と言う寺名で、坂東平氏良文流の名族、千葉家の鎌倉に置ける菩提寺だったと伝承し、御本尊も源頼朝公に与力した平安時代末期の名将の千葉常胤公の持仏だった。
元は真言宗で千葉家菩提寺だっただけあり弘法大師空海和尚と関係も有った様だ。
浄土宗大本山光明寺が現在地に移転する際に時の光明寺開山様が蓮乗寺に滞在された御縁により宗旨を浄土宗に改め、以後、寺も光明寺塔頭となり蓮乗院に名を改めた。
戦国時代に成ると、千葉一族の下総国印旛郡臼井城主の臼居家が外祖父の原家に居城を乗っ取られた際に、臼居杢左衛門公達臼居一族が鎌倉大町に逃げてきて、以後、臼居家菩提寺と成った。
臼居杢左衛門公は北条家臣となり旧鎌倉郡野庭(横浜市港南区野庭)に移住した。
現在では御寺自体に縁起を記した書物は残らず、江戸時代に昌平坂学問所の総代、間宮士信公等の編纂した新編相模風土記稿に記された内容と光明寺の記録と臼居一族御子孫の伝える記録により同寺の歴史を遡れる。
手軽にお散歩兼ねて参拝に来ました(^_^)
2016/02/25に鎌倉三十三観音霊場の第番札所で参拝しました。
もともとは光明寺山門右手にあった僧坊だとか。
門に入ろうとして左側に目をやったら「弘法大師」の石塔に気がついた。
昔は、「蓮乗寺」と称し、真言宗の寺であったとか。
庫裏で御朱印をもらう時に尋ねたら昔はこの寺が真言であり、のちに改宗したとのこと。
また、この寺は「 弘法大師相模國廿一ヶ所霊場」であるとが解った。
名前 |
蓮乗院 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-5835 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
御朱印の対応がとても丁寧でした。
今は浄土宗のお寺ですが、かつては真言宗のお寺だったそうです。
なので、弘法大師が祀られています。