高台にあり、景色も良くオススメです。
西行戻しの松(平安時代) / / .
奥の細道 第21の段 「松嶋」芭蕉曰く扶桑(日本)第一の好風景の場所です。
そして、西行が松嶋訪問を断念した場所でもあります。
こちらで芭蕉が詠んだ句は「嶋々や 千々にくだきて 夏の海」この句の記載は「奥の細道」にはありません。
禅門心得のある方でしたら、この句の意味は一言。
”恁麼(いんも)なり”芭蕉は臨済宗の門下で、奥の細道は禅僧のいでたちでの旅と聞きます。
偶然手前が「雪裏の梅華ただ一枝」を信仰する禅門に帰依する者であったためこのような解釈になりました。
大変無礼な例えでございますが、鳩摩羅什や玄奘法師の数学知識がより高いのであれば、般若心経の訳が異なっていたでしょうが、到達すべきところは一緒です。
さらに言えば釈尊が現れなければ、時代が遅れるかもしれませんが、別のどなたかが別の手段で正しい到着点に導く道を照らすことになり、やはり到達するところは一緒です。
しかしその道筋は同じとは限りません。
誤解を恐れず禅門の方以外にこの句を説明するとすれば、「求めていた日本一の風景が突然現れて、過去に思い浮かべていた映像が粉々に砕けて瓦礫となった」たかが一般人ですと、この辺が表現の限界です。
かつて、この地を訪れた芭蕉の尊敬する西行はこの地より先に松嶋に進みませんでした。
(添付写真参照)あくまで、個人的な見解ですが、奥の細道の旅では藤原実方に敬意を表して第4の段「室の八嶋」で詠んだ「糸遊に結びつきたる煙哉」と同様、この段では西行に敬意を表して句を載せなかったものと考えます。
余談ですが、個人的に西行は大嫌いです。
軍役を逃れた上に、命を張った武士を非難する振る舞いは手前が人として持っている”こころ”の許容の範囲を超えています。
先入観があって西行の文学のことはよく分かりません。
それが手前の生活に影響が無いので改善することは無いでしょう。
かつて古事記に通じた予備校時代の大恩師に日本で最も販売した小説は夏目漱石の作品と聞きました。
この国には自ら志願して命を張って祖国を護って頂いている方がいらっしゃいます。
その方が勤務中、命の危険に晒された際の長官の振る舞いは西行と同様の憎悪を覚えました。
正直、当時の長官には乃木坂で禊ぎをして、全ての部下一人一人に直接詫びを入れて頂きたいと強く思いました。
西行戻しの松という松そのものは存在しないので施設名自体がわかりづらい。
とっぴな感じのカフェはまあいいとしても植え込みがローズマリーだったりしてよくわからない雰囲気。
天然の植生や芝生は素敵。
展望台もきれいだった。
朝日がとても綺麗でした。
駐車場は有りますが桜の季節などはすぐ一杯になりますし、徹夜組や他県ナンバーなど非常に多くの方々が訪れるため駐車は難しいです。
ちなみに私は4時半頃に着きましたが、既に駐車場は溢れて路上にまで車が止まってました。
また撮影スポットはかなりの人、同じくらいの三脚がごった返しており、撮影するならスマホより画角に変化を与えらる一眼カメラなどの方が人混みの合間から撮影出来るので良いと思います。
街中から近く、松島を一望できる貴重な場所。
鉄道の写真を撮影するにも向いている。
人が少ないことが多く、静かな環境。
道は整備されているため、危険な印象は全くない。
カフェル・ロマンにきたらぜひ立ち寄りたい。
公園名の由来となっている松の大木。
西行法師が山王権現の化身との禅問答に敗れ松島行きを諦めたという場所。
高台になっていて松島海岸を遠望でき眺めは良好だ。
15年ぐらい前は、何にも無いところでそんなに人も訪れずマイナースポットだったが、カフェを整備するなどテコ入れされてそれなりに人が訪れるようになった。
公園名の由来となっている松の大木。
西行法師が山王権現の化身との禅問答に敗れ松島行きを諦めたという場所。
高台になっていて松島海岸を遠望でき眺めは良好だ。
15年ぐらい前は、何にも無いところでそんなに人も訪れずマイナースポットだったが、カフェを整備するなどテコ入れされてそれなりに人が訪れるようになった。
名前 |
西行戻しの松(平安時代) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
桜の花を見るならここでしょっ!駐車場まで数十分並んだとしても見る価値アリです!