寿福寺の隣にある小さな神社です。
八坂神社(相馬天王) / / / .
街並みに埋もれる様な小さな神社ですが、創建は鎌倉時代までさかのぼる古社です。
鳥居を抜けた先に生える、生命力 溢れる一対のタブノキの力強さに目を奪われました。
2016/03/ と04/27に参拝。
壽福金剛禅寺に参る前に参内。
扇ガ谷の鎮守で、別名「相馬大王」ともいわれる。
その由来は建久三年(1192)、源頼朝家臣で千葉常胤の子、相馬次郎師常が自邸(巽神社付近)の守護神として勧請したことによる。
師常は文治五年(1189)頼朝の奥州征伐で武勲をあげるなどした鎌倉時代初期の武将。
信心も篤く、常心と号する念仏行者でもあった。
「吾妻鏡」は、元久二年(1205)、常師が端座合掌して往生を遂げ、その姿に感銘を受けた多くの人々が亡骸のもとに参じたと伝えている。
社は後に浄光明寺裏山の網引地蔵付近の窟屋、壽福寺本堂脇脇を経て、現在地に移った。
明治二年(1869)に、神仏分離に際し「八坂大神」と改称した。
祭神は素盞嗚尊(すさのうのみこと)、桓武天皇(かんむてんのう)、葛原親王(くずはらしんのう)、高望王(たかもちおう)、例祭は7月12日、境内社子神社(ねのじんじゃ)、神徳は疫病除、農業、商業。
名前 |
八坂神社(相馬天王) |
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ジャンル |
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電話番号 |
046-822-0208 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=422&cd=1205035 |
評価 |
3.6 |
寿福寺総門近くにあって、何の神社なのか、前から気になっていました。
この神社は、相馬師常が自身の鎌倉屋敷内に守護神を祀ったことが始まりとのことです。
相馬師常は頼朝の重臣、千葉常胤の次男で、相馬氏を継ぎ、頼朝挙兵の際、父とともに助けた武将です。
(千葉常胤といえば「鎌倉殿の13人」では、岡本信人が演じていましたね。
最近は、「鎌倉殿」のキャストを思い浮かべて、ああ、あの人かと思うようになってしまいました)もとは牛頭天王を祀っていたことから、相馬天王と呼ばれていましたが、明治の神仏分離令で八坂神社となり、祭神は素戔雄命(すさのおのみこと)、桓武天皇、葛原親王、高望王となったそうです。
境内の由緒書は、掠れて読みにくくなっていますが、以下のようなことが書かれていました。
「建久3年相馬次郎師常、己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。
その後現在の地に奉遷する。
世に相馬天王と称するのはこの故である。
神幸式は5日12日の両日に行われていたが、今では12日のみとなった。
中世御神幸の神輿荒ぶるを以て師常館の岩窟に納め、新たに調進したと傳へられる。
独特の六角神輿は宗社である京都祇園八坂神社の形を伝承したものである。
享和元年、慶應元年に社殿の改築が行われた。
明治6年、村社に列格される」六角神輿は以前、鉄製でしたが、祭りの日には必ず事故が起こったため、木製に変えたそうです。
また銭洗弁天は、この神社の末社とのことです。
以前は、人物関係や何をした人なのか良くわからず、由緒書など見向きもしなかったのですが、「鎌倉殿」見て以来、俄然、興味が湧くようになりました。