年に数日しか公開されない臨済宗円覚寺派大本山・円覚...
国宝円覚寺舎利殿普段は僧の修行場につき非公開のためご注意お釈迦様の歯が納められております。
通常は公開されてないのですね、特別公開日に是非とも訪れてみたい…
国宝(1951年6月9日指定)。
円覚寺の創建は弘安5年(1282年)、鎌倉幕府第八代執権の北条時宗が、元寇における戦没者の慰霊の為、宋の僧侶である仏光国師こと無学祖元を招いて建立した。
創建以降、北条氏の多大な帰依を受け、鎌倉末期には壮大な伽藍が整えられたというが、室町時代以降は度々の大火を被り衰退してしまう。
江戸時代後期の天明年間(1781~1788年)、誠拙周樗によって復興がなされ、寺勢が回復した。
鎌倉の寺院は、丘陵が浸食されて形成された谷戸に建つ事が多いが、円覚寺もまたそのような土地に存在しており、山門、仏殿、方丈が一直線に建ち並ぶ、典型的な禅宗寺院の伽藍配置を見る事ができる。
円覚寺舎利殿は、円覚寺の塔頭である正続院の奥にたたずんでいる。
元は円覚寺の創建と共に建てられたというが、永禄6年(1563年)の大火によって焼失してしまい、現存するものは鎌倉尼五山の第一位であった太平寺の仏殿を移築したものと伝わっている。
なお、太平寺は当時の住持であった青岳尼が、後北条氏と敵対していた安房国の大名、里見義弘の元へと駆け落ちした為に後北条氏の怒りを買って廃寺となった。
現舎利殿の正確な建立時期は不明であるが、応永14年(1407年)に建てられた東村山の正福寺地蔵堂にそっくりである事から、この円覚寺舎利殿もまたそれと同時期、室町時代中期に建てられたものと考えられている。
主な文化財(建築物)は下記。
・円覚寺舎利殿 ※国宝。
国宝舎利殿は、以前はいつでも入ることができたのですが、現在は特別拝観日でなければ入ることができなくなっていました。
舎利殿は鎌倉で唯一の国宝建造物で、お釈迦様の歯(仏舎利)が納められていることから「舎利殿」と呼ばれており、こけら葺き一重屋根の入母屋造りの日本最古の唐様(禅宗様)建築物です。
納められている仏牙舎利は、鎌倉幕府第三代将軍、源実朝が、宋から譲り受けたものとされています。
舎利殿は円覚寺の創建と共に建てられましたが、大火によって焼失したため。
現存する建物は当時鎌倉尼五山の第一位であった太平寺の住持である青岳尼が、北条氏と敵対する安房国の里見義弘の元へ駆け落ちしたため、激怒した北条氏により廃寺とされた太平寺の仏殿を移築したものと云われています。
昔は鎌倉時代の代表的禅宗様(唐様)建築として教科書でも習いましたが、今では室町時代前期の建造とするのが定説になり、鎌倉には鎌倉時代の木造建造物は現存しないようです。
それでも東村山市の正福寺地蔵堂や岐阜県多治見市の永保寺観音堂と並んで、唐様としては日本最古であることに変わりありません。
和様に比べて屋根の勾配がきつく、外観としては優美さより威厳を重視します。
11月3日~5日に恒例の特別公開が行われたので行ってきました。
相当前に行ったときは建物に近づいて内部も少しだけ見ることができた記憶があるのですが、今はロープが張られて少し離れた場所から拝観します。
唐様としては円覚寺舎利殿、正福寺地蔵堂、永保寺観音堂の他に、長野県上田市の安楽寺八角三重塔、山梨市の清白寺仏殿、甲府市の東光寺仏殿などがあり、いずれも必見です。
近くまで行けないので良く観れません。
年に数日しか公開されない臨済宗円覚寺派大本山・円覚寺内にある鎌倉で唯一の国宝建造物・舎利殿。
その名の通りお釈迦様の骨を納めたという舎利殿は普段入れないだけに神聖な空気を感じます。
禅宗様の建物には古さの中にもオシャレさを感じます。
過去より現在の方が優れているって誰が決めたんでしょうね。
五月GWと十一月の宝物風入で正續院の舎利殿で頂ける御朱印舎利膽禮(しゃりせんらい)が頂けます。
毎年文化の日前後に特別拝観を実施してるそうですが、狙った訳ではなく、偶然そのタイミングで拝観することが出来ました。
拝観料は200円。
舎利殿ということで、お釈迦様の骨(ここは奥歯の骨)が祀られているそうです。
太平寺より1600年代頃に移築された(記録が残っておらず正確には分からない)こと、屋根がサワラの木葺でつくられていること、日本の建築様式ではなく、唐式建築で急勾配な屋根が特徴であること等御坊さんが説明してくれました。
鎌倉で唯一の国宝建造物です。
遠い昔に廃寺になった元鎌倉尼五山の第一位、太平寺の仏殿でした。
禅宗様建築の最高峰と謳われ、非常に美しいです。
土門拳さんが撮影されていた昔は茅葺き屋根でしたが、現在は優美な杮葺きです。
間近での拝観が許されるのは大晦日から正月三が日、文化の日前後の宝物風入れ、最近は五月上旬も開放しているようですね。
写真はかなり前の大晦日に伺った時のものです。
特別公開日に伺えました普段は入れないのでしっかり拝見できました。
一般は舎利殿エリアには入れない。
この舎利殿すぐ横は雲水さん達の坐禅堂やお風呂場、洗濯場、薪で炊く厨房もありかなり厳しい修行の場が此処にある為しょうがない。
自分は50年前大学の建築史で此処を勉強し花頭窓、海老虹梁など禅宗様式など思い出して懐かしかった。
写真で見るより実物はかなり小さくて簡素な建物、それがかえって古さを感じさせる。
国宝だけに一般にも観てもらいたいと思ったが。
源実朝が請来した仏牙舎利が祀られており、鎌倉時代に伝えられた唐様式を代表する建物として国宝に指定されている。
年に数日だけ限定公開され間近に拝見することができるが、普段でも遠目には見ることができる。
円覚寺舎利殿は、禅宗様(唐様)の建築である。
禅宗様(唐様)において、組物は、柱頭だけでなく柱間にも並び、組物間の空きが小さいことから詰組み(つめぐみ)と呼ばれている。
上部が曲線をなす開口部は火灯(かとう)と呼ばれ、鎌倉時代後半に初めて用いられている。
国宝です。
正月三が日、5月の連休、11月の宝物風入れなど以外は拝観出来ません。
建物はお釈迦様の歯牙をおまつりするための物です。
いっけん2階建てに見えますが1階建てです。
そりが美しい二重の屋根の作りと鎌倉様式の花頭窓に特徴があります。
内部は正面に佛舎利をおまつりする宮殿と鎌倉彫の須弥壇、観音様と地蔵菩薩さまがおまつりされています。
今回は見ることが出来ませんでしたが、いつか見てみたいものです。
中世禅宗様の代表的かつもっとも美しい作例の一つ。
円覚寺の至聖域で修行道場につきふだんは門から眺めることしかできないが、毎年5月の連休の時期と11月3日前後の宝物風入れに合わせて、大晦日〜元旦には近くまで行くことができる。
円覚寺の舎利殿には、「佛牙舎利(ぶっけしゃり)」という釈迦の歯がまつられています。
由来は鎌倉幕府三代将軍源実朝公(1192〜1219)が佛舎利の夢を見られ、宗の能仁寺に使者を遣わして請来され、鎌倉の大慈寺(鎌倉市二階堂:廃寺)に安置されたことによる。
関東大震災で倒壊したが、 昭和4年(1929)に復元した。
この舎利殿は、鎌倉にあった大平寺(たいへいじ・尼寺・廃寺)の仏殿(鎌倉時代末から室町時代初期に再建)を移築したもの。
禅宗様式の建物として国宝に指定され。
建物の特徴は屋根の勾配の美しさ、軒の反りの美しさ、柱の細いことがあげられる。
屋根の軒下から出ている、特に上の段の垂木が厨子の骨のように広がりがあり「扇垂木(おおぎたるき)」と呼ばれます。
これが屋根を一層大きく。
また建物自体は小さいのだが壮大に見せています。
長押(なげし)の上に「弓欄間(ゆみらんま)」または「波欄間(なみらんま)」と呼ばれる欄間があります。
これは装飾ですが、欄間の隙間から内部に光と風を送って、建物の保存を計っています。
「花頭窓(かとうまど)」は、鎌倉時代後期の特徴として、窓の形が簡素で窓の外枠の縦の線が真っ直ぐになっているのが特徴である。
(禅堂・江戸時代の花頭窓は広がる)外部の柱と基盤の間には、疎石があり、これが柱の下を腐らないようにしている。
特に鎌倉は湿気が強いからこのような工夫が必要だった。
屋根はさわらの薄い板で葺いてあり、「杮葺き(こけらぶき)」と言う葺き方で、少しずつ重ねてある。
水に強いさわらの木だが(昔、風呂桶や鍋の蓋に使用)、25年に一度は葺き替えなければならない。
内部は正面に佛舎利をまつり宮殿が安置、その前に鎌倉彫の須弥檀(しゅみだん)があり、観音菩薩と地蔵菩薩がまつられている。
その上は小さな鏡天井になっている。
舎利殿の後ろの建物には開山の「無学祖元坐像(むがくそげんざぞう)」が安置された正續院開山堂がある。
右隣は円覚寺派の座禅道場になっており、毎年三が日と五月連休、宝物の風入りには拝観できます。
普段は非公開です。
Normally closed to the public, this building enshrines a tooth of the original Buddha and is open to visitors in early January, May, and November.
歴史を感じます。
名前 |
円覚寺 舎利殿 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-0478 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.6 |
円覚寺の舎利殿は室町時代中期の建立と考えられているそうです。
国宝建造物指定番号2番です。
(1番は中尊寺金色堂)13世紀に建てられたそうですか焼失。
その後鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿を移築したものと考えられているそうです。
令和5年11月に拝観しました。
2度目です。
前回拝観したのは20年ほど前でした。
その時は写真撮影は禁止だった様な?今回はOKでした。
人を入れたくないので前にいる人にお願いして少し下がってもらい建物だけの写真を撮ることが出来ました。
御朱印も書いていただきました。