見過ごしてしまいそうな小さなお寺。
2021年10月現在工事中でした。
工事中でも参拝するところは用意してある場所は多いですが、そういう配慮はありませんでした。
また、御朱印も置いてあったのですが、日付が年も月も日も入っていない。
日付がまったく入ってない御朱印は初めて見ました。
鎌倉公坊足利持氏公の菩提寺。
2021年04月現在、御堂建て替え中で更地。
これも長い歴史では希少なタイミングかも知れない(笑)。
6か月前にも来ていますが 昨日 3月30日に行きましたが 平地になっていました建て直しをするようです着工が 令和3年4月1日竣工 令和4年3月31日御朱印 お寺に用があるひとは 隣の白い建物で 応対して下さる様です。
時宗の寺院読み方は「ベツガンジ」
元は真言宗の寺院だったのですが、弘安5年(1282)に住職だった公忍が時宗開祖の一遍上人に帰依し覚阿と改め時宗に改宗し、寺号を別願寺としたそうです。
有り難く、鎌倉三十三観音第13番の御朱印 ”魚籃観世音”を頂きました。
もともと真言宗の能成寺という寺でしたが、公忍が一遍に帰依したことから時宗となり寺名も別願寺となりました。
室町期の鎌倉公方代々の菩提寺であったという歴史があります。
鎌倉公方といえば関東8か国に伊豆、甲斐を加え、後には東北一円をも支配下に置いた権力者です。
境内には鎌倉最大級の供養塔があり、これは室町幕府に対して永享の乱を起こした第4代鎌倉公方、足利持氏のものです。
持氏の怒りを鎮めるために鳥居の浮き彫りが施されているところは、とても生々しく感じます。
室町時代から足利氏の深い信仰があり鎌倉公方の菩提寺として栄えた時宗のお寺🙏普通のお堂的な本堂でありパッとしないのが・・・😞だが墓地の中に一際胴回りがまあまあ太くて腹の所には鳥居の刻印がある変わったお墓があり、室町幕府にクーデター永享の乱を起こした室町時代の武将であり第4代鎌倉公方・足利持氏殿のお墓と言われているお墓があるので是非必見🦉寺の奥さんも凄く親切でそのお墓についての資料もコピーして下さって渡してくれました(泣)🙇u200d♂️🙇u200d♂️🙇u200d♂️
鎌倉公方代々の菩提寺で、鎌倉での時宗の中心的存在。
鎌倉観音十三番霊場。
魚藍観音を祀る。
JR鎌倉駅東口より徒歩14分。
県道鎌倉・葉山線沿いにあり本殿は民家風。
時宗派の寺。
かつては日本の東を治めた権力者鎌倉公方の菩提寺として栄えた。
ご本尊さまは阿弥陀如来さま。
鎌倉三十三観音第13番札所。
札所本尊は魚籃観世音菩薩。
書き置きのご朱印いただきました。
八雲神社の後に寄りました。
書き置きでした。
御朱印のみですいません(・・;)
(18/02/09)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
(12/04/01)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
(10/09/19)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
時宗の寺院。
本尊:阿弥陀如来本堂の入口が普通の家?と思わせる戸なので一瞬戸惑います。
JR鎌倉駅より850m。
鎌倉30
(18/02/09)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
(12/04/01)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
(10/09/19)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
時宗の寺院。
本尊:阿弥陀如来本堂の入口が普通の家?と思わせる戸なので一瞬戸惑います。
JR鎌倉駅より850m。
鎌倉30,31系統路線バス:名越バス停より120m。
(18/02/09)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
(12/04/01)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
(10/09/19)鎌倉三十三観音霊場 第13番札所「魚籃観世音」御朱印をいただきました。
時宗の寺院。
本尊:阿弥陀如来本堂の入口が普通の家?と思わせる戸なので一瞬戸惑います。
JR鎌倉駅より850m。
鎌倉30,31系統路線バス:名越バス停より120m。
ここは、お寺なのか?と戸惑ってしまいますが、通りから中の方へ進んでいくと、「御朱印はこちら」と案内が出ておりますので、右奥のご自宅のインターホンを押して呼べば、事務的な対応で書いていただけます。
御朱印と魚藍観音様の御影札を戴きに訪れましたが住職の奥さんらしき人に両方ともやっていないと軽くあしらわれました。
某ブログには此処の御影札や御朱印が載っているのですがね…
木々囲まれた、小さなお寺です☀藤の花が、きれいに咲いているということで、再訪しました🙇
魚籃観音様に出会えました。
見過ごしてしまいそうな小さなお寺。
大きな石造宝塔が素晴らしい。
2016/04/24鎌倉三十三観音霊場第13番札所に参拝しました。
創建は、弘安五年(1282)公忍上人(のちに覚阿)が真言宗能成寺(のうじょうじ)を時宗に帰依し、別願寺とした。
鎌倉における時宗の中心となった別願寺は、室町時代には足利一族が深く信仰、鎌倉公方代々の菩提寺として栄えた。
いまは、大町地区の街中に、寺とは感じれない本堂の中には、ご本尊の阿弥陀如来と左手に魚籠を下げた魚藍観音がある。
本堂の左側の墓地な、足利持氏の供養塔といわれる宝塔がある。
塔の四方に扉のある鳥居が浮き彫りにされたもので、鎌倉時代後期の作。
境内の藤が咲いていました。
霊場巡りをしない限り訪れないお寺。
お堂は扉がしまっているため分かりづらかったです。
名前 |
別願寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-8501 |
住所 |
|
評価 |
3.6 |
今日(2022.12.6)は、鎌倉大町大路沿いにある別願寺の足利持氏公の廟をご紹介させて頂きます足利持氏(1398~1439)は、室町時代の武将で室町幕府第四代の鎌倉公方となる鎌倉公方の権力を強化する為、関東諸将の討伐を積極的に行ったことから、将軍側と対立した将軍・足利義教は持氏追討を諸将に命じ、永享の乱が始まった永享十一年(1439)二月鎌倉永安寺に監禁されていた持氏を包囲し、持氏は叔父・足利満直以下30余人とともに自害したこの別願寺に高さ3mを超す、持氏の供養塔(市文)と永享の乱で自害した人々の墓がある持氏の供養塔には四方に鳥居が浮き彫りされているが、これは持氏の怒りを静める為と言われている。