静かなところでひっそりと佇んでいます。
いつかは行こうと思いながら、駅から離れていることもあり、先延ばしにしていましたが、「鎌倉殿の13人」の年の内にと思い定め訪ねました。
場所が分かりにくいので、地図を片手に狭い路地を歩きながら探し当てました。
住宅街にある小さな神社で、ここが由比若宮と言われなければ、この地域の氏神様と勘違いしそうです。
まずは、お詣り。
参道を挟むように2本の大きなイチョウが植えられています。
賽銭箱には丸に鶴のマークが入っていました(鶴岡八幡宮と一緒ですね)。
また、境内には、「源義家公 旗立の松」がありました。
この松は、「前九年の役」に続き、奥州での合戦となった「後三年の役」に向かう際、源義家が旗を立てたと言われているそうです(いまは切り株が残されています)。
この社は相模守であった源頼義が「前九年の役」において奥州の豪族:安倍氏を討伐、源氏の守り神である京都石清水八幡宮に戦勝祈願をしていた源頼義が、そのお礼として石清水八幡宮をこの地に移しお祀りしたのが起源とのこと。
その後、源頼朝が現在の鶴岡八幡宮へ社殿を移してから、ここは元八幡と呼ばれるようになったそうです。
鶴岡八幡宮とは違い、訪れる人もあまりいない静かなお社ですが、源氏と鎌倉とのつながりがここから始まり、武家の世がつくられていったと思うと感慨深いです。
せっかくなので御朱印をと思ったのですが、社務所が見当たりません。
普通の民家にしか見えなかったのですが、しめ縄がしてあったのでインターフォンで尋ねたところ、しばらくお待ちくださいとの返事があり、無事頂くことができました。
御朱印は「八幡」と書かれた封筒に入れられていましたが、八の字がハトになっていました!
4年ぶりの鎌倉。
想像よりも修学旅行生で街中(特に小町通り)が混雑していたので、今迄に行ったことのない所へ行ってみよう!と行ってきました。
だいぶ以前に、小説・ツバキ文具店で知ったお宮です。
物語の中でも語られているので、小さなお社だとは想像はいていましたが、想像をはるかに超えるこじんまりさでした。
ご近所や地元の方にとっては大切な場所だとは思いますが、外者にとっては一度で充分といった感じです。
前9年の役で勝利し京に帰る途中の源頼義が源氏の守り神を、ここに移したそうで、源氏と鎌倉の縁が出来頼朝が今の鶴岡八幡宮に社殿を移した事から元八幡と呼ばれる様になったそうですが私も含め知らない人も多いのでは?
鶴岡八幡宮の始まりの場所のようです。
御朱印、頂くことできました。
住宅街にひっそりと佇む小さな社殿。
ここがあの壮大な鶴岡八幡宮の元の神社かと思うと感慨深いものがあります。
鎌倉駅幕府オリジンの一つとして是非とも訪れたい場所です。
敷地内には、源義家が白旗を立てて武運長久を祈ったと言われる「旗立ての松」が残っております。
ようやく来る事ができました。
源頼朝よりも前に源頼義が勧請し、源義家も修復しているようです。
住宅街の奥にひっそりと佇む小さな神社ですが、源氏と鎌倉の結び付きの地に立つ事ができて感激しました。
鶴岡八幡宮が元々あった場所のようです。
静かなところでひっそりと佇んでいます。
ちょっと分かりづらい場所にあるからか、人もいなくて落ち着きます。
広いわけでもなく、これだという見どころもないですが、なかなかおもむきはあります。
この小さな神社は鶴岡八幡宮の元社です。
そして鶴岡八幡宮の境内として、国の指定史跡であり末社です。
頼朝の五代前の源頼義は大阪府羽曳野市のある壺井八幡宮辺りを本貫地とする河内源氏ですが、石清水八幡宮を勧請して壺井八幡宮を創建し、その後、1063年に頼義はここに若宮を創建しました。
その後、頼朝はこの社を訪れ、鎌倉幕府を開いた後、現在の雪ノ下に現在の鶴岡八幡宮として社殿を遷してからは、当社を元八幡と呼んでいます。
小さなお宮様。
近くにお住まいの方でしょうか?鳥居の前でお祈りされている様子を見ました。
隣には住宅街が並び入り口も目立ちにくく感じたが、中に入ると両側に大きな木が並んでいて、迫力と気が凄かった。
鶴岡八幡宮の元宮源頼義公が石清水八幡宮から誉田別尊八幡大菩薩の御分霊を勧進し開いた。
後に子孫の源頼朝公により現在の鶴岡八幡宮の丘に当たる小林丘に若宮八幡宮が造営され遷座した。
鶴岡八幡宮は室町時代に里見家に放火され焼失し戦国大名北条家により再建され、江戸時代にも徳川家により社殿が修築された。
しかし、鶴岡八幡宮の元宮はコチラで地元の方に今でも崇敬されている。
小道から入ったところにあるひっそりとしつつも威厳のある佇まいのお宮です。
木材座にある、鶴岡八幡宮の元宮らしいです。
由比とは、鎌倉にあった地名かな。
今は、由比ヶ浜しか残ってないけど。
自分としては、そんなに古くはないけど木がお気に入りです。
場所は鎌倉駅から歩いて来れる距離。
自分は、逗子方面から来て木材座散策、そのまま逗子方面に帰りました。
▼住宅街の中の一角にある小さなこの社が、源氏が鎌倉とゆかりが深くなるきっかけの神社です。
ここが鶴岡八幡宮の起源なのです。
▼奥州(東北)における前九年の役が終わった1063年、源頼義(よりよし)が与えられていた鎌倉のこの土地に石清水八幡宮若しくは壷井八幡宮から勧請したとあります。
▼頼義は、前九年の役の途中で陸奥将軍の任期が終わり、一度関東の所領である鎌倉へ戻り、1058年、再度軍備を固めて奥州へ安倍氏を滅ぼすために出征しました。
出征前、この社に戦勝祈願をし、「もし安倍氏を滅ぼすことが叶った場合、石清水・壷井等の源氏ゆかりの大きな八幡から勧請差し上げます」と誓ったのでしょう。
▼これは現在杉並区にある大宮八幡宮も同じ(奥州へ出征する途中、杉並区のこの土地でも誓った)ようです。
▼更に鎌倉のこの社から奥州へ行く街道十里(40㎞)毎に、八幡神社を一社ずつ造りますと誓いを立てながら、幣帛(へいはく)を立てて行ったようです。
これは現在川崎の稲毛総社が、ちょうど鎌倉から40km、立派な白旗八幡が建っています。
▼この小さな社を、鎌倉入りしたばかりの頼朝が、鎌倉を源氏の都とすることの象徴として、鎌倉の奥(小林郷)へ1180年に移設したことが今の鶴岡八幡宮となっているのです。
▼この社の辺りを由比郷鶴岡といったことから、「鶴岡八幡宮」と名前まで移動したことになりますが、この社の辺りは長らく湿地帯であったことから、まさに1000年前は鶴がこの辺りに飛来していたのかもしれませんね。
#localguides#japanlocalguides#マイナー史跡 #鶴岡八幡宮。
住宅街の中の小さな神社。
元々の鶴岡八幡宮。
あまり知られてないようで、人が少なくゆっくりと参拝できる。
53.由比若宮 (元鶴岡八幡宮)アクセス:1.JR鎌倉駅東口6番バス乗り場から九品寺方面行き「元八幡」下車徒歩1分2.JR鎌倉駅東口から徒歩15分全体の見どころ(寺院の雰囲気.境内の全体.史跡.四季.拝観注意事項 等)横須賀線の線路があり、踏切を渡って右側の路地に入り、突き当りの右前に由比若宮の鳥居が見え、木々に囲まれた別の空間が広がっている。
綺麗に整備された小さくこぢんまりとした社殿です。
歴史ある場所で、鶴岡八幡宮とともに国の史跡となっています。
由来 (創建・開山・歴史・特徴 等)・河内源氏・源頼朝(頼朝の父)の先祖、源頼義は、その子義家とともに「前九年の役」(1051~1062年)において奥州の豪族、安倍氏を討伐しました。
京都を出陣したとき、京都石清水八幡宮に戦勝祈願をしていた源頼義は、そのお礼として1063年、石清水八幡宮をこの地・鎌倉に勧請した。
これがいまの由比若宮、あるいは元八幡です。
・それから18年後の永保元年(1081)2月、頼義の嫡男八幡太郎義家は、陸奥守として任地に下向する途中、鎌倉に立ち寄り、由比若宮に修復を加え、何ごとかを祈念した。
そして永保3年(1083)9月、果たして清原一族の内紛から、後三年の役が勃発した。
もちろんこれも、源家の勝利だった。
やはり効験はあったのである。
この歴史は、鎌倉という土地が鎌倉幕府成立以前から関東及び以北における要衝の地であったこと考えられる。
源頼朝は、治承4年(1180)10月6日、大軍を引き連れて鎌倉入りし、翌朝早く、まず元八幡を遥かから拝んだという。
治承4年(1180)10月12日、元八幡の移転が挙行された。
それは、きわめて簡素、かつ素朴なものだったらしい。
建立当時の鶴岡八幡宮は、現在の石段の下に位置していたようである。
由比若宮、元鶴岡とついているように鶴岡八幡宮の元あった場所です、由緒正しい場所なのですが事前に確認をしておかないと見落としてしまいそうな地味な入口です、こじんまりはしておりますがそこはやはり空気感が違う感じ、雑踏から離れこういう落ち着いた雰囲気の神社も鎌倉を味わえるものと思います。
2019年10月4日に参拝、鶴岡八幡宮に家から40キロを徒歩で参りました!そのさいに寄って参拝しました笑神様、道中の無事安全をありがとうございます!
住宅街の中にひっそりと佇む八幡宮。
狭い敷地には大きな銀杏の木が三本。
秋になれば、赤い鳥居と社とイチョウの黄色がさぞ美しいいだろうと想像させる。
お社の向きと一の鳥居の向きがわずかに違い違和感が、神社ですが何かしらの曰く因縁があるのでしょうか・・
住宅街の中にひっそりと佇む八幡宮。
狭い敷地には大きな銀杏の木が三本。
秋になれば、赤い鳥居と社とイチョウの黄色がさぞ美しいいだろうと想像させる。
鶴岡八幡宮の元宮源頼義公が石清水八幡宮から誉田別尊八幡台菩薩の御分霊を勧進し開いた。
後に子孫の源頼朝公により現在の鶴岡八幡宮の前身の若宮八幡宮が造営され遷座した。
細い路地の奥にある神社。
小さな神社ですが凛とした空気が流れます。
観光客もいないのでとても静かで落ち着きます。
◾︎バイクメモ石畳の細い路地を入っていくと神社入り口前にちょこっと駐車できます。
バス停を降りると見える参道らしき道。
住宅地の中に埋もれていながらも厳かさは無くなっていない。
名前 |
由比若宮(元八幡) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
由比若宮は、1063年に源頼朝の祖先・源頼義が創建した神社。
頼義が「前九年の役」で安倍氏討伐のために東北へ赴く際、京都にある石清水八幡宮に勝利を祈願した。
戦に勝利した頼義は、感謝の意を込めて祭神を鎌倉へと勧請するために由比若宮を建て、これを源氏の守り神とした。
その後、1180年に源頼朝によって、由比若宮の祭神を現在の鶴岡八幡宮へと移したため、由比若宮は「元八幡」と呼ばれるようになった。
境内は、鶴岡八幡宮とともに国の史跡に指定され、毎年4月2日には、源氏の守り神ゆかりの地として「由比若宮例祭」が行われている。
*鎌倉観光情報サイトより。