小ぢんまりとした、観光地らしからぬ寺。
静かな住宅街にある由緒ある寺院という風情。
材木座にも同じ時宗の来迎寺があります。
規模はこちらが大きいです。
三浦氏関連ねお墓もあります。
鎌倉三十三観音第14番のお寺です。
三浦大介義明の霊を弔うために源頼朝が建てたといわれています。
本堂の裏側に三浦一族のお墓があります。
かつては裏山の頂上に観音堂があったそうですが戦争時に敵機の目標になるとの理由で取り壊されたそうです。
割と住宅地の間にあって観光するところって感じではないですが、開けてて寄りやすい感じはあります。
建物の造形とかがメインな人だと楽しめるところは少ないとは思います。
歴史メインの人には良いのかなと思います。
小ぢんまりとした、観光地らしからぬ寺。
しかし、“三浦一族郎党の墓”は、歴史的価値有り!
小さなお寺ですが 綺麗にされています三浦大介義明公のお墓がある事はしりませんでしたが 帰り道に調べました。
入口は 広い駐車場から奥まった位置にあります。
家庭的な雰囲気です。
お堂はこざっぱりと 修繕された感じが見受けられます。
鎌倉時代の三浦なにがし氏のお墓があります。
72.来迎寺(材木座)アクセス:(1).JR鎌倉駅より徒歩約25分。
JR横須賀線鎌倉駅から若宮大路に出て鎌倉郵便局交差点を渡り、鎌倉郵便局脇の道を小町大路方面に抜け、夷堂橋、妙本寺、常栄寺と進み、大町四ツ角交差点を材木座海岸方面に進み横須賀線踏切の先にあります。
(2).JR「鎌倉駅」東口より京急バス「逗子行(小坪経由)」九品寺バス停下車 徒歩3分「九品寺循環」五所神社バス停下車 徒歩1分拝観料金 志納(無料)ご由緒:時宗 来迎寺の開基は、建久五年(1194年)源頼朝が鎌倉幕府を開く際の礎となった三浦大介義明の霊を弔うため真言宗能蔵寺を建立した時に始まり、能蔵寺の名は、付近の地名としてその後も残りましたが、開山上人の名は伝わっておりません。
・頼朝が没した後、音阿上人により時宗・隋我山来迎寺と改められましたが、その年代は不詳です。
・ご本堂に安置されている本尊の阿弥陀如来(十四世紀頃の作)は、三浦義明の守護仏として伝えられ、現在は鎌倉市の指定文化財となっており、鎌倉三十三観音霊場の札所本尊の子育観音も共に安置されています。
来迎寺は明治5年12月(1872)、材木座の火災で類焼し、再建されたのは明治16年(1883)になってからだという。
再建時、来迎寺は現在地の裏山にあったが、昭和11年(1936)に現在地へ移されたとのことです。
本堂:・正面に建っている本堂は、瓦葺に宝珠を乗せ、流れ向拝を付した四間四面の宝形造りで昭和42年(1967)に改築されたという比較的新しい堂宇です。
御朱印:「子育観世音」 鎌倉三十三観音霊場14番札所 聖観世音菩薩見どころ:本堂に安置:・本尊の「阿弥陀三尊」、十四世紀頃の作といわれる。
(鎌倉市指定文化財)・鎌倉三十三観音霊場14番札所 聖観世音菩薩(子育て観音) 。
境内:本堂すぐ横には三浦大介義明の五輪塔があり、裏手には百基あまりの三浦一族の墓である五輪塔が並んでいる。
桓武天皇からなる坂東八平氏〜子孫からすれば、誇れる三浦のジッちゃん♪安らかに〜機会あったらまた覗く (^^ゞ
JR鎌倉駅東口より京急バス❬鎌12系統❭九品寺循環に乗り「五所神社バス停」下車徒歩3分。
材木座の住宅街の中にあります。
来迎寺は鎌倉市内に材木座と西御門の2つあります。
こちらは源頼朝が建久5年(1194)に三浦半島衣笠城主・三浦大介義明の冥福を祈って建てた寺があった場所に開山の音阿上人が時宗に帰依したため改宗して寺の名も❬来迎寺❭と改められたとのことです。
ご本尊は阿弥陀如来さま。
鎌倉三十三観音第14番札所、札所本尊は聖観世音さま。
住職さんは檀家のために全国各地をまわられていて忙しい様子。
奥さまはハキハキと優しくお迎えしてくださり、若い住職さんは丁寧な対応でご朱印を授与してくださいました。
普通。
四十九日を30代の方によんでいただきました。
時間は30分ほどでした。
基本的に会食等付いていませんので、どこからどこまでやっていただけるのか聞かないと、当日バタつきます。
時宗の寺。
境内は広くはないが、源頼朝の挙兵の際に頼朝方について戦死した三浦義明の墓があるのが見所である。
なお、義明の功により、その子孫がその後の鎌倉幕府の中枢を占めることになった(最終的には北条氏によって大幅に勢力を削減されることになります)。
鎌倉には2個所の来迎寺があります。
間違えないようにしてください。
すごい如意輪観音像が鎮座している、びっくりのお寺。
頼朝の法華堂に有ったものが移された。
中々見る機会がないので、そのチャンスを待っている。
頼朝のお墓から徒歩5分と充分行ける距離。
源頼朝が挙兵すると、一族挙げてこれに合流しようと居城の衣笠城を出撃するが、途中で石橋山の戦いにおける頼朝の敗戦を聞き、引き返して衣笠城に籠城の末、享年89歳で討死にした三浦大介義明の菩提を弔うために、1194年(建久5年)、源頼朝が来迎寺を建立した。
本堂横には義明の五輪塔、本堂裏には三浦一族の墓がある。
本尊阿弥陀三尊・伝運慶作が祀られている。
本尊の阿弥陀三尊は、運慶の作と言われています。
鎌倉三十三観音、聖観世音様の御朱印をいただきました🙇
さほで大きくはありませんが、綺麗なお寺さんです。
達筆の御朱印に感動。
三浦大介義明公の家臣のお墓があります。
母のお墓があります!普段はほとんど誰もいない、とても静かな場所です。
午後の昼下り、ゆったりと此処に来るのが好きです!
平成28年3月1日に午後に、鎌倉三十三観音霊場の第5番札所でお参りしました。
この日は二階堂の瑞泉寺から歩いて、大塔宮から「弘法大師道」を北上し覚園寺(14時からの住職による境内参拝1時間後の15時終了)のあと来た道を戻り、大塔宮から荏柄天神社入口前をスルーし源頼朝の墓をスルーし「西御門跡」を右折し15時20分に西御門の来迎寺(らいこうじ)に到着しました。
大理石の光った階段を上ると正面左に本堂が見えます。
本道の正面は部分的にガラス張りになっているので、本堂ないの仏様がすべて見ることが可能です。
仏像オタクには、たまらない構造になっています。
正式には「満光山来迎寺(まんこうざん らいこうじ)」といい、創建は永仁元年(1293)に一向上人が開山した。
本堂にはご本尊の阿弥陀如来像と左側に、永徳4年(1384)の宅間浄宏作と伝えられる地蔵菩薩像が安置されています。
もとは西御門にあった報恩寺(現在は廃寺)の本尊だったもの。
本尊脇の如意輪観音像は鎌倉地方特有の仏像装飾の一技法である土紋を施した像で、もとは頼朝の持仏堂だった法華堂にあったものを移したといわれる。
厄除けと安産守護の御利益がある。
また、この如意輪観音像には、次のような話が伝わっている.由比の長者の一人娘が浜で遊んでいると、大きな鷲にさらわれ死体となって見つかった。
嘆き悲しんだ長者は、供養に娘の遺骨をこの如意輪観世音像の体内に納め、遺骨は現在も寺に遺っている。
如意輪観世音像の土紋装飾は、粘土、漆などを混ぜて型で抜き、刺繍の文様を立体的に表す装飾技法で、鎌倉市内に現存するのは七体である。
名前 |
来迎寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-4547 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
3月初旬に満開のミモザを見に訪れました。
まだ若い木ですが、見事に咲き誇っていました。