扇谷、宅間、犬懸)あった管領家の一つ。
2020年4月20日自転車で訪問しました。
扇ヶ谷上杉氏の屋敷跡の石碑が立っているのは、日蓮宗護国寺の敷地の隅でした。
扇谷上杉管領家は4家(山内、扇谷、宅間、犬懸)あった管領家の一つ。
太田道灌はこの扇谷上杉家の家宰でしたが、主君により暗殺されました。
その後、扇谷上杉家は川越夜戦で主君が討ち死にをして滅亡しました。
扇谷上杉管領屋敷跡。
扇谷上杉家おうぎがやつ うえすぎけ室町時代に関東地方に割拠した上杉氏の諸家のひとつ。
戦国時代には河越城に本拠を移し、武蔵国を拠点とする大名となり、南関東に勢力を扶植した。
扇谷上杉氏は室町幕府を開いた足利尊氏の母方の叔父にあたる上杉重顕を祖とする家で、南北朝期の貞治年間に重顕の養孫にあたる上杉顕定が関東に下向し、重顕の弟・上杉憲房の諸子から出た諸上杉家と同じく鎌倉公方に仕えて鎌倉の扇谷、現在の鎌倉市扇ガ谷に居住したことから扇谷家の家名が起こった。
家臣には八王子市に片倉城を築いた長井氏、太田道灌、宇田川喜兵衛など。
太田道灌公を使って勢力を伸ばそうとした扇谷上杉家の屋敷跡🏯今電柱の横にひっそりと石碑が残るだけ(泣)
英勝寺前のJR横須賀線踏切近くにこの碑は建てられている。
海蔵寺から英勝寺付近は、鎌倉七口の「亀ヶ谷坂」や壽福寺の山号「亀谷山」でもわかるとおり「亀ヶ谷」だった。
室町時代に上杉定正がこの地に住み、「扇谷殿」と呼ばれるようになったことから、「亀ヶ谷」という名がすたれ「扇ヶ谷」という名が一般的になったのだという。
名前 |
扇谷上杉管領屋敷迹 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
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かの扇谷上杉氏の館跡。