たどり着くまでの眺めもとても良いと思います。
23年2月22日に「京の冬の旅」で訪れました。
山門から境内に入るとそこから写真撮影は禁止でした。
慶長13年(1608年)、加賀藩主・前田利家の正室・まつが創建した前田家の菩提寺です。
本堂南には枯山水庭園「花岸庭」、本堂北側には二重楼閣「呑湖閣」、その周囲の庭園が見事でした。
御朱印をいただきました。
京の冬旅、特別拝観に、来ました寒いので、柔らかいタイプのルームシューズ用意して、履きました7年ぶりの公開です🤗私は、始めて🔰です前田利家の正室まつ様のことを、芳春院と、言うんですね門をくぐったら、写真撮影は、禁止です写真でみた呑湖閣(どんこかく)が、素敵だったので是非見てみたいと、おとずれました丁寧に、木造の像や、お庭、吞湖閣について説明して下さいます途中から聞いた方は、また最初から説明を聞くことが出来ました二人だけでも説明して下さり、有り難い事です琵琶湖を呑み込むほどの美しい眺めと、教えて頂き、一つ利口になった気分です御朱印は、書き置きを300円で頂けます。
素晴らしい寺ですが撮影禁止がマイナス点。
前田家の菩提寺、利家の正室、松の法名が寺の名前に。
庭園は小さい乍、大徳寺の塔頭群を借景に見事。
何より京の四閣の一つ、吞糊閣は一見の価値あり。
惜しむらくは撮影出来ない事。
臨済宗大徳寺派塔頭で、王室宗泊を開祖とする寺院です。
前田利家の正室、まつ様が建立され、まつ様の戒名の一部をとられ 芳春院とされた前田家の菩提寺です。
素晴らしい、大徳寺塔頭芳春院での、有名陶芸家の個展に、訪問してきました。
素晴らしい、作品の数々、先生直々の、お茶のおもてなし、最高の一日でした。
お庭の掃除をしています。
通常は非公開の塔頭ですが、数年に一度の夏や冬の特別公開時に拝観ができます。
私が拝観したのは、NHKの大河ドラマで利家とまつを放送していた時に、特別公開をしていたので拝観しました。
ここのメインは京の四閣と呼ばれる呑湖閣でしょう。
金閣・銀閣はもちろん飛雲閣も拝観しましたが、呑湖閣が一番小ぶりでした。
また説明されていた方が、面白いエピソードを話してくれました。
戦前の総理大臣近衛文麿が、京都帝国大学の学生だった時に、ここの芳春院に下宿をしていて、ここから京大に通学されていたとのことです。
(調べたら実母が加賀前田家出身だそうです)下宿していた部屋を拝見したかはどうかもう記憶にはありませんが、藤原摂関家につながる貴族の方は、下宿先も一般人とは違いますね。
大徳寺の一番奥まった場所にありますが、たどり着くまでの眺めもとても良いと思います。
喧騒から逃れ、凛として爽やかな佇まいを堪能してください。
お松の方ゆかりの塔頭。
非公開ですが、たまに特別拝観しています。
芳春院(ほうしゅんいん、天文16年7月9日(1547年7月25日) - 元和3年7月16日(1617年8月17日))は、前田利家の正室。
11歳から32歳までの約21年間で2男9女を産む。
なお、女性1人が産む子供の数が多かった戦国時代にあっても11人の実子がいる女性は稀有であり、記録が残る限りでは、伊達晴宗の正室久保姫と並んで最も数が多い。
その子孫は近代以降の皇室などに血脈を伝えている。
(千世姫─徳姫─西園寺公満─久我通名室─広幡豊忠─正親町実連室─正親町公明─実光─雅子─孝明天皇─明治天皇)慶長5年(1600年)、前田家に徳川家康から謀反の嫌疑がかけられた際には、交戦を主張する利長を宥め、それを解消させるため自ら人質となって江戸に下り、14年間をそこで過ごした。
なお、後に江戸幕藩体制において諸大名妻子の江戸居住制が確立するが、芳春院はその第1号となる。
加賀前田家の京都における菩提寺。
通常非公開。
大徳寺の塔頭の一つ。
利家の妻のまつが建立普段は入れないです。
大徳寺塔頭寺院。
山門から見た境内は、とても綺麗でした。
前田利家公の妻の、まつさん関連のお寺さんです。
2018年春の公開期日(5月19日~6月10日)が迫り、本日(2018年6月3日)訪れました。
前回、大徳寺を訪れた際は、非公開でしたが、石畳の通路が美しいので、きっとお庭も美しいのだろうと想像致しました。
拝観し、その予想に違わず静かで良いお庭でした。
所が・・・、受付より先は一切撮影禁止です。
受付の方に、「お庭も駄目なんですか?」と伺ったら、「すべてお断わりしています。
」と、にべもないお返事。
ううむぅ~。
仕方ありません。
その分、しっかりとその美しさを堪能しようと思い、じっくりと拝観致しました。
けれども、奥にある呑湖閣は立ち入り禁止。
本堂の竹内浩一さんの襖絵は、墨の濃淡が美しく、格調高い画で、これは良かった~。
一切撮影禁止なんて、外界に曝されているお庭ぐらいは、いいかと個人的には思います。
が、そのルールすら守れない人が現にいらっしゃるから、公開する側としても、一切撮影禁止なのでしょう。
綺麗につくられているなと感じました。
まわりの喧騒が嘘のような静謐な所、ずっと佇んでいたい。
加賀前田家建立の大徳寺塔頭で通常拝観はできないらしいが、門から続く紅葉のアプローチは見事。
基本的に公開されていません。
極稀に(十年に一回ぐらい?)一般公開されます。
京都四閣の一つである呑湖閣があります。
お寺は南側が枯山水、西側が墓地、建物の中に日本庭園となっており、非常に美しいですね。
故アンディ・フグさんが試合前に座禅を組みに来ていたお寺で、お墓もあります。
また前田利家の妻のまつのお墓もあります。
(芳春院自体、まつの戒名:芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼から来ています。
)本当は星5つにしたいのですが、一般公開されておらず縁が無いと訪問できないので星4つで。
京都の四閣、呑湖閣。
お庭、お茶室。
ここは公開されていませんでしたね。
門を入った奥にある地蔵がかわいかったです。
豊臣秀吉の正室高台院(ねね、おね、北政所)とは懇意の間柄であったことで知られる。
清洲城城下に住んでいた頃から親交があり、利家との婚姻では仲人の役割りを果たしたと伝わる.秀吉の母・なか(大政所)とも懇意の仲であり、なかの畑の手伝いをしたり、なかが栽培した野菜をまつに自ら届けたりもしたという。
子供のいない秀吉夫妻のために、豪姫を養女にさせた。
未だ数えの二歳(満一歳)の子供を手放したことから、おねとの信頼関係が強かったことがよく分かる[4]。利家が賤ヶ岳の戦いにおいて柴田勝家方について敗れると、秀吉と和議を持つため越前府中において会談し、和睦を許される。
蒲生氏郷死後の蒲生家の跡目相続について、利家が秀吉に氏郷の子・鶴千代(後の蒲生秀行)にするよう話を進め了承されていた。
これが反故になり、怒った利家が大坂城への出仕を拒否したため秀吉と不仲となった。
これを見かねたまつが北政所の元に赴き、利家との約束の履行を求めた結果、鶴千代の跡目相続が決着した。
利家が豊臣秀頼の傳役となったことから、まつは秀頼の乳母の地位を得る。醍醐の花見でも秀吉の妻妾と共に列席するなど、乳母の地位にあったので主賓の一人となった[5]。
この花見での松の丸殿と淀殿の杯の順序での仲裁を行う。
ウィキペディアよりYOUTUBEで動画の配信をしています、是非【サントん暮らし】で検索を!
This temple was built by Maeda Toshiie's legal wife "Matsu" as their family temple.前田利家の正室である「まつ」が建立した前田家の菩提寺である。
High lights are "Kagan-tei" of its front garden, The view from the main hall is reminiscent of those days. Because We can't see the electric wires or private houses inside the property. 見所は前庭の「花岸庭」で方丈からの景色は(電線などが見えないため)当時の景色を彷彿させる。
(芳春院は大徳寺の塔頭の中でも最も北に位置するため前方はかなり先まで寺域で民家などが無く京都の街が緩やかに北から南へ下っているためであり、その高さは東寺の五重塔のてっぺんと同じくらいである。
) Another high light is "Donko-kaku" one of the four pavilions in Kyoto in the backyard of the Hojo. もう一つは方丈の後にある京都4名閣(金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺))の1つである「呑湖閣」で金閣に比べると1/5程度のスケールだが庭園と呑湖閣は一見の価値あり。
日光東照宮のお手本になった唐門、庭には沙羅双樹の樹があり沙羅の樹は1本では育ちにくいため2本並べて植えることから沙羅双樹と呼ばれる。
加賀藩前田家初代藩主・前田利家の正室のおまつの方の建立です。
方丈にはおまつの像が安置されています。
花岸庭は海を表現した枯山水庭園で、右奥にある悟りを表す石組(彼岸)と娑婆の世界である方丈(此岸)を隔てる形になっています。
枯山水の中には石組の方へ向いた船形の石が置かれ、此岸から彼岸へと渡るさまが表現されています。
方丈北側には呑湖閣と呼ばれる楼閣があり、これは金閣、銀閣、飛雲閣に並んで京都四閣と称されます。
琵琶湖を呑み干す、の意だそうです。
2階建ての楼閣で、鯉の泳ぐ池の畔に建っています。
1階に寺院開基の宗珀の師匠にあたる中国の像が、2階には前田家が厚く帰依したといわれる天神さんが祀られております。
方丈から呑湖閣に架かる橋は打月橋といい、(特に水面に映った)月を愛でて遊ぶという意の名前です。
現在は建物が100年ほど前に建った影響で池は縮小して月は鑑賞できないようですが、打月橋の橋の中央部には月見をしていたと思われる観月台が残っています。
名前 |
芳春院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-492-6010 |
住所 |
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関連サイト |
https://instagram.com/hoshunin.bonsai.teien?igshid=MzRlODBiNWFlZA== |
評価 |
4.2 |
加賀藩主・前田利家の正室まつ(芳春院)が創建した前田家の菩提寺。
「呑湖閣」は、「金閣」「銀閣」「飛雲閣」と並んで「京の四大閣」の一つに数えられる優美な二重楼閣。
小堀遠州が建てたと言われ、「飽雲池」とそこに架かる「打月橋」とともに楼閣山水庭園を作り上げている。
芳春院の木造を祀る本堂の前庭「花岸庭」は、造園家・中根金作が復元した端正な枯山水庭園である。