おもてなしも良かったところでして、好きですねえ。
京の冬の旅で訪れました。
豊臣秀吉が、織田信長の菩提を弔うために建立した、大徳寺の塔頭寺院です。
千利休の師にあたる古渓宗陳を開祖としています。
本堂の織田信長坐像、境内にある3つの茶室、織田家の墓所、加藤清正が朝鮮から持ち帰った石を井筒とした掘り抜き井戸、樹齢400年の侘助など見処は盛り沢山でした。
23年2月22 日、「京の冬の旅」に訪れました。
通常非公開の「大徳寺」塔頭寺院です。
豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために建立しました。
本堂には信長の一周忌に合わせて香木(沈香)で作られた「織田信長坐像」(重要文化財)、信長の肖像画がありました。
本堂の裏側には3つの茶室があります。
墓所には織田信長一族の墓碑が並んでいました。
その向こうに雪を冠した比叡山が見えました。
「掘り抜き井戸」や、日本最古の「胡蝶侘助椿」なども拝観できます。
『総見院』の塀の外にある立派な鐘楼は、『総見院』の鐘楼だと知ってびっくりしました。
総見院は、豊臣秀吉が織田信長の菩提寺として創建したそうです。
香木で作られたという織田信長公の像があります。
暗くてはっきりとは見えなかったのですが、迫力がありました。
重要文化財だそうです。
お寺の方が色々と説明して下さいます。
回廊にはこの像を乗せたという輿が安置(?)されています。
境内には信長公はじめ一族のお墓がありました。
正室の濃姫のお墓も。
ずらりと並んでいるので「おお!」と思います。
総見院は豊臣秀吉公が主君織田信長公の菩提を弔うために本能寺の変の翌年天正11年(1583)建立した大徳寺の塔頭寺院です。
ここには信長の墓のほかその正室濃姫 (帰蝶)や息子たち織田一族の墓石が並んでいます。
正室濃姫には五輪塔の墓石が許されていますが、側室には与えられていません。
当時、いかに正室の力が強かったかを物語っています。
現在、特別公開中です。
茶筅の花立てと茶碗の線香立てが珍しい。
中では15分おきぐらいに寺の説明をしてくれます。
前から残ってるのは少ないそうですが小田信長のお墓もあります。
塀は大変厚く、中は本当は空洞みたいです。
普段は非公開の寺院です信長ファンにはたまらない場所です。
重要文化財の信長の木造があります。
明治の廃仏毀釈で寺宝は奪われ、放火され、一度廃寺になりました。
その後の復興されました。
建物や庭は新しいものですが、京都に幾つか存在する「信長の墓」もあります。
遺体は本能寺の変で見つかりませんでしたので、遺骨や遺体はなく、供養塔に近いものでしょうか。
信長公の座像等、歴史有る内部をガイドツアーで詳しく見学が出来ました。
初めての寺院でしたが十分楽しめました。
19/5/19 拝観。
大徳寺塔頭寺院 総見院(そうけんいん)。
特別拝観で訪れました。
織田信長の実物に限りなく近いとされている木像があります。
有名な肖像画とずいぶんイメージが違いますね。
あと、やっぱり昔の日本時は小さいです。
あと織田家のお墓を拝見する事が出来ます。
織田家の菩提寺のため、妻である濃姫や嫡男の信忠もこちらで眠って居られます。
ボランティアの方達のお話は、いつ聞いても楽しいですね。
質問すると、もっと楽しい話を聞けて嬉しくなります。
2月中旬の特別公開で訪れました。
織田信長の菩提寺で、重要文化財の信長の木造が安置されています。
信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立したお寺です。
本堂では非常に丁寧に総見院の由来等を説明してもらえます。
その後も、茶室や掘り抜き井戸などの説明もしてもらえます。
信長や濃姫のお墓もあります。
ただし、明治初期の廃仏毀釈の影響で、建物の大半は再建されたものです。
土塀の外にある鐘楼は創建当時のものです。
この冬は特別公開されていた。
信長の木造と対面すると、その死の直後に作られただけに、今にも口を開きそうな感じがする。
学生ガイドさんの説明も分かりやすい。
加藤清正が朝鮮の役から持ち帰ったという石材で出来た井戸や、信長とその一族の供養塔、それぞれ趣の異なる三軒の茶室など、見所は多い。
茶室・寿安席の床の間に、一休の遺偈が掲げられていた。
「須弥南畔 誰会我禅 虚堂来也 不直半銭」「世界中で、誰か俺の禅を解る奴おるか師と慕う虚堂が来たって、どってことねぇや」ここで会えるとは…。
誤訳のお叱りは御勘弁を。
通常非公開の大徳寺の塔頭の一つ。
冬の特別拝観の際に訪問。
織田信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立したもの。
その信長の菩提寺となっており境内には供養塔がある。
明治時代の廃仏毀釈により荒廃し大正時代に再興されたので、創建当時の遺構は正門、土塀、鐘楼くらいとなっている。
本堂仏間には木造織田信長坐像(重要文化財)がある。
信長公のお墓を拝見出来ます。
普段は、拝観謝絶です。
本能寺の変の100日後、10月10日に大徳寺において織田政権の覇権争いの舞台として有名な大葬礼1,が執り行われ、喪主は信長の遺児で、秀吉養子の秀勝が務めた。
その後の織田信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立した寺院で大徳寺22塔頭寺院の一つである。
開祖は大徳寺117世の古渓宗陳。
創建当時は寺勢大いに隆盛し広大な境内に豪壮な堂塔が立ち並んでいたという。
創建当時から残る建物は正門、土塀、鐘、鐘楼。
江戸期には200石の寺院であったが、明治初年の廃仏毀釈により堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化し大徳寺の修禅専門道場及び管長の住居となっていたが、大正年間に再興される。
1961年(昭和36年)に本山に安置されていた信長木像を再び迎え、380年忌を行った。
冬の特別公開で訪問しました。
600円。
信長公の像は迫力ありました。
信長公が作った花瓶?、信長公のお墓もあり、井戸、ワビスケ、茶室、あまり広くないのですが見どころがありました。
ボランティアの学生さんが説明してくれたのでより味わい深いものがありました。
雪がまた、、よかった。
ここは見所満載はもちろんですが、おもてなしも良かったところでして、好きですねえ。
利休も使ったという井戸のお水を使ったお茶を頂きながら、丁寧な説明に耳を傾け、非常に落ち着いたときを過ごすことができました。
信長公の木像はもちろん有名ですが、それを本堂から運んだ輿も見れましたし、信長公一族墓も見ると何かグッと感動するところがありますね。
多方面でご活躍されている織田信成さんのご先祖さんなんですよねえ・・・すげえ。
特別公開で織田信長像が見れます。
それだけでも見る価値があるが奥には信長以下息子たちの墓があります。
ただ、秀吉が建てた塔頭なので残念ながら信孝の墓は無し。
歴史が感じられる。
(18/04/08)「施無畏」御朱印(書置き)をいただきました。
春の特別公開(18/03/24~05/26で土日祝のみ、但し4/28~5/6は毎日公開:拝観料600円)で拝観してきました。
臨済宗大徳寺派の寺院。
大徳寺の塔頭です。
通常は非公開です。
織田信長の菩提寺。
木造織田信長坐像。
市営バス:今宮神社前バス停より350m。
400年前の井戸水で入れたほうじ茶をいただけます。
信長公の木像が迫力ありますよ!
特別公開にて参拝した😳茶室が三席有り、お茶の関わりか感じられる‼️秀吉や千利休による大徳寺山内全体的にお茶が盛ん。
平成29年10月特別公開の際拝観しました。
織田信長の菩提寺、信長の一周忌を迎え天正11年(1583)豊臣秀吉が建立したということです。
境内には信長をはじめ一族七基の五輪石塔や墓があります。
御朱印は書き置きのみでした。
戦国武将好きにはお薦めできます٩( ᐛ )( ᐖ )۶
大徳寺塔頭のひとつ。
教科書で見たことのある織田信長の像があります。
織田信長坐像。
信長一族の墓。
信好(信長十男)、信高(信長七男)、秀勝(信長四男)、信忠(信長嫡男)、信長、信雄(信長二男)、秀雄(信雄嫡男)の七基の五輪塔。
正室帰蝶(濃姫)、側室お鍋の方の墓。
織田信長の菩提寺で、一族の墓があります。
銘水の井戸があり、すっきりとしたほうじ茶が振る舞われます。
Souken-in temple 総見院(そうけんいん) Toyotomi Hideyosi founded this temple for Oda Nobunaga. 1583年に豊臣秀吉が主君である織田信長のために創建した。
There is a tomb of Nobunaga and his family. 信長とその一族の墓がある。
There is "artesian well" that was dug out of a Korea stone, Kato Kiyomasa brought back from Korea. There is a 400 year old Camellia Wabisuke standing in front of the entrance. 加藤清正が朝鮮半島から持ち帰った朝鮮石を掘り抜いた「掘り抜き井戸」、玄関前にある樹齢400年の侘助椿(わびすけつばき)がある。
Other highlights are these three tea houses standing close to each other. 三軒近くに並んで立っている茶店。
名前 |
総見院 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
075-492-2630 |
住所 |
|
評価 |
4.2 |
特別公開で伺いました。
織田家の方々のお墓があります。
織田信長公の死後に豊臣秀吉が作らせたという木像は迫力があります。
実寸大で身長はおよそ160cmだそうです。
もっと大きく見えました。
スタッフの方に丁寧に解説していただけます。