橋本の北部では、古い神社です。
和歌山県橋本市相賀(おうが)八幡神社 / / .
最高ですね☺️
清らかで、神気を感じます。
いつも、キレイにされています。
今夜は観月会。
当神社の勧請年月日は不詳。
『紀伊続風土記』によると「郡(伊都)中の古詞五社」の一つであり、「天手力雄、気長足魂、住吉神社」を祭り、「村中十一ヵ村の氏神なり……即ち、比れ八幡宮なるべし……荘中の大社なり」とある。
古くは、住吉大社の神々を祭っていたようである。
その後、坂上氏が本来からあった神社に八幡神を合祀したと思われる。
正平21(1366)年6月の鳥居板額に「八幡大菩薩」と見える。
『寛文雑記』に坂上氏人(坂上鷹養)が、石清水八幡宮を勧請した由が記され、社殿などを造営し、神主・別当などを置いて、神事に石清水八幡宮の祭式を執行したため、古儀の祭式が失われたとも伝えられている。
その後、文亀2(1502)年、坂上氏が社殿を再興したが、天正9(1581)年の春、織田信長の高野山攻めの時、高野山衆徒の攻撃によって焼き払われた。
天正14(1586)年、牲川海部が、これを再興造営したと伝えられている。
近世には、胡麻生(当社の楼門を御門と呼び、後、胡麻生に転訛)、橋谷、慶賀野、柱本から、妻、古佐田、橋本など11ヵ村の氏神となり、毎年8月15日には、「放生会」という古い祭礼を行い、村々から山車が出された。
明治5(1872)年村社に列格。
明治40(1907)年、祭典日を陽暦に改正し、例祭日を、10月15日と決定する。
昭和3(1928)年 郷社に列格。
例祭(秋まつり)には、氏子地域より九基の山車(地車)が集結、境内を埋め尽くす。
時勢の変遷にかかわらず、氏子中及び近在の崇敬者の信仰厚く、「ごもうの八幡さん」と呼ばれ、参詣人は絶えない。
WAKAYAMAKENJINJACHO. より引用。
御朱印をいただきました。
おせんべいもいただきました。
今年は、浴衣を着て踊らせてもらいました(^^)
当神社の勧請年月日は不詳。
「紀伊読風土記」によると「伊都郡中の古詞五社」の一つであり、「天手力雄、気長足魂、住吉神社」を祭り、「村中11ヶ村の氏神なり------即ち、此れ八幡宮なるべし------荘中の大社なり」とある。
その後、本来からあった神社に八幡神を合祀したと思われる。
時勢の変遷にかかわらず、氏子中及び近在の崇敬者の信仰厚く、「ごもうの八幡さん」と呼ばれ、参詣人は絶えない。
数台の車を止めることが出来る駐車場があります。
100mほど離れたところに、昔の参道入口だったであろう鳥居が取り残されたように立っています。
名前 |
和歌山県橋本市相賀(おうが)八幡神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0736-36-3034 |
住所 |
|
評価 |
4.1 |
橋本の北部では、古い神社です。